ごめんな、親父。

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あの日の夢、失ったもの。


あの夢の先まで 2



よくある事故だったらしい。
とかく、親父が死んだのは本当に突然だった。
いや、今更親父と呼ぶのはおこがましいかも知れない。俺は大学を三年で中退して家を飛び出し、それ以来父とはただの一度も会っていなかったのだから。俺が幼い内に離婚し、以来男手一つで育ててくれた父に対して、本当、親不孝もいい所だと親戚中の噂になったものだ。


「人を信じ抜く勇気を持て」が口癖の優しい父が、好きだった。物心ついた時には、父の事務所を継ぎたいと思っていた。メディアに露出するほどに名のある弁護士であった父が経営していた法律事務所。
周囲の者が皆口を揃えて父を素晴らしい人物だと言うのが、子供心に誇らしかった。そして自分もそうなりたいという思いも強く、小学校の内から「将来は弁護士」、と決めていた。誰にも話さなかった。所詮子供の憧れだろうと括られるのが嫌だった。

言ったとして、誰かが信じるとも思えなかった。
生まれ付きの金髪や紅い瞳だけを見て、不良呼ばわりされた経験が多すぎたから。

中学に上がってもそれは続いた。この容姿だったり、父が著名な弁護士という事で、やたらひそひそと裏で噂を立てられた。親が有名人だからって、調子に乗っていやがる、なんて。
一方、弁護士になるという気持ちに関しては全く変化が無く、六法も何度も読み返したし、判例なんかも随分と解釈を進めた。本気だったのだ。

まあ、しかし生真面目な勉強家であったか、というと決してそうではなく、法学以外の事には殆ど無頓着であった。成績優良とは言い難かったし、随分遊んでもいた。
学校には俺の事を色眼鏡で見るものばかりであったから、大概は、離婚した母の元に引き取られていた実兄やその友達である高杉とつるんでいたのだった。彼らは変な目で俺を見る事もなかったし、そもそも向こうも相当派手な容姿をしていた。
昔からよく父に会いに来ていた銀時は、兄というより幼なじみか親友といった感覚の方が強い。それでも年齢差があったのは事実で、高校の制服を思い思いに着崩した彼らと一緒に歩く度に、早く高校に上がりたいものだと考えていたのを覚えている。

実際にその制服を着るようになると、学校そっちのけで法学ばかりやり始めた。面白そうな裁判があれば平気で学校をはけたり、クラスメイトがテスト勉強などをしている間とて民法の択一問題なんか眺めたりしていたものだから、ただでさえ芳しくなかった成績が向上するはずもないし、周りの心証も当然良くない。

その理由を知る者はいなかったから、ただのサボり魔扱いをされたが、それも厭わなかった。
あんな立派な父親を持っているのに、と陰口を叩かれているのにも気付いていたから、ますます信じてくれる人などいないだろうと思っていた。言うだけ無駄というものだ。
相変わらず父にすら話してはいなかった。司法試験に受かってから驚かせてやろうなどと目論んでいたのだ。

父は、俺の成績にも文句を言わず、ひたすら優しかった。ただ、変わらず「人を信じ抜く勇気を持て」と言い続けていた。

信じる?俺は父さんの事も兄さんの事も信じている。
これ以上に誰を信じろというのか。教師や友達なんて、信じたくとも信じられる訳が無いだろう、と心中で思った。


そして、それがパチンと弾けたのが、大学三年、司法試験を受験した年の晩秋だった。

司試の一次試験は大学に二年通えば免除される。その目的で、底辺に近い大学に入ったのだった。
受かる自信だけはあった。当たり前だ。もう十年近く前からそれだけを勉強しているのだし、大学に入ってからの二年間は過去問や問題集をかなりの数こなし、ほぼ完璧に近い点が取れていたのだから。その頃にはネックの論文も克服していたから、心配事など一つもなかった。

そして秋、十月の終わり。
択一、論文と順調に通り、最終の面接を受けた帰りだった。
 
母が死んだ、と連絡を受けたのは。
 
 
銀時は気丈に振る舞ってみせた。俺も時々会いに行ってはいたけれど、母に育てられた彼は、比べものにならないくらいショックだったろうに。
母はもう随分前から病んでいたらしい。
何も教えてくれなかった父と兄を不審に思ううちに、通夜も葬儀も済んでしまった。
 

そして合格発表の前夜のことだった。
父と銀時が話し合っているのを偶然にも聞いてしまったのは。…まあ、故意だった気もするが。
とにかく父はこう言ったのだ。
母の世話をするために銀時が付いていたのだが、その母がいなくなってしまった今、もはや銀時がこちらと距離を置く必要は無い。だから、家に来ないかと。もしもの事があった時、後を頼む、と。

 
はっ、と気づいた。
そうか。長男は、銀時だ。

彼が戻ってくるならば…というか、そもそもこの事務所を継ぐべきなのは、俺じゃない。
そうだ。俺である必要は全く無い。俺のような、周囲から白眼視されている者に事務所を引き継いでもらいたい筈がない。
 
何故今まで気付かなかったのか。

親父は、銀時に継いで欲しかったのだ。
 
 
ああ、と嘆息の思いだった。
先に言っておけば、もしくは親父も俺を選んでくれたかもしれない。
…いや、そんな筈は無いか。
長男が継ぐのはごく当たり前の事で、大体俺が馬鹿だっただけだ。
馬鹿だ、あの人は「皆を平等に信じる」とあれだけ言ってくれていたのに。
父と二人で暮らしてきた事で、何故か自分だけが父に信頼を得ているかのような錯覚に陥ってしまっていたのだ。
 
 
 
俺が居る必要は、全く無い。
 
 
 
あの二人の前で「実は俺が継ぐ気でいた」などと醜態を曝すのは嫌だった。
後でどっちが継ぐかなんて揉めたりするのはもっと嫌だった。大体もし継ぐとしたら銀時が継ぐのが筋で。
 
色々考えて、翌日、家を出てしまった。
やりたい事が見付かったから、と一言書き置いて。
 
そんなものはないけれど。
それほどまでに父や兄への思い入れが強かった。
 

父には気まずくて連絡出来なかったけれど、その後も銀時とは連絡を取っていた。
同じく「やりたい事が見付かったから家を出た」と言って。
「やりたい事があるにしろ、親父に連絡の一つくらいしてやれば良いのに」なんて言われていたけれど、それは気が進まなかった。

今思えば、あんな所で意地を張らずにそうすれば良かったと思う。
 
その後、行くあてもなくふらふらしていた俺は、中国系マフィアの女に拾われて、何だかよく分からない内にホストの職についた。そして、いつの間にか新宿NO.1に急成長してしまった。
最初住む場所すら見つからなかった俺は、赤坂に立地の良い高級マンションを購入し、車も世間的に見ればかなりの高級車を所持するに至った。

人生どう転がるか分からないものだと深く感じ入ると共に、ますます父に連絡を取るなど不可能だと思った。金だけは仕送ったりしていたけれど。
有名弁護士の息子が新宿でNO.1ホストをしているなど知れたら問題だし、それ以前に、父にも知られたくなかった。
そうは言っても、銀時から話がいっているだろうから知ってはいたのだろうが。

 
 
 
そのまま。
そのまま、その生活を続けていた。
そのまま、父とは連絡すら取らなかった。
 
 
そして、そのまま、父は死んでしまった。
 
 
あまりにも馬鹿だった。
 
 
 
 
 
今日、葬儀があった。
立派な人物だったと、惜しい人物を亡くしたと、参列者は皆涙した。
俺は泣けなかった。その資格さえない気がして。
もちろん、口に出さずとも、親戚連中は皆俺を冷たい目で見た。
喪主を務めていた銀時が、気にすんなよ、とか、一発殴ってきてやろうか、とか時々声を掛けてくれなかったら耐えきれなかったかもしれない。
 
全てが済んだ後、遺品整理をしていた銀時に呼ばれて、久しぶりに事務所の階上にある自宅を訪れた。純粋に懐かしかった。
でも、何かが足りない。持ち主をなくした空間は、本当に空虚だった。

「親父さァ、お前がここに戻ってくんのずっと待ってたんだよねー」

銀時が窓を開けながら唐突に呟いた。

「ちょっと遅れちまったなー、連れてくんの」

「いきなり何を…」

尋ねようとすると、銀時が机に歩み寄って何かのケースを取り上げ、こちらに放ってきた。反射的にキャッチすると、それは名刺入れだった。


「引き出しん中で見つけたんだけど、ソレ。意外と気が早かったんだな、親父は」


呆れ口調で話しつつ微笑っている銀時に対し、名刺入れを見つめた俺は驚きに暫時呼吸を忘れた。透明な蓋ごしに覗く名刺の束の名は。

「…お前が本当にやりたかった事、思い出した?」

そこで初めて、涙が出そうになった。

 
坂田法律事務所。
弁護士、坂田金時。
 
 
名刺に刻印されていたのは、俺の名前だった。
 
「何で…これがやりたかった事だって…」

「死ぬ気で頑張んなきゃ普通受からねーだろ、こんな資格」
 
続いて手渡されたファイルには、司試の合格通知と証書が入っていた。
ああ、受かっていたのか、と今更知った。

そして、証書は黙っていてもらえるものではない。本人か代理人が取りに行かない限りは貰えないのだ。つまり、通知を受け取った父が。

「親父はな、お前に事務所預けたかったんだよ、金。代わりに、俺はお前のこと頼むって言われてんだわ」
 
俺はとんでもない勘違いをしていた。やはりどうしようもない馬鹿だったのだ。

何で離れたのか知らねーけど、もっかい考えてみたら?あ、コレ一応兄としてのアドバイス、忘れんなよ、なんて言った銀時は、すぐに部屋を出ていった。
 
こういうさり気ない気遣いは、ホストである自分の方が得意なはずだったのだけれど。
 

本当に、悪い事をしたと思った。
勝手な勘違いで家を出て。
父は俺が戻ってくるのを信じてくれていたのに、それすらも裏切って。
そのまま、失意のうちに。
 
ごめんな、親父。
 
 
いい歳をして、ひとしきり泣いてしまった。

 
 
 
 
その日の帰りだった。
アイツに初めて会ったのは。
 

 
 
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