バックルームにて

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何処までもおめでたい野郎だ。


あの夢の先まで 11



「あんたが知る必要はありやせん」

「それで済むと思ってんのか」

「知りたきゃ組に出戻りゃ良いんでィ」

テーブルに足を投げ出して心底面倒そうに無意味な回答を投げ続ける男の隣には金髪の男が腰掛けている。それが、この場にひどくそぐわない気がした。

差し向かいにこの顔を見るのはもう何度目であろうか。
この角度にも、テーブル一つ挟んだこの距離にも、慣れてしまった。慣れていないのは派手なシャツとフレグランスの香りだけ。
そりゃ、仕事前だ。いつものきっちりとしたスーツと消えそうに淡い知的な香りなんかじゃ、足りるわけがない。

「…テメェいい加減にしろよ」

「組織内の機密は外部に漏らすな、アンタの不文則だろィ」

…奴に聞いても無駄な事など端っから判っていた。理由はひとつ、"沖田総悟はそういう人間だ"、それだけで事足りる。
それでも、今回ばかりは彼のはぐらかしを「仕方ない」、で済ます気になれない。何せ、今こんなふざけた科白を吐き出しているその口で先ほど紡がれた言葉は、自分の名であったのだから。

(土方に取り入んのは、やめてもらえませんかね?)

ドア越しでくぐもってはいたが、聞き違えたとも思えない。
さすれば、見当なんて楽すぎるほど楽に付く。つまり、何者かが俺に対して何かを――恐らくは、俺を消そうと企んでいると、そういう情報をこいつは持っているのだ。
それならこの間会社に掛かってきた不可解な電話にも説明がつく。

何にせよ、そんな情報を知っていて張本人に隠しておこうなんて、常識的に考えて、あってはなるまい?

そうは思えど、実際答える気が無いのが見受けられる以上、このまま沖田と一つの質疑について問答を続けることに意味を見出せない。自然と洩れた溜息が話題の方向を転換する契機となった。

「高杉が絡んでるってのは確証あんのか」

さあ、という気の無い返事に、湧き上がる怒りをやり過ごすべく目蓋を一度キツく閉じる必要に見舞われる。
視界の隅で金髪が居心地悪そうに身じろいだ。

黒の革張りのソファが微かに軋む。

「……何で、不確実な坂田の方にアプローチしたんだ」

「何ででしょうねェ」

「…ふざけてんのか?」

「とんでもない、言えねーんですよ。何せ俺の敬愛して止まない前副長が仰せられた禁則なんで」

ナメきった棒読みの口調に、覚えず意識の外で舌打ちが響く。

駄目だ、もうやめだ。
いくら質問したって、きっと判るのは『コイツに聞くだけ時間の無駄だ』という事くらいだろう。

まあいい。どの道高杉が何か含んでいる事はとっくに分かりきっている。野郎が絡んでるってのは恐らく間違いないだろう。
今日はアイツが店に出てくる日ではないが、そんな相手と今後同じ職場で仕事を続けるというのは阿呆だ。
かと言ってまさか確証も無いのに妙な真似は出来ない。オモテの目という物がある。厄介事はなるべく避けたい所だ。
…どうすれば良い?

嗚呼、この件に関する確証さえ手に出来れば。

恨めしい気分で総悟を見やるも、この調子を見る限り望みはほぼ無い。唯でさえコイツには伊東の件を握られていて、強く出ることが出来ないというのに。
いやそもそも、強く出るも何も俺は既にヤツの上ですらない。完全なる外部の人間。
つまり、自分で探ろうったって、今の俺には後ろ盾が無いわけだ。


救いの無い対話に光を見出そうと、視線をその隣に移す。
金髪の彼はじっと耳を傾けて、全く読めぬであろう話の流れを、頭の中で整理しているようでもあった。


――…何故、此処にいる。

突如として、疑問が首を擡げた。

勿論、入れと言ったのは俺だ。
そういう事じゃない。如何して、あの場に居たのがこの男でなくてはならなかったのか。偶然の産物と説明されても、やはり疑念が消えない。


組だとか、銃だとか、ホストだとか。
それらから掛け離れた所でしか、付き合って来なかった。

それだけの関係であれば問題は無かったのだ。上辺だけ装って、穏便に食事をして、取り止めも無い会話をしていられたのであれば。
しかし実際に、俺たちは互いの正体を目の当たりにしてしまって、此方の世界との境界線を踏み越えてしまった。

その瞬間に全ては消えた。
俺はもう関わるなと宣って、コイツとはもう何の関係もなくなる、筈だった。


それが如何して、互いにホストの様相でクラブのソファに差し向かい、こうやってまた。

――…何故?

コイツは、俺に取り入ろうとした覚えは無い、と、そう言った。だが、それを信用する要素なんて何処にも無い。こうやって今此処にいる事、それ自体が何かの目論見の一環なのではなかろうか。
そうでないとしたら、こんなに近付くか?踏み入って来るか?

口頭で確かめる事に意味など無いが、それでも、口を開きかけて息を軽く吸い込んで、

「…、」


刹那、話し掛けることを躊躇った。
理由なんて無い。
…敢えて挙げるなら、全部か。

そいつの、全部。


話し掛けようとした空気が伝わったらしい。考えに没頭していたと思われた男が、目を上げて此方を見た。

「なに、か?」

それを皮切りに、一度過ぎったその躊躇いを振り払う。して、やっと溢れたのは疑念に満ちた確認の一端。

「本当にアイツと組んでんのはお前じゃないのか」

「違う」


即答だった。
余りに強い口調の、即答だった。


「お…、」

「大体、組むとか取り入るとかってどういう意味、何か目的があって近付いたとかそういう事?なあ、俺があんたと付き合うようになったのは偶然だった、そうだろ」

言い掛けた言葉をも遮って、真っ直ぐに此方を見据える瞳の色は、あの時と同じ、紅の。
テーブルに着いた手を支えにし、半身を乗り出していた。
いつも落ち着いた対応、年下にも拘らず自分以上に大人びた佇まいの彼が、抑えきれなくなった分の感情を表に押し出している。

「せめて、俺から近付いたならまだ分かる。でも、あんたが俺の命を引き伸ばした。俺の腕を取った。最初に話し掛けたのも、あんたが先だったんだ。覚えてないワケじゃねーだろ、土方さん」

「…あ、ああ…そう、だったか」

「うっそ、マジで曖昧…」

…今までひたすら押し黙っていただけに、突然捲し立てられる勢いに圧されてしまった。

驚いたのが自分だけではなかったことを、その隣で意外そうに顔を振り向けた男の様子で理解する。その丸い瞳に問いたげな色が浮かび、金髪の男から俺に視線が移されたのがやけに気になった。

そりゃ、そうだ。似合わない、のだ。
俺の全てといっていい所を見てきているこの男には、今口頭に述べられた一連の行為が如何に俺に似合わないか、はっきりと分かっている筈だ。

「…まァ、そういうワケだから。俺じゃねーよ。つか多分兄貴」

本人にとっても予定外の言動だったのか、彼もテーブルに着いていた手を静かに降ろし、少し気まずそうに視線を落とした。毒気を抜かれるような口調と動作だった。

これが。この、ごくごく普通の若い男。これが、新宿No.1を謳われる、あの。


「その兄貴について、ちょいと二、三、お聞かせ願えません…、」

「おい総悟」

気が付けば、すかさず飛びかけた総悟の声に、制止を掛けていた。人の会話に割って入る趣味は無いが、これは衝動だった。

「…、お前謝ってねえだろ」


理解出来ない。
言葉に変えるならばそんな表情で、沖田は瞳を瞬いた。


「はぁ…?」

「テメェは、この業界にいて」

棘を含んだ声色が発せられたのが自分でも分かる。指先は意思とは無関係に、組んだ自らの腕をトントンと打った。

「勘違いで人殺し掛けて詫びの一つもしねぇつもりか」

「…土方さんあんた、まさか」


――今の、関わってないっての、信じたんですかィ。
アンタともあろうお人が、
あんな言葉を、鵜呑みに?


違う。


言無く交わされた視線に、小さく首を振った。

嘘か真か判断がついたわけではない。
裏切るのは人間という生き物の得意技だ。それはどんな人間にだって、ほんのちょっとの切り替え一つで簡単に出来るもの。
もしそれに掛からぬ事を望むのであれば、可能な限りの最大の防御は之、最初から信じない事。それに尽きる。

裏切られた、騙された、と歯噛みする行為の裏には、一時であっても相手に対する信頼があった事が前提となる。其処が大元の間違いなのだ。
信じていたのに、なんて打ちのめされ膝を折り、拳で地を叩くその様はひどく滑稽で、且つ、目を背けたくなるほどに見苦しく、そして、

…余りに、惨めだ。

それをどう感じるかは人それぞれかもしれないが、少なくとも俺は醜態と見る。んなもん晒せるか。真平御免、だ。


ならば上辺、子供騙しの「シンジテル」、それで要領よく誤魔化して世渡り。
そうすれば、痛み苦しみ悲しみ絶望、何も感じずに過ごしていける。

臆病者で結構。何とでも吠えていろ。
馬鹿を見るが負けだ。



「…そうですねィ、すいやせんでした」
 
なるほど、と言った表情で息を吐いた彼の、重みのない謝罪の言葉が宙に浮いた。

「ああ、いや…、もう、それは構わないんですけど…」

言い足りなそうに結ばれた唇に、視線が集中する。
思い出したように時折顔を出す敬語調が、俺たちの扱いに戸惑っている事を感じさせた。

「…兄貴については、何に絡んでんのかさっぱり。むしろこっちが聞きたいくらい…なんだけど」

「…」

形整った唇から躊躇いがちに洩れた科白に、総悟がチラと此方を見やる。
飽くまで組織外に詳細を聞かせる気は無いらしい。
飽く迄黙っている俺から離れた視線が再び金髪に向いた。

「…それはちょっと……」

ん、と柔らかい相槌がやんわりと言いさしの言葉を遮る。

「だよね、さっきの流れから考えて」
 
角を立てない物言いは歌舞伎町No.1を強く意識させた。つい先ほど普通の青年を思わせたその彼が、だ。
同性をして感嘆たらしめる魅力。女性から見たら如何ほどの物だろうか。
 

一瞬途切れた会話の隙を衝くかのように、ピリリリ、と電子音が響いた。すぐに総悟がポケットに手を突っ込んで、沈んでいたソファーから腰を上げる。
イルミネーションの光るその携帯は、俺の記憶が正しければ…私事用、だ。

「ちょっと失礼します」

丁寧な言葉と裏腹に面倒そうな所作で歩くと、そいつはドアを引いて出て行った。


止める暇も無かった。あったとして、止められたとも思えなかった。
この男と二人残されることに理由無く微かな抵抗を覚えたとして、つまりはどうにも出来なかったのだ。
そう、どうにも出来ない。
心の中に突如として沸いて出たその抵抗を押し込めて、目を引く綺麗な金髪に視線を投げた。 

「…テメーは、何でそんなに腕が立つんだ」

「…え?」

投げ付けた意味の無い質問に、そいつは意外にも驚いたようだった。
まじまじと此方を見つめる瞳は相変わらず澄んでいた。

「いや、俺はそんな強くもないし。あの…茶髪の子のが何倍も」

「じゃあ普通の単なるホストだっていうつもりか」

「……‥」

暫しの沈黙の後、ふう、と洩れる息が諦めの色を含む。

「まー…一応、身辺警護やってんの」

身辺警護?誰の?
もしや敵対する組の者では。

喉元まで出かかった疑問を飲み込む。
この場でそんな質問をして、例えそうだった所で真を告げる筈が無い。
それに――…先刻の反応を考えれば、恐らくこいつは疑われる事に強い反感を示すだろう。
 
葛藤を悟られぬよう、言葉尻を捉えて自然に話の主旨を逸らす。

「どっちかっつーとテメェが警護される側なんじゃねーのかよ?キャリアだろ」
 
「あー…それな…、実は俺、副業でも何でも弁護士なんかやってなくて、生粋の…」
 
「は…?ちっと待て」

言葉の内容を捉えかねて制止を掛ける。どうやらキャリアの意味を掃き違えているらしい。

「んな事は初めっから分かってんだよ。おめェ両部で出てて、昼の仕事やれる程時間ねェだろ」

「え……、何?初めから、って」

「…お前な」

心底不思議がっているように目を丸くする様子に、思わず脱力した。

何処までもおめでたい野郎だ。
弁護士だと言ったことを丸々鵜呑みにしていたと、未だに思い込んでいるらしい。

「自分の立場分かってんのか?同業の俺がお前の事を知らないとでも?」

面食らった様子の相手に呆れつつ最後の煙草に火を点けて、確認がてら軽く握り潰した箱を机上に放る。
軽すぎるそれは音という音も無しに上っ面を滑った。

「ホストとしてキャリアだろ、っつったんだよ」

「………ああ…」
 
その瞬間、何か言いたそうな瞳と曖昧な沈黙が目前を掠めた。
しかし直ぐにそれは過ぎ去り、また唇が開かれる。

「キャリア、なんて大層なもんじゃねーよ。お前と違って結局世間様に認めてもらえる職業じゃないだろ…」

「あん?」

コイツは何をさっきから。

口調が刺々しくなるのを禁じ得ない。手にしていたジッポが、自分勝手な親指によってカチカチと点滅していた。

この調子では、弁護士だなんて偽った理由も単なる見栄か?そんな見栄など張らなくとも、新宿ナンバーワンの肩書きがあれば十分ではなかろうか。
もっとずっと長い期間やってきた俺が届きもしなかったその座に、何を後ろめたがる必要がある。

「てめーはそんな意識でホストやってんのかよ?自分が体張ってやってる仕事だろ。プロ意識っつーモンがねーのか」

「夜の仕事はマトモじゃないと思ってる人が多いのは知ってんでしょ?」

…後ろ向き、消極的、それは一流ホストの語る姿にあるまじき事。
何故、此処まで大成している彼が、あたかも世間目ばかりを気にするような考え方をするのだろうか。

世間とは其処まで仰ぎ見るべきものか?そんなにご立派なものか?認められねばならないか?
お前ほどの人間が、何を下らない事に拘泥している。

世間、なんて。利用出来る時に利用するくらいで良いだろ?
世間にどう見られるかより、仕事に対する自分のプライドの方が余程大切だろう。

「どうだろうが、俺にゃお前ほどのことは真似出来ねーよ。人に真似出来ねーことやってんだから、ちったァ誇りに思っても良いんじゃねーのか」

衝動に任せて口走る。
はっと息を呑んだ、その空気の動く音が、はっきりと耳に届いた。
続いて、此方を見据えて見開かれていた瞳がゆっくりと落とされる。


静かに、ごく静かに、吐き出された声は途切れがちだった。


「……土方さん、さァ…。何で俺にそんな事言ってんだよ」

「あ?」

カチ、カチ、と音を立て続けていた指を止める。
僅かに躊躇うような素振りを見せた男の声が、一層鮮明になった。

「もう近付くな、って言ってたろ?そんな相手に何で話し掛けてんだよ。それとも、やっぱ近付いても良いって事なの」

「あ…」


瞬間、動揺が血管を駆けた。


本当、何でだ?


確かに、スジの通らない事をしている。どうして俺はこんな他人の、しかも自分に何の関連も無いような事に対してイラついたり諭したりしている?
何でだ。何の興味?


…普段なら、有り得ない。


「いいの?」

何だ、これは。
自分も相手も解らない。

ぐっと拳を握ると、ジッポが思考の邪魔をした。

「…、そういう事じゃ、ない」

「近付いたら駄目っていう割には、相応の態度取れてないんじゃない?」

こいつの目的は何だ?何がしたい?
そう、言っているのを聞いている限りまるで、

「んだよ、それ…お前は俺とお近付きにでもなりたいのか」

(俺に、取り入る気満々じゃあねえか?)

そいつは表情を変えなかった。

「そう聞こえなかった?」

「っ、は…?」

精一杯の皮肉を当然の様に肯定されて、思わず間の抜けた声が漏れる。

「納得出来ねーんだよ、いきなり近付くなの関わるなの、さ」

乗り出された身。視線を逸らす事の許されない、真っ直ぐな瞳。

「俺は、土方さんと食べに行くのいつも楽しみだったんだけど?」

「…何でだよ」

「何でも何も、楽しみにするのに理由なんて要らないだろ」

「…」

強い口調に、思わず息を呑む。
気が付けば、まるで年上のような雰囲気を纏っていた。但し、普段のそれとはまた違う。
いつものような"大人の落ち着き"というより、これは、

「……なあ土方さん、あんた本当に俺を遠ざける気…ある?そんなんじゃ、甘いんじゃねェの?」

「俺に取り入る気じゃないなら、…何でお前は俺に近付こうとするんだ」

「…それにも理由が必要なの?」

「当然だろ」

「……そう」

――…これは、


「……訊いたこと、後悔すんなよ」

一段低められる声。
脳内、今度は危険を報せるシグナルが撥ぜた。



「俺さ、」
 

 

鼻を擽るアリュールのミドルノートは、確かに魅力的。
危険すぎると、頭の中で警鐘が鳴らされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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