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二度在ることは何とやらって、ね。
あの夢の先まで 10
「…で、兄貴はどう思う?」
一通り話し終えて訊ねると、少し困ったような顔をされた。
「あー…まァ、好きなようにしたらいーんじゃね?…つーかそれむしろおめーのフィールドだろ?俺、残念ながらお前みたいなホスト、しかも一流に伝授出来るほど女の扱いに長けてないんだけど」
いや女じゃないし。
…など言うわけにもいかずに、思わず机上の灰皿へと目を逸らした。
土方にはあれ以来会っていなかった。あれ程はっきりと拒絶されておきながら連絡を取るというのは、あまりに…。
それでも、諦めが付いた訳でもなかった。だからこそ、会ったついでに銀時に相談などしているのだ。
そうは言っても。
「…本気だから、どうすりゃ良いのか分かんねっつーかね」
今更レンアイするには、ニセモノを見すぎていたのも事実。
触れ合って、甘い言葉を交わして、体を重ねて。…そんな一連の行為に情は要らないという事を、知りすぎてしまう職業に就いていた。勿論、向こうとて例外ではない。
きっと、そんな事では伝わらない。
第一、それ以前にもっと大きな問題が立ち塞がっている。
銀時が頭の後ろで組んでいた手を解いた。
「そーゆーのは晋に訊いた方が良いんじゃねーの?」
アイツに近付くな、と言った張本人にか。
視線を置いたままの灰皿を、改めてはっきりと意識する。
何処か退廃的な形状と化したピースの吸殻は、目の前の男ではなくその親友、もとい悪友が残していった物であろう。
「高杉先輩にはちょっと…」
「何で?」
「…相手が高杉先輩の知り合いだから」
「あー、なるほど」
銀時は頷いて身を乗り出した。
「ま…気の利いたことは言えないけどよ、本気ならいくら嫌われてようが関係なく、思った通り伝えた方がいーんじゃねェ?分かんねーけど」
甘い香りがふわりと漂った。目でその元を辿れば、銀時のキャスターの箱が半開きになっている。
――これでは香りがとんでしまう。
手を伸ばしてそれを閉じながら口を開いた。
「…んー…そりゃそうだよなァ…」
「何もしねーよりはマシだろ」
黙っていると、それ以上その話が続かないのを見て取ったらしい銀時が、それとなく事務所の経営についての話を始めた。
そうだ。これからどうするか、考えなければならない。
事務所のこともそうだし、あの男のことも。
土方、さん。
俺があんたに厄介な感情を…しかも、簡単には揺らぎそうにない程の強さで抱いてしまったと。
それを知ったら…、あんたはどんな顔をする?
――…それが怖いんだよ。
「…、あれ…」
銀時と別れて一度自宅へ戻り、仕事の為にと再び歌舞伎町へ出てきた俺の目に、ある人物が映り込んだ。
水商売をしているのであろう、裾の長い着物を着た彼女は、確か。
…あの時の。
"あの時"とは打って変わって明るい表情を浮かべている。近づいて声をかけたい衝動に駆られもしたが、相手のことを考えるとその気は消え失せた。
俺の顔を見ては、嫌なことを思い出してしまうかもしれない。
大丈夫そうならば良いか、と、取り敢えず安堵を覚えつつ顔を前方に戻した。
、その瞬間。
「金時さん、ですよねィ?」
いつの間にか目の前に若い男が立っていたのだった。
全く気配を感じなかったというのに、その距離は驚くほど近く、ついつい保身本能から数歩退いてしまう。
「…はぁ、そうですけど」
「良かった」
何処かで見たことがある、と感じさせる容姿だった。
根元から毛先まで、見事な亜麻色の髪。細身の体に似合う細身のカットソーに、短いスーツの上着だけを羽織っている。勿論、同業だ。
「あんた、この間うちの店に来てたでしょう」
「店?ええと…」
単純に分かりかねて言葉に窮していると、助け舟のように男がぽろりと呟いた。
「土方さんの」
そう、呟いたのだ。
「ああ、あの…、」
言いかけて、しまった、と思った。
俺の話していた高杉先輩でなく、彼の名を出す不自然さ。
しかも源氏名でなく、本名で。
…、試された。
だが、気付いたところでもう遅い。
「…」
「ちょっとお聞きしたい事がありましてねィ」
相手が薄く笑ったように思えた。
「良かったら来てもらえます、坂田さん?」
――名字まで。
躊躇いはしたが、あのような言われ方をされては、踵を返して先を歩いて行く男の後姿を追わざるを得ない。
だが、実の所を言えば、目の色を全くと言っていいほど変化させない相手に僅かな寒気すら感じていたのだった。
"ただのホスト"とは思えないが、かといって特有の気も感じられぬ、読めない瞳。
しかし、あの店の…。
どうりで見たことがあると思った。
No.1に気を取られすぎていたから思い出せなかったが、確かその隣に掛かっていたのが目前の彼の写真だったと思う。
巡らせる思考に後押しされる足取りが、時間の経過を早めていく。
ポケットに突っ込んだ指先は、無意識に冷えた温度を捕らえていた。
No.2のキャッチで誘われたのは、見覚えのある店の裏手にある薄暗い路地裏だった。
此処に来るのはあれ以来だ。
「おたくの店、」
「ええ、そうでさァ。覚えてて頂けたなんて、そいつァ光栄だ」
奥まった路地には表通りの騒がしい色彩も届かず、ぴったりと閉じられた裏口からも一滴の光も漏れていない。
しかしそれ以上に尚悪いのは、目前の男からも一切の感情が漏れては来ないことだった。
「それで、用件は?」
「何だと思います?」
本題を問い掛けるも、気の無い言葉が返される。
やはり付いて来るべきではなかったか。
そうは言えども、あの時は好奇心に勝てる心理状況ではなかったのだし、反実仮想は無意味だ。
「…今から仕事が、」
「お時間は取らせやせんから」
先を歩いていたその若い男が、相変わらずの軽い口調を投げて歩を緩めた。
スローダウンする足音が、無機質なコンクリートに吸い込まれていく。
「…まァ、そちら次第ですがねィ」
「悪いけど引き抜きとかそういうのなら…」
そんな話でないことなど、誰にでも分かる。
空気の緩和を計った為とは言え、余りに場に不相応な台詞に醒めて言葉を切った。
「いえ、お話はもっと簡単でさァ」
ぴたり、
突如、緩んでいた歩調が完全に停止した。
「…っ!?」
振り向いた、と思うより前に。
その拍子に揺れた亜麻色の毛先が元のように落ち掛かるより先に。
数メートルの隔てが縮み、額すれすれに突き付けられつつあるのは銃口。
真っ直ぐに伸ばされようとしている腕の向こう、鋭い視線。
「な…!」
寸で、狙いが定められる前に、ポケットから引き抜いた同形の重金属で至近の短い銃身を弾く。
「…へえ、なかなか」
少し意外そうに眉を上げてみせる彼の、しかし他のパーツは何の表情も浮かべてはいなかった。
「いきなり何な…っ…」
目前の頭がふっと沈むや、一気に距離を詰められる。
――しまった、
思った時には既に、銃口を向けるべく動かした手首は華奢な体に似合わぬ力で封じられていた。
並外れた靭やかな速さ、淀みない洗練された身のこなし、冷静且つ的確な読み、最小限の動きで最大限に力を発揮する術。
単純に、強、過ぎた。
手も足も出やしない。
動く事自体出来ない。
実戦に慣れ切ったその隙の無さ。
幾らも年下であろうその若さで。
嗚呼、此れ程の実力差。
…彼を相手に勝ち目など無い。
米神に軽く触れた金属の冷たさは、最近味わったばかりのそれ。
「…っはは…完敗…」
理由もなく零れた笑い声は乾き気味に響き、そりゃどうも、という無感情な呟きを鼓膜に誘い込んだ。
…ほんの一瞬、というには少々長めの時間が、微動だにせぬ内に流れた。
水分を失った口内をゆっくりと湿し、静かに口を開く。
その行動は全て相手を刺激せぬようにと配慮されたものだったが、吐いた疑問は直球であった。
切羽詰ってもいたのだ。
「……殺んの?」
自らの運命を問うのであるから、当然の事ではあるが。
「ま、返答次第では」
状況と裏腹に重みの無い口調のまま、僅かに細められた視線だけが量る様なそれに変わった。
「…殺しは後が面倒なんで、出来れば控えたいんですがねィ」
「俺が何したっつーワケ?」
「あんたが一番良くご存知でしょう」
「…、」
今きつく戒められている右手が握っているのは、玩具でも飾りでも無い。
事実、人様を傷つけた事が一度も無いのかと問われればそれは。
「…返答って何」
自然、声は絞り出すような色を帯びた。
法曹だなんて。
あの男に対して、よく恥ずかしげもなく偽れたものだ。
「ああ、お願いがあるんで。それを受けて頂けるか否か聞かせてもらえたら、そんで終わりでさァ」
お願いなんて体のいい言葉を用いた所で、銃口を突き付けられたこの状況下では完全に脅しか命令。
"終わり"というのも、背筋の寒くなる意味以外に解釈する事が出来ない。
滅茶苦茶な要求をされるのだろうとは承知で、それでも、内容を尋ねる以外に選択肢は無かった。
生への執着という以上に、懺悔、悔恨、自分への苛立ちその他に由来して。
「…何」
横から硬質の凶器を押し付けている相手を意識しつつも、下手に動くことも出来ずに、前を見据えたままで低く尋ねる。
緊迫しきった空気を近距離で吸い込む音が耳について、更にそれを煽った。
「…手ぇ、引いてもらえます?」
返された不十分な説明は、俄かに頭の中を引っ掻き回すに充分なものだった。
「あんた、雇われなんだろィ。そんなら、この件から手さえ引いてくれりゃ、この引き金引かずに済む話なんですぜ」
「…は…?何の話だよ?」
ようやっと問い返した言葉をも聞き流し、相手はそのまま続けた。
「別に奴がどうなろうが俺は一向に構やしねーんですがねィ、如何せんこっちにまで飛び火するのは頂けねェ」
何?手を引く?どうなろうと構わない?こっちに飛び火?
何の話をしているのか、皆目見当が付かない。
「待て、奴って誰」
「…ナメてんですか」
「いやいやいや、俺本当に思い当たんないんだけど…」
相手はイラついたように小さく舌打ちをしたようだった。
そんな反応をされても、状況は欠片も理解出来ないというのに。
そのまま押し黙っていると、やがて嘆息が耳に入った。
「土方に取り入んのはやめてもらえませんかね、こう言や良いってのかィ」
仕方ない、と言いたげな投げ遣り気味の台詞に、息を呑んだ。
「…!」
土方?土方十四郎か?
否…、そうに決まっている。
…先人達は正しかった。
カカワルナ、
チカヅクナ、
トリイルナ。
二度在る事は三度、こんなに有り得ないと思われる事でさえ、在ってしまうのだ。
また、か。
距離を置くようにとの警告。
…だが、関わる、近付くはともかく。
つい、無意識の内にそちらを振り返ってしまっていた。
自ずと、額と銃口が真っ向から触れ合うが、気にも止めていられなかった。
「俺、土方さんに取り入った覚えはないんだけど」
目前の瞳が僅かに眇められた。
「…とぼけんのも大概にしてくれませんか」
「とぼけるも何も、助けてもらったお礼に食事したくらいで他には何も…」
言い掛けた言葉は尻すぼみに途切れた。
そう。実質、たったソレダケ、の関係に過ぎないのだ。
口に出して改めて実感する。
そう、たった、それだけ。
「…」
流石に何かおかしいと悟ったのか、少年は何事か黙考し始めたようだった。
間をあけた後、ふと目を上げ、確かめるように口を開く。
「…あんた、坂田金時だろィ?あの眼帯ヤローと組んでる…」
「眼帯…?それって、」
――あ。
もしかしなくとも。
瞬間、脳内で全てが繋がった。
「それ高杉先輩のこと?そんなら多分俺じゃなくて兄貴だろ」
「兄貴?」
「坂田銀時だよ、俺の兄貴!」
言葉の勢いのまま銃身をモロに掴んで押し退ける。
冗談ではない。勘違いで殺されるというのは幾ら何でも勘弁だ。
…しかし、兄貴は何に首を突っ込んでいるんだ。
単なる万事屋稼業を営んでいる筈では?
そういう世界のことなど一言だって聞いた事はない。
もしかすると、俺の兄貴に対する認識は甘過ぎるのだろうか。
まあ、俺も言えた筋ではない。
相手は軽く眉を顰め、信じないとでも言いたげに首を振った。
「まさか、有り得ねーでしょう」
「事実そうなんだから、」
言い掛けた俺の言葉を遮って、有り得ない、と、繰り返しもう一度呟きが洩れた。
「有り得ねェ…何で長男が銀で次男坊が金なんです!」
「そこ!?そりゃ髪が…」
その時だった。
「…てめェら、オアソビはその辺にしとけや。仕事サボり倒す気か?」
不意に開いたドアから一気に光が流れ出す。
落とされたシルエットは黒。
思わず、息を呑んだ。
「…立ち聞きかィ、はしたのねェ」
俺に食って掛かりかけていた男が、それを横目に見やって溜め息を吐いた。
「面白そうな話じゃねーか…、ちっと入れよ。……お前もだ、坂田」
低い声だけは確か。
軽く眩んだ目では、その表情までを読み取る事は出来なかった。
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