プロローグ

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思えばあれが全ての始まりだった。


あの夢の先まで


斜陽に染められている、古い工事現場。
建設途中で打ち棄てられたビルは、バブルの遺物だろうか。
静寂の支配下にあるべきその場所に今、カツカツと足音が響いていた。
むき出しのコンクリートが、規則的なそれを増幅して煩い。

「…」

歩いてきた男は、入り口から程近い一室の前で立ち止まった。
それと同時に、響いていた足音も止む。
男は窓から取り込まれる茜色に一度目を細めると、その脇に立つ影に目を移し、ゆっくりとその部屋に踏み入った。

「やぁ、土方くん。遅れてすまない」

色素の薄い短髪が橙色に染められ、瞳を隠す眼鏡は闇雲に射し入る光線に小さな抵抗を見せていた。

「…」

土方と呼ばれた男が無言のまま目だけで挨拶を返す。
眼鏡をかけた男はそれを意に介さずに再び口を開いた。

「それで?こんな所に呼び出したりして、何の用立てだい」

「…自分が一番わかってんだろ?伊東」

返された低い声に、伊東は面白そうな顔を作った。

「何のことだか」

「組長を、殺ろうとしてんだろ」

土方が、ゆっくりと半歩踏み出してその鋭い視線を傾いた陽光の下に曝した。
橙色を直射された黒髪が微かに茶色掛かって光る。

「手を引け」

「僕にそんな事を言う資格があるのか?そもそもこの立場を僕に譲ったのは君だろう」

俯き加減の角度が、表情を読めなくさせている。

「抜かすな。俺が副長譲ったのは総悟だ、テメェじゃねェ」

「君の意向がどうあれ、既にその"組長"は君の後釜に僕を選んだ。結果が全てだ」

土方は僅かに目を細めた。

「悪いが、近藤さん以外にウチの者を扱えるとしたらアイツくれぇだよ。例え組長消してテメーが取って代わろうが、誰もてめェ一人の好きには動かねェ。大それた真似…」

突然、土方が言葉を切った。
伊東が小刻みに肩を震わせ始めたからだ。

「君は、彼の事を随分高く買っているようだな」

く、と笑いを洩らす相手に、土方が不審そうに眉を上げた。

「何が可笑しい」

「甘いんだよ、君は」

くっくっ、と伊東が笑い声を洩らして懐に手を差し入れた。
土方が目を見開く。

「おい…」


「実に甘い」


引き出された手には、鈍い光を放つ重金属が握られていた。
その銃口がピタリと土方の黒いスーツに向けられる。

「…!」

「どうした?君だって僕を呼び出したんだ、よもや武器一つ持ってこなかったわけじゃないだろう?…ああ、そう言えば」

伊東が面白そうに微笑う。

「組に返したんだったか、律儀に」

「…何でスミス銃なんか持ってやがる」

土方は銃口を見据えたまま低く呟いた。

「うちでは仕入れていない筈だ」

「そういう所が甘いと言っているんだよ」

仕舞い、とばかりに会話を終わらせた男が黒い笑みを浮かべ、外されていなかった安全装置に指を掛けた、


その一瞬の隙、全てが起こった。


チ、と小さく舌打ちをした土方が、一呼吸で間合いを詰めて、相手の腕を捕らえたのだ。

「…っ」

不意の出来事に対応の遅れた伊東が、身を引いて腕を引き離そうとする。

「離せ!」

「誰が…っ!!」

二人は、しばし揉み合った。

――そして、その決着は意外な形でつけられることとなる。


パン、パァン!


反響が五月蝿くて五月蝿くて、土方は思わず顔を顰める。
それとも、それは肩口を掠めた銃弾の所為か。
パニック状態に陥った伊東が狙いも定めずに二発続けて撃ったのだ。
そして、混乱の内に引かれてしまった引き金が、火薬の香りと共にもう一度、引かれたのだろう。

パンッ、という音を、土方は何処か遠くに聞いた気がしていた。

この音は好きではなかった。
一つの、或いは多くの命をも奪い取る音にしては、あまりに軽薄で間抜けな音だと。呆気なく、乾ききった音だと。
いつも、そう感じていた。
 
今も。
 
 
眼鏡の奥の瞳が土方を通り越した遠くの方を映した。
自らを驚きに陥らせた元凶を手にしたまま、その体躯はその場で崩れていく。
自分と密着していた相手に向けて撃ったのが悪かったのだ。
…驚きに見開かれた瞳が瞬く事は、もう二度となかった。


"新鮮組"伊東鴨太郎の死はあまりに、ある種間の抜けた、ある種凄惨な、最期だった。


「伊…東?」

もはや手遅れである事は明らかだった。
よりによって、ほぼ的確に米神を貫いた銃弾。
偶然にしては出来すぎなほどであった。

「…馬鹿、じゃねぇの…」
 
直後、考える時間も得られぬままに、土方は顔を上げた。左肩を押さえて息を吐いた土方の元へ、コツコツと新しい足音が響いてきたのだ。
はっとして振り返った目に、至近距離まで近づいてきている亜麻色の髪の若い男が映った。

「総…」

土方が、よく知るその男の名前を口にしかける。
どう見ても未成年に見えるその男は、目前の亡骸に顔色を変えなかった。それどころか、今や呼吸を止めた知り合いの顔を興味深げに眺める。

「あーらら、仲間ァ殺っちまうたァね」

「…何でおめェがここにいる、総悟」

「さあ?何ででしょうねィ」

飄々とした口調と裏腹に、沖田の瞳が油断無く土方の方へ向いた。

「それよりあんた、これどーすんでィ」

「…」

土方が足元の男を居た堪れなそうに見やった。
沖田が思い出したように続ける。

「そういやあ随分いい所にヘッドハンティングに遇ったって?海外らしいじゃねーですか」

しゃがみ込んだ土方が、黙ったまま一度伊東の眼鏡を外して瞼を閉じさせる。
その様子をじっと見ていた沖田が、低く付け足した。

「露見したら、渡航は無理ですぜィ」

それどころの話ではなかった。
赴任云々の前に、噂のひとつも立てば仕事なんて全て切られてしまう。

「俺じゃ、ねェ」

沖田は容赦無かった。

「へェ、じゃあ誰なんです」

「…」

「状況証拠とはいえ、これだけ揃ってりゃ俺の証言もそれなりに信用が出てくるだろうねィ。ましてや嫌疑がかかってるのが暴力団の元副長ともあれば…」

土方が驚きの表情を浮かべた。

「手前は散々やってきといて、まさか告発…」

「俺がどうこうの話じゃねェ」

沖田の瞳が土方を見据えた。

「どうせ組抜けた単身じゃ、この始末なんか付けられねーだろィ。時間の問題でさァ」

「…何が言いてぇ」


「組に、戻んなせェ」


沖田はゆっくりと言って相手の動きを待った。しかし、唇をきつく結んだ土方は視線を外しただけで、それ以上の反応は得られない。沖田が、ふ、と息を吐いて再び口を開いた。

「それが出来ねーなら、正攻法に、ビジネスと決め込みましょうや。…ま、安かねーですけど」



 
 
*
 
 
 

「――ええ、取り敢えずそういう事なんで、よろしくお願いします、近藤さん」

携帯を閉じる音が続く。
電話を切った沖田は、足元の男のもとへしゃがみ込んだ。
周りにもう人影は無い。

「ちょいと失礼しまさァ」

生人に対するかのように軽い口調を投げ、伊東のネクタイを解くとシャツのボタンに指を掛ける。二つほど外したところで目当ての物を探り当てた。

「裏切り者は、裏切りによって消えんのが条理ってもんでさァ、悪く思わねーで下せェよ?」

呟くように言うと、首から下げられた何かを外して自らの首に掛け替える。
それがスーツの上衣の中へと隠れると同時に、背後から声が掛かった。

「沖田さん、」

「山崎、遅かったじゃねーか」

沖田が振り返りもせずに言う。土方が立ち去った直後に、沖田は山崎に連絡を入れて呼び寄せていたのだ。
足音の一つも無しに現われた山崎は苦笑した。

「これでも全速力ですよ」

しかし沖田の元へと歩み寄るなり、その表情は微かに強張った。

「…本当に伊東さんなんですね」

眉を寄せた山崎が小さく言う。次に、その目が問い掛けるように沖田の方へ向けられた。

「自爆と言ってましたけど、どういう事なんです?」

「自分でパニックになって乱射しやがった」

「パニック?」

「謀がバレたからでさァ」

沖田が忌々しげに言った。

「奴がコイツ呼び出したんでィ。抜けんなら抜けるで、組のことにゃ関わらねーで欲しいってのに…」

「副…、土方さんですか?銃も持っていないはずなのに、伊東さんを呼び出したと?」

「ああ、コイツが自爆したから命拾いしたようなものの…」

沖田が傍らで横たわる男に目をやった。

「甘いんでさァ、アイツは。伊東が単独で組を乗っ取ろうとしてると思ってやがった」

「組から離れた状態ですよ?そこまで見抜けるだけだって、ホントどうかしてます」

山崎が困ったように笑ってみせた直後、ふと真顔に戻ると、組に戻ってきてくれたら良いのに、と呟いた。

「それで、本人はどうしたんです?」

「とっくに帰ったぜィ、間抜けにも血ィ出してやがったし…」

「撃たれて…?」

「残念、掠ってただけでィ。っとに、甘ェからでさァ…」

沖田が立ち上がりつつ肩を竦めた。代わりに山崎が伊東の元へ屈んで、落ちている拳銃に目をやる。

「そんなに甘い、ですかね」

山崎に背を向けていた沖田はそれを聞き流し、脈絡のない言葉を投げた。

「出来そうかィ?」

「日本じゃ難しいとは思いますが…やれない事は無いでしょう」

「…全部他言無用でさァ」

「当然ですよ」

沖田はそのまま部屋を出て行った。反響する足音が遠ざかっていく。
 


「死体を凍結させろだなんて、何を考えてんだか…」

山崎は一人呟いた。

いや、分からなくもない。時期を待っているのだろう。…今、伊東の死を公表するわけにはいかない。


ましてや、殺めたのが自分では。
 

山崎はもう一度、地面で光る拳銃を見つめた。S&Wの32口径。
発砲後すぐに地面に落ちたであろうその拳銃には、何故か明らかにセーフティが掛かったままだ。
弾鎗を見れば、三発が消えている。だが、伊東は慎重な男だった。危険回避用に一発目は初めから空にしておくのが癖で。

「土方さんだって…そんなに甘いわけでもないですよ。
或いは、甘いのはむしろ…」

呟いて立ち上がると、部屋に撃ち込まれた三発の弾丸を探し確認する。

「こういう所、詰めが甘いんだよなぁ…」

9mmパラグラム弾が、一つだけ混じっていた。



マカロフM9を持つ沖田が、常用している銃弾だった。
 
 
 
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