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短編集・読み切り
§


 休日の雑踏の中を人の波をかき分けなが

ら歩く。

 隣を歩く友達の肩を笑いながら叩く女子

供、両手に荷物を抱えて店先から店内を伺

うくたびれた風の男、僅かな空気の揺れで

すら漂ってくる香水の匂いを振りまく熟女

の集団。

 それぞれが様々な騒がしさを生み出して

いる空気の隙を縫いながら無心で歩を進め

る。

 アーケードの本通りを抜けて横道に入る

と途端に人影はまばらになるが、焼きたて

のたこ焼きの匂いが漂う細い道を歩幅を変

えずに歩き続ける。

 進行方向から歩いてくる若い女性が腕を

組んで歩く男の袖を引いて“ねぇ、あれっ

てコスプレかな?”などと囁いているが、

そのような反応には慣れている。

 黒いビロードの膝丈のマントの裾を翻し

て歩いていれば現代の日本であれば仮装し

たように見えるらしい。

 かつて私が眠りについた少し前であれば、

鍬や籠を抱えた村人たちに海を渡ってきた

異国人として遠巻きに眺められたものだっ

た。

 それに比べれば今の日本人たちの反応な

ど愛らしいものだ。

 もし私が空腹で彼女が一人で歩いていた

のならば声をかけ花の一輪でも贈るところ

だが、生憎と彼女は異性とただならぬ関係

を示す行動をとっており私が声をかけるこ

とによってそれが壊れることは私の美学に

も反する。

 私は彼女が自発的に望んで私の元に来る

のならば拒みはしないが、その身は出来る

限り清いように望むからだ。

 それに今日はあまり体調も思わしくはな

い。

 こんな日は静かに過ごすのが一番いい。

 私はそんな考えを巡らせながら二人の横

を通り過ぎ、そしていくつかの角を曲がる。

 休日の雑踏から離れた細い道の先にその

ビルは存在した。

 ビルの1階ではアジア諸国から買い集め

た雑貨を店頭に並べた店で、4階にはテナ

ント募集の看板が掲げられている。

 数か月前にようやくこの店を見つけてか

ら何度か通っているものの人通りがほとん

どないこの場所で店を開こうという者はい

ないらしく、4階は依然として空室のまま

だ。

 2階にはカフェが入っているが、3階に

はカフェを経営している今のマスター夫妻

が暮らしている。

 どうせ借主が見つからないのであればと

いうビルのオーナーの思惑が透けて見える

ようだ。

 私は店先に並べられたアジア風の小物を

横目に細い階段を上がった。




 カランカラン…

 シックなデザインの木製ドアを押し開け

ると、ドアの上部に取り付けられたベルが

澄んだ音を響かせる。

 店内に一歩踏み入れるとまずコーヒーの

香りが鼻先を撫で、古いジャズを流すレコ

ーダーの音が鼓膜を擽った。

 店内には前の時代に作られた家具たちが

並べられていて、深みのあるその色合いと

匂いがまた時間ごと遡った様な錯覚さえ引

き起こす。

 これは今の店主が趣味で集めたアンティ

ーク品なのではなく、それらを買い揃えた

時分から大切に使ってきた物なのだという

ことはこの店に通う様になれば比較的早い

段階で知ることになる。

 入ってきたドアを閉めてしまえばもはや

そこは外界の喧騒から切り離された空間に

早変わりし、独特な空気が全身を包んだ。


「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」


 店内に入るとすぐカウンターの傍にいた

黒髪の青年が声をかけてきた。

 黒髪に黒い瞳。

 髪や目に色を加えたような痕跡もなく、

白シャツに膝下まである黒い腰巻エプロン

を身に着けた姿からは清潔感だけでなく落

ち着いた空気さえ感じ取ることができる。

 若いというのにアーケードを歩く若者た

ちとは少し違った空気を纏っており、その

少し大人びた雰囲気は来店した客にどこか

安心感さえ与えてくれる。


「あぁ」

「ではいつものお席にどうぞ」


 この黒髪のウエイターとはすっかり顔馴

染みだ。

 この店を訪れる頻度は二週間に一度とそ

れほど多くはないつもりだが、三度目に訪

れた時にはもう私のお気に入りの席を彼は

すっかり把握していた。

 頭を下げる彼に軽く片手を上げて応え、

私は店の奥の窓際にある席に腰を落ち着け

た。

 昼の光がさんさんと降り注ぐ窓際の席は

春先や秋口になると外の風を感じられる席

に変わる。

 コーヒーを楽しみながら窓の下を歩く人

々の往来を眺めることもできるので、私は

密かにその席を気に入っていた。


「おしぼりとお冷をどうぞ」

「ありがとう」


 メニューを開くより早く私の目の前にそ

れらが運ばれてきた。

 いや、メニューを開く必要すらないこと

は黒髪の彼もすっかり心得ているからこそ

の対応なのだろう。


「本日のオススメは何かな?」

「自家製の焼きプリンです。

 マスターの奥さんのお手製ですごく美味

 しいですよ」


 淀みのない受け答えをしつつ黒髪の彼が

にこやかに微笑む。

 きっと店に出る前に一つ食べさせてもら

ったのだろうと容易に想像できる笑みだっ

た。





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