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短編集・読み切り
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 席を立ってレジに向かうと金髪のウェイ

ターがレジスターの前に立って精算してれ

る。

 レシートを受け取って財布を上着の内ポ

ケットに入れていると、小走りに黒髪の彼

が駆け寄ってきた。


「あ、あの、これ良かったら」

「これは…」


 焼き菓子が二枚入った小さな透明な袋が

愛らしいリボンで縛られている。

 これはこの店がサービス品として提供し

ているあの焼き菓子だろう。

 だがいくらサービスだといっても帰り際

にまで持たせてくれるようなことはない。


「気持ちはありがたいが、受け取れないよ。

 名目上はサービス品だが、私自身は対価

 を得てよい出来のものだと思っているか

 らね」


 首を振って片手をあげるが黒髪のウェイ

ターは珍しく食い下がった。


「お客様はこれを食べにこの店にいらっし

 ゃっているようなものだからとマスター

 が。

 それに、その…こんなことを言うのは不

 躾かもしれないんですが、今日はあまり

 お元気がないようだったので」


 指摘されて思わず言葉を失ってしまった。

 この黒髪の青年はよく気が付くとは思っ

ていたが、客の顔色の心配までするほどよ

く客の顔を見ていたのだろう。

 私がこの店にやってくるのは決まって口

に合わない食事が続いた後だが、昨日の食

事はあんまりで今日は気分が冴えなかった。

 それもあって余計にあの焼き菓子が恋し

くなり、ここまで出向いたというところが

大きい。

 しかしそれを察知されていたとは、私も

まだまだということらしい。


「いつもご来店いただいているお客様への

 マスターからの感謝の気持ちです。

 どうぞ受け取ってください」


 金髪の青年が穏やかに微笑んで私の背中

を後押しする。

 兄である黒髪の彼へのフォローの意味合

いも勿論あるだろうが、その目には純粋な

感情しか浮かんでいない。

 “こんな事をしなくても初代のマスター

には返しきれない恩がある”と言って断る

ことはできただろう。

 だが、私は結局その小袋を受け取ってい

た。


「ありがとう。

 帰って楽しませてもらうよ」


 影無であれば笑いながら押し付けただろ

う。

 “それ食って元気になったら、またコー

ヒーでも飲みに来い”

 そう言いながら。


「ありがとうございました。

 お気をつけてお帰り下さい。

 またのご来店、心よりお待ちしておりま

 す」


 二人の仲の良い青年達に見送られて私は

店のドアをくぐった。

 澄んだ音が鼓膜を擽り、穏やかで特別な

時間が終わったことを実感する。

 しかし胸の内ポケットには確かに温かい

ものが詰まっていた。


 影無が今どの国の空の下で旅を続けてい

るのか、それは誰にも分からない。

 もしかしたら落ち着く先を見つけて所帯

をもっているかもしれないし、とうに寿命

がきてこの世にはいないのかもしれない。

 それでも叶うならばここに帰ってきてほ

しいと願う。

 貴方が始めたこの店が今どうなっている

のか気にならないのかと。

 影無は気まぐれでこの店を始めたような

ことを言ってはいたが、きっと人でもなけ

れば異形とも言いきれない自分の出生に対

して孤独を感じていたのだろう。

 大雑把な店主が出す大して美味しくもな

いコーヒーを飲みに古くから多くの異形が

この店に集った。

 深刻な悩みを抱えた者が来店したらカフ

ェだというのに客の種族問わず酒瓶を持ち

出して朝まで語らったことも何度もあった

と聞く。

 だから影無の珈琲店は異形の者達の間で

口伝てで広まり多くの者がここに集った。

 『日向珈琲店』

 影無が創めた店では今日も美味しい珈琲

を求めて多くの者達で賑わっている。





              END






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