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短編集・読み切り
§


「ではそれと自家製ブレンドコーヒーを一つ」

「はい、かしこまりました。

 少々お待ちください」


 ウェイターは注文を受けるとそれを慣れ

た手つきでメモをして奥へと引っ込む。

 さして広くない店内に目を向けるとカウ

ンターの向こうで白髪交じりの現マスター

がコーヒーミルで豆を挽いていた。

 店内に漂うコーヒーの芳しい匂いが一層

濃くなる。

 まだ空席はあるとはいえ、ほとんどの席

が客で埋まっている。

 気に入っているこの席が空いていたこと

は幸運であったらしい。

 客層はマスターに近い世代が多いものの、

若い女性客たちの姿も何人か見える。

 アーケードを歩いていれば騒がしそうな

彼女たちもこの店のもつ独特の空気に呑ま

れたのかすっかり大人しくコーヒーを楽し

んでいるようだ。

 客に人間でない者も混じっているようだ

が、それらも一様に穏やかに時間を過ごし

ている。


「お待たせしました」


 温かいおしぼりで手を拭っているとウェ

イターの青年が注文した品を運んでくる。

 湯気の立つコーヒーと愛らしい陶器の器

で作られた焼きプリンが目の前に並べられ

た。

 そして焼き菓子二枚がのせられた小皿が

一つ。

 この小皿は注文したものではないが、こ

の店のサービスだ。

 コーヒー党が集まる店ではあるが、それ

だけでは味気ないとマスターの妻が手作り

の菓子を添えたのが始まりだと聞いている。


「当店自慢の自家製ブレンドコーヒーと本

 日オススメの焼きプリンです。

 ご注文は以上でよろしいですか?」

「あぁ、ありがとう」

「ごゆっくりお楽しみください」


 ウェイターの青年は伝票をくるくると器

用に丸めてスタンドに入れると一礼してテ

ーブルを離れていった。

 まずは湯気の立つコーヒーを口に運ぶ。

 挽きたてのコーヒーの香りを鼻先で楽し

むと一口含む。

 人間であれば香りと共にコーヒー独特の

苦みを楽しめたのであろうが、私の舌が感

じることが出来るのはコーヒーの熱さだけ

だ。

 それでも香りと熱とがこの店の空気と共

に体内に入ってくる感覚は嫌いではない。

 人間より低い体温しかない体の奥にコー

ヒーを流し込むことで感じられる熱は好ま

しくすら感じられる。

 カップを置いて小皿に盛られたクッキー

の一枚をとり、口へと運ぶ。

 口内で噛むと間もなくクッキーの内側か

らどろりとした粘質のある甘みが舌を撫で

る。

 これの原料が何の血であるのか尋ねてみ

たことはないが、恐らく人間のものではな

いであろうという予想はついている。

 昔どこかで味わったことのある気がする

だけに自力で思い出すまでは答え合わせを

したくないという我ながら子供じみた意地

のようなものでもあるという自覚もあるが。


「相変わらず、美味い」


 原料が何かは分からないが、味わうと思

わず感嘆の吐息が漏れてしまう。

 現マスターは年老いてはいるものの、只

の人間だ。

 まさか味見して作っているわけではある

まいと思うのだが、その真相も原材料の答

え合わせの時まで待っておこうと尋ねてみ

たことはない。

 この焼き菓子は初めてこの店に来店した

時からサービスとして提供されている。

 マスターが私を一見しただけで正体を見

破ったという証でもあり、人間であるマス

ターがその辺を歩いている人間達とは違う

のだと私に理解させた。

 だが今ではもう少し違う意味合いももっ

ているのではないかとも考えている。

 もし正体を見破っているマスターの前で

何か問題を起こせば来店拒否される恐れも

ある。

 だからこそ本来なら人間を害する異形達

もこの店の中では大人しいのではないか、

と。
 

 私がこの店に初めて訪れたのは、まだ先

代のマスターが店を仕切っていた頃だった。

 先代のマスターは自らを“影無(かげなし)”

と名乗る異形だった。

 光をあてても体の影ができないことから

そう自称していたらしいが、物を持つこと

もできれば人間と同じ食べ物を摂取するこ

ともできた。

 その出生は本人さえ知らないらしく、長

く放浪の旅を続けた末にこの国で珈琲を提

供する店を出したのだと言っていた。

 恥ずかしい事ではあるが当時の私には持

ち合わせがなく、スッカラカンになるまで

は金銭のことにはとことん無頓着だった店

主にはだいぶ借りができていた。

 店主の口癖である“金は天下の回りもの

だ。金は返せる時でいい。なんなら俺の後

を継いだ奴にだっていいぞ。ちゃんと返し

てくれたらな”という言葉に救われていた

客は私だけではなかっただろう。





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