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短編集・読み切り
§


 落ち着くなぁ…。

 今日初めて出会ったばかりの人の家にお

邪魔しているというのに、まるで自分の部

屋の中にいるようなゆるゆるといた感覚を

覚える。

 いけないいけないと思考を切り替え、何

か別のことを考えようとする。


「あら、体が温かくなって眠くなってしま

 いました?

 今日は冷えましたものねぇ」

「いえ、そんなことは…」


 ちょっとぼうっとしてしまったのを見抜

かれたのが恥ずかしくて首を横に振って慌

てて否定する。

 人様の家で家主が席を外した途端に居眠

りしたなんて知られたら、たとえ相手が兄

貴じゃなくても呆れられてしまうだろう。

 俺もどうしてこんなに落ち着くのか分か

らないけれど、俺に気を使って同意してく

れる女性を困らせてはいけないと唇を引き

結んだ。


「お客様、お名前はなんておっしゃるんで

 す?」

「駆です。

 桐生、駆…」


 なんとか姿勢を崩さないようにしようと

耐えている俺の右腕にするりと割り込んで

きた腕が絡められた。

 二の腕にモロに薄い浴衣越しの柔らかい

感触が押し当てられ、俺が体を離そうとし

ても女性はバランスを傾けて追いかけてく

る。

 細い肩を押せばいいとも考えたけれど浴

衣を羽織っただけの華奢な肩に手を触れる

のも憚られ、躊躇している間にさっきより

も近い位置から問いが投げかけられた。


「駆さん、ね?

 歳はいくつ?」


 柔らかい体に女の人の香り、赤い唇から

囁かれる言葉に意識が縫い留められていく

ような錯覚まで起こってくる。


「じゅ、19ですけど、あの近すぎ…」

「まぁ、可愛いらしい。

 大人の女の体に興味がある年頃なのに、

 気娘のように初心なのね。

 経験はまだ?」


 紅い唇が笑みを形作り、その口元に視線

を奪われた俺の左手を女性が掴んで自分の

首筋へと引き寄せる。


「いえ、あの、俺…」


 しどろもどろになる声が震える。

 拒まなければいけないのに何だか体が泥

のように重く、頭が回らなくて説得するた

めの考えが纏まらない。


 あ、れ…?

 なんか、これ、おかしい…?


 女性に導かれた左手が女性の首元で合わ

せられた浴衣の間に滑り込む。

 指先が女性の鎖骨付近のしっとりとした

きめ細やかな肌に触れて、ようやく左手が

ピクリと震える。


「そんなに緊張しなくても、私がこれから

 一つずつ教えて差し上げます。

 旦那様は暫く戻らないでしょうから心配

 はいりません」

「こんな…ダメです。

 あの、俺にはこいび」


 スッ…


 体も言い分もグイグイ押して来る女性と

押し問答をしながら焦っている俺の耳に襖

が開く音が響いた。


 良かった。

 あの家主でもある男の人が戻ってきてく

れたなら、給仕役の女性もこれ以上は続け

られないはず…。


 ホッとしながら開いた襖の方へと視線を

やると、まだしっとりと濡れる銀髪を後ろ

で一つに束ねた長身が視界に入った。

 涼やかな黒い布地に白い竹縞柄の着物を

鼠色の帯で締め畳んだ扇子を帯に挟んだ姿

はまるでファッション雑誌から抜け出して

きたようで思わず息を呑んでしまう。

 兄弟の中で一番母さんの血を強く継いで

いるはずなの兄貴の浴衣姿は、逆にしっく

りし過ぎて驚くほど兄貴に馴染んでいた。

 そんな兄貴の視線が此方に向き、涼し気

だった目元が刹那刃のようだ鋭さをもつ。

 俺はもう条件反射でビクッと震えてしま

い、おかげでまだ自分の左手が女性の浴衣

の中に入れられたままだったということを

思い出す。


「まぁ、男前がもう一人。

 よろしければお兄様も混ざります?」


 それなのに俺にぴったり体をくっつけて

きている女性はコロコロと鈴のように笑っ

て兄貴を誘うことまでする。

 俺の左手を掴む女性の手が緩んでいるの

に気づいてすかさずサッと手を引き抜いた

ものの、大股で歩み寄ってきた兄貴が痛い

位の力加減で俺の肩を掴んだのは間もなく

だった。





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あきゅろす。
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