[携帯モード] [URL送信]

短編集・読み切り



「違う。俺じゃない。助けて」


 若い男の声が呆然とする耳に滑り込んで

くる。


 そうだ。違う。

 俺はこんな事をしたかったんじゃない。

 俺は…、俺は…。


 目を開いたままぼうっとしていたはずの

少女は頬に涙の跡を残したままいつの間に

か瞼を閉じていた。

 乱れた髪には小さな赤い花のついた和風

のヘアピンがよれて今にも床に滑り落ちそ

うだ。

 投げ出された脚の間からは、再び注ぎ込

まれた白濁が溢れてソファまで垂れている。

 レイプ、事後。

 そんな単語が頭に浮かんで、高取は掻き

消したくて首を振った。


 違う。違う!

 俺はこんなことしたかったわけじゃない!


 動揺して、急いでペニスを下着の中に突

っ込んでジーパンのチャックを上げる。

 そんな事をしてもやったことは取り消せ

ないのに。


【でも、気持ち良かった】


 そうだけど、そうじゃない!


【言葉の通りになっただけだ。

 俺は悪くない】


 あんなの、悪趣味なただの落書きだ。

 そんなお粗末な言い訳、通用するわけな

い。

 誰も信じない、誰も。


 高取は動揺のあまり膝から崩れ落ちたい

のをかろうじて堪える。

 今度こそどうにかしなければならないの

だ、この状況を。

 しかし、どうやって?

 やったことは巻き戻せない。

 この少女がこのままレイプされたと病院

に向かったら、犯人探しが始まるだろう。

 あのハゲオヤジはともかく、同じ学校に

通う俺は顔を覚えられていたらそれだけで

人生が終わるかもしれない。


【自首すれば罰は軽くなる】


 そうだ。

 そうだ、けど…。


 “自首”という言葉があまりに重く両肩

にのしかかる。

 それが正しいと分かっていても躊躇する。


 レイプするつもりなんてなかった。

 本当になかったんだ…。


 学校を無断欠席したり、深夜まで街で遊

び歩いて親に散々怒鳴られはした。

 煙草も酒も、とっくに経験済みだ。

 それでも、誰かが本気で悲しんだり苦し

むような悪事はしてこなかった。

 誰かが一生引きずるような傷をつける真

似はしなかった。


【そう、だから書いたとおりになっただけ

 だ。

 あの男が書いたとおりに】


 現実逃避したくなるほど動揺してはいる

が、いくら何でもそんな妄想に逃げ込むわ

けにはいかないと首を振る。

 俺は確かに性根が腐ってるかもしれない

が、まだそこまで落ちぶれてない。


【ならば何故、目の前の男は動かない?

 この男が動いていたら、こんなことには

 ならなかった】


 …責任転嫁は、見苦しい。

 ついうっかり同意しそうになって、それ

は関係ないと思考を切り離す。

 顔を上げると、男はまだ口の中で“違う”

を繰り返していた。

 その横顔を見ながら、ふとその頬にミミ

ズがのったくったような黒い線が走ってい

るのに気づいた。

 傷や影の見間違いではない。

 少女の体に書かれているのと同じ太さ、

見た目の線がその頬を走っている。

 そののたうつ黒い線が、じっと目を凝ら

すと何となく文字に見えて気がするから不

思議だ。

 ものすごく崩した書体の一筆書き…しか

も慌てて書くのを失敗したような代物。


「…“み”…“ろ”…?」


 “見ろ”

 声に出した言葉が即座に頭の中で変換さ

れてゾクリと背筋に悪寒が走った。

 だからこの男は動けなかったのか。

 だから何もせずにずっと固まったままな

のか。

 その言葉に従って。

 書かれた文字が具現化するなんて、まる

でおとぎ話かマンガの中の世界のようだ。

 普段の俺なら馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い飛

ばして終わりだっただろう。

 けれど、今はそんな気分になれない。

 他でもない自分自身がそれを体験させら

れた…そう考えると妙に辻褄が合ってしま

うからだ。

 そして、気づいたことがもう一つ。


 誰だ、お前…。


 頭の中で響いていた声。

 心の片隅で現実逃避したい自分自身の声

だとずっと思っていた。

 けれど、違う。

 コイツは俺が気づいていないことに既に

気づいていた。

 まるで答えに誘導するように。


【……】


 そいつは答えなかった。

 そして含むような微かな笑い声を残して、

それ以上はどんな感情をぶつけても何も返

ってこなかった。





[*前][次#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!