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短編集・読み切り



「…イけなくても、いい」

「うん?どういうこと?」


 彼もそう思ったのだろう。

 私自身もとっさに返してしまった言葉に

戸惑った。

 これでようやく解放されるというのに自

分は何を言っているのかと。

 しかし口から出てしまった言葉はもう取

り返しがつかず、首を傾げる彼に告げなけ

ればならなかった。

 再び喉が干上がる心地がした。

 しかも先程の比ではないほどのスピード

で舌が乾いていく。

 まだ快楽が残る体とはいえ、自分がそん

なことを言えるような人間でないことは知

っている。

 いや、そういう人間なんだと思っていた。

 言うべきではないことも理解している。

 けれども、もし拒絶されてもここで一歩

踏み出せなければこんな機会はこの先二度

と訪れないだろうという予感はあった。

 だから勇気を振り絞る。

 遠からず彼とは接点を失う。

 それならば世間体や理屈など気にせずに

素直になりたかった。


「イけなくてもいい、から…もう一度…」


 これで最後でも、彼が拒んでも、この快

楽を知ってしまったら知らなかった過去に

は戻れないから。

 彼は驚いたのか、それとも思案している

のか指先でグチュグチュと音をたてながら

返事をしなかった。


「嫌なら忘れて」

「嫌なんて言ってないだろ」


 沈黙に耐えかね、臆病風に吹かれて言っ

たことを撤回しようとしたら、言いかけた

言葉を遮られた。

 驚くのはこちらの方で、その言葉をどう

とっていいのか迷った。


「俺はさ、センセが知ったような澄ました

 顔でいるのがムカついただけなんだよね。

 抵抗もできない状況で男に犯されるって

 いうのがどういうことなのか身を以て解

 らせられたら充分だと思ってた」


 グチュリといつの間にか指を咥え込むよ

うにしていた縁を捲り上げるようにして彼

の指先が体外へ出ていく。

 とっさに鼻から震える吐息が逃げる。

 圧迫感を失ったそこは濡れながら物足り

なさそうにキュッと窄まった。

 澄ました顔…彼はそう言うけれど、ただ

でさえ新米の私が自信なく頼りなさそうに

していたら診察など受けたくもなくなるだ

ろう。

 だからこそそんな不安を与えないように

せめて背筋は伸ばしていようとしただけだ。

 しかし今その誤解を解こうとして言葉を

紡いだとして誤解が解ける可能性は五分五

分だったし、そうすることで万が一彼の機

嫌を損ねて彼の気が変わることを恐れた。

 あれほど一刻も早く終わらせてしまいた

いと願ったのに、彼の気が変わって続きを

してもらえないことを恐れている状況は滑

稽だった。

 こんなことができるのも彼との接触がず

っと続くわけではないと分かっているから

だ。

 こんなことは今夜限りだと思うから素直

にも大胆にもなれる。


「だからさ、証拠も残すつもりなかったし

 ヤリ捨てて帰ろっかなって思ってたんだ

 けど」


 サラリと言うから聞き流しかけてしまっ

たけれど、どうやら彼を怒らせたままだっ

たら本当に洒落にならない事態になってい

たのだと思うと今更ながらに肝が冷えた。

 彼は本気になったら本当に慈悲も容赦も

ないタイプだと思う。





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あきゅろす。
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