[携帯モード] [URL送信]

短編集・読み切り
§


「残念ですが、弟もこれから予定が入って

 いるんです。

 どうしても濡れたくないのであればタク

 シーでもなんでも呼んで下さい。

 お引き取りいただけますか」

「いや、本当にすぐそこなんですよ。

 お手間はとらせませんから!

 困った時はお互い様っていい諺もあるじ

 ゃありませんか。

 ね、旦那。

 助けると思ってお願いしますよ」

「あ、その…」


 兄貴の表情に露骨に苛立ちが見え隠れし

始める。

 俺はと言えば、傘の柄と一緒に両手で手

をぎゅうっと握りしめられて懇願され、断

るに断れない雰囲気に呑まれていた。


「駆」

「えっ、あっ何?」


 機嫌の悪そうな兄貴の声にそちらを見る

と、兄貴は俺の握っていた傘を横から抜き

取った。

 そして俺の手を握りしめていた男の人の

手にその傘を握らせる。


 …え?


「行くならさっさとして下さい。

 お礼なんて結構ですから」


 兄貴はもう問答している暇さえ無駄だと

思ったのか、さっさと行けと促す。

 けれど買ったばかりの傘を渡してしまっ

たら俺はどうすればいいんだろうと困惑す

る。


「えっ、あっしが使っちまっていいんです

 かい?

 そっちの旦那は…」

「ご心配なく。

 弟は僕の傘に入れますから」


 兄貴はここまでさしてきた傘を開き、目

で俺に入る様に促してきた。


「そうですか?

 なんだか申し訳ないですねぇ。

 じゃあお言葉に甘えて」


 男の人は相変わらずヘラヘラしながらビ

ニール傘を開き、雨の中に踏み出してしま

う。


「駆、早くしなさい」

「ぁ…うん」


 断り切れなかった俺も悪いとはいえ、誰

かの視線があるところで兄貴と同じ傘に入

るのはなんだか照れくさい。

 しかしここで俺がごねたら余計に面倒な

ことになるかなとも思って大人しく兄貴の

傘に入れてもらった。


「しかし仲の良いご兄弟だ」


 しみじみとそんな風に言われて鼓動が震

える。

 いくら兄弟でもくっつきすぎだろうかと

か気になってそわそわしてしまう。

 しかしそんな俺の心配など気づかない様

子で男の人は先を続けた。

 
「毛色は違ってもやはり童の頃から共に育

 てば自然と似通ってくるものなんですか

 ねぇ」

「えっ、似てますか?」


 初対面の人にそんなことを言われたのは

初めてで、思わず尋ねてしまった。

 外見からして全く似通っていないし、性

格も兄貴とはあまり似てないと思う。

 どこを見て似ているというのか、それが

とても気になった。


「いやぁ、何となくですがね?

 これと断言することはできませんが、何

 となく似ているような気がするんです」


 初めてそんなことを言われた。

 驚いたけれど、ちょっと嬉しい。

 外見が違い過ぎるせいか“本当に兄弟?”

と尋ねられることはあっても、その逆はな

かったから。


 そっか。そっかぁ…。


 頬が自然と緩んでしまうのを兄貴に指摘

されて慌てて引き締めた。

 でも兄貴は全然嬉しくないんだろうか?

 尋ねてみたいと頭の隅で思ったけど、兄

貴は俺を庇ってずぶ濡れになった挙げ句に

俺が立ち寄ったコンビニでしっかり断りき

れなかったせいで思わぬ遠回りをして家に

帰らなければならなくなっている。

 それを考えれば兄貴の機嫌が悪いのは当

たり前で、俺にも非が少なからずあると思

い出して口をつぐんだ。



 大通りから脇道へ入り、民家の間を通り

抜けた先に目的地はあった。

 そこそこ築年数の浅い住宅地を抜けた四

辻の先に古風な日本家屋が静かに佇んでい

る。

 門構えだけでも立派なもので、着古した

着物だとか傘も買えないようなお財布事情

などまるで嘘のようだ。

 呼び鈴を鳴らすとすぐに大きな門が開か

れ、中にいた使用人らしき人が“お帰りな

さいませ、旦那様”と恭しく頭を下げる。


「ささっ、中へどうぞ。

 傘を貸していただいたご恩返しをたっぷ

 りとさせて頂きますよ」

「いえ、ここで結構です。

 近所なので家に帰った方が早いですから。

 駆、帰りますよ」


 兄貴は俺の方へと伸ばされた男の人の手

をさっと退けて、代わりに手を差し出す。

 貸している傘を返してくれということだ

ろうか。


「いやいやいやいや!

 とんでもない!!

 恩義は必ず返すようにと先祖代々それは

 厳しく言い伝えられていましてね。

 ここまで傘を貸していただいた御仁を何

 もせずに帰したら、あの世でご先祖様に

 怒られてしまいます。

 あっしを助けると思ってもてなしを受け

 て下さいよ、旦那」

「いえ、あのそういうつもりで送ってきた

 わけじゃないんで。

 困った時はお互い様っていうし」


 困惑しながらお礼なんて要らないからと

辞退するが、首を振る俺にも納得してくれ

なかった。


「そうですよ!困った時はお互い様です。

 そっちの旦那は着物が濡れているんでし

 ょう?

 どうか風呂で温まっていってください。

 服を乾かしている間に雨足もマシになる

 かもしれません」


 “ね?”っと強い口調で同意を求めながら

傘を持ったまま門をくぐってしまう。


「おい、誰か。

 お客様をご案内しな」


 兄貴にどうしようと目配せする暇もなく、

男は掌を叩いて奥へと声をかける。

 奥から数人の着物を着た女の人達が出て

きたのを見て、これはもうもてなしを受け

なければ帰れなさそうな予感をひしひしと

感じた。

 隣から聞こえた溜息には呆れとも苛立ち

ともとれる何かがこめられていた。

 こちらから口を挟む隙も与えずにあれよ

あれよと言う間に兄貴は風呂場へと案内さ

れていき、俺は俺で男に連れられて大広間

へと通された。

 既にそこには宴席が用意されていて、沢

山の料理がのせられた膳がいくつも並び、

部屋の中央では艶やかな着物を着た女の人

達が和楽器の音に合わせて躍りを披露して

いる。

 何だか時代劇の世界に紛れ込んでしまっ

たような錯覚を受けるほどで、あまりの場

違いっぷりに男に促されなければこのまま

帰ってしまいたい気分になっていただろう。

 ともかく傘を買うお金もないと言ってい

たことさえ忘れてしまうほど華やかな夕食

の席で、本当にたまたまお金を持っていな

かっただけなのだろうと思った。


「ささっ、此方へどうぞ」


 上座に置かれた膳の前へと俺を促しつつ

男が手を叩くと、間をあけずに襖が開いて

酒をもった女の人達がすぐ横に来て座った。


「さぁ、座ってくださいな。

 冷でも熱燗でも、好きな方をお注ぎしま

 す」

「いえ、あの俺は未成年なので」


 徳利を持って促してくる浴衣姿の女の人

に首を振って辞退する。

 困った時は御互い様と傘を貸したけれど、

ここまで大袈裟に礼をされると恐縮してし

まう。


「歳なんて固いこと言わなくてもいいじゃ

 ないですか。

 ほらこんなに立派な体をしていらっしゃ

 るんだから一杯くらい、ね?」


 女性はしなだれかかってきながら俺のT

シャツ越しに胸を撫でてくる。

 仄かに薫ってくる女の人の匂いにドキッ

としたけれど、アルコールはダメだと強引

に思考から切り離す。


「そういう訳には…。

 アルコールは二十歳になってからって決

 まってるじゃないですか」

「ん、もう。

 真面目なんだから」


 俺の胸を人先指でつついてようやく体を

離してくれる。

 俺は影でこっそり息を逃がして肩の力を

抜く。

 今まで女性に意図的にここまで密着され

たことがなく、柔らかい体から香る女性特

有の甘い匂いにクラクラして心臓を落ち着

けるのにちょっと苦労した。

 甘えるような声で囁かれるとただでさえ

緊張してドキドキしている心臓に悪い。





[*前][次#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!