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短編集・読み切り



「………」


 答えは手の届くところにある。

 彼が私を脅す為に使っていたノーラベル

のDVD。

 あの時に彼が言っていたことだ。

 彼の声がしっかりと録音されていたら、

その話題についても記録として残っている

はず。

 けれど、それを確かめる為に今からあの

DVDを見返すなんてまともな神経ではな

い。

 ただでさえ夜が遅く体も疲れているし、

何より明日だっていつもの時間に出勤しな

ければならない。

 そればかりか、忌まわしき過去の記憶を

容赦なく思い出すことになる。

 それも第三者の視点から。

 心に余裕ができてから見返すのは問題な

いかもしれない。

 一生そんなものを見ずに済むならそれが

一番いい。

 けれど、今はまだ問題解決の糸口が見つ

かったというだけで実際に解決できたわけ

ではない。

 心にショックを受けて、それを受け止め

消化するだけの余裕も時間もない。

 まして明日はその彼に転院通告をしなけ

ればいけないという大きなプレッシャーも

かかっている。

 そんな前夜に、必要以上の精神的負担を

背負うものじゃない。

 私は自分が、自分の心がどれだけ脆いか

よく知っているのだ。

 けれど…。

 あんなことがあったとはいえ、こんな形

で患者を投げ出すことが医者として本当に

正しいのかという疑問が頭をよぎる。

 何が正解で、どうすればこんなことにな

らなかったのかなど今でも解らない。

 けれど私は医師として彼に十分な治療を

行えたのだろうか。

 その自問に、自信を持ってYESとは言

えない。

 気づけば私はベッドの中から這い出して

プラスチックケースを手に取っていた。

 答えはこの手の中にある。

 こんな形で患者を手放すのならば、最低

限医師としての責務を果たさなければなら

ない。

 明日にも彼を手放そうとしている私がこん

なことをしても手遅れかもしれないが、医師

として彼を担当した以上、最後まで彼の担当

医でいようと思った。

 いや、そうありたいと願った。


「…っ」


 パソコンのドライブにDVDをセットす

るとドライブの中で円盤が回転してすぐに

再生用のプログラムが立ち上がる。

 使い慣れた椅子にゆっくりと腰かけ、汗

ばむ掌を意識しながら頭の何処かで逃げ出

したくなる衝動を堪える。

 ちゃんと観て振り返らなければならない

のだ。

 朧げなあの夜の記憶を。

 彼が何気なく口走った言葉を。

 回転音が静かになったと思ったら再生ウ

ィンドウに見覚えのある物置が映し出され

た。

 もう使わなくなった椅子や机といった、

簡単には処分ができない不用品の一時的な

物置として使われている部屋だ。

 普段は誰も立ち入らない部屋であり、院

内ではなく少し離れた場所に建つ建物の一

室。

 不用品の物置である為に施錠管理はされ

ていないが、たとえ日中であってもよほど

大きな物音でもたてなげれば誰かがいるな

どとは思わない部屋だ。

 芹澤一也が何故そんな患者には縁のない

場所を知っていたのかという疑問は浮かん

だが、それに考えを巡らせるより早く誰か

の気配が室内に入ってきた。


「…っ!」


 あの夜の記憶は怪我と睡眠不足の引き起

こした頭痛のせいでハッキリと覚えている

わけではない。

 だが彼に荷物のように担がれて運ばれる

自分の姿を見るのはやはりショックだった。

 芹澤は手錠で拘束されていた私の上半身

を物置に置かれていた机の上に投げ出して、

カメラのチェックをしにレンズに近づいて

きた。

 ここにきて私はこのDVDを再生してし

まったことを早くも後悔し始めていた。

 この後この部屋で何が起こるのか、何と

なく覚えているのだ。

 むしろ私の体はこれ以降の休日に呼び出

される度に彼自身の手で何度も繰り返し思

い知らされてきた。

 それを最後の診療の前日の夜になって記

憶を掘り起こして何になるのか。

 彼を手放すと決めて…彼から逃げ出すと

決めてしまっているのに。

 今更医者としての顔つきだけ整えたとこ

ろで、彼の前で何度も平伏し懇願しはした

なくねだった事実は覆るはずもないのに。

 再生プログラムを停止しようと手を伸ば

しかけた目の前で、カメラの傍にいた彼が

動いた。

 目隠しをされたまま意識を取り戻した私

が身動きが取れず手錠を動かすのをじっと

観察した後のことだ。

 その彼の目を見て、手が動かなくなって

しまった。

 その目を私はよく知っている。

 金属のような冷たさで突き刺してくるの

に、その内にドロドロとした欲望を秘めた

眼差し。

 甘えなどひと欠片も許さないのに、彼が

望むまま彼の前で自らの欲を曝け出して懇

願し平伏さなければ容赦なく鞭打たれる気

がしてしまう。

 いつも時間と場所のみで呼び出す彼が私

に向ける目だ。

 そうこうしている間に画面の向こうでは

意識を取り戻した私が問答している間に彼

に下半身を剥かれてしまった。

 ローションを垂らされてグチグチとアナ

ルを弄られているのを見ていると、聞こえ

もしない水音が耳の奥で響き渡る。

 知らず触れてもいない場所がキュッと窄

んで反応し、それによって擦られた股間が

窮屈に思えて身じろぎした。

 画面からは目が離せないのに、プログラ

ムを閉じようとしていた右手は股間へと滑

り落ちる。

 思った通りの熱が窮屈そうに収まってい

て、そんな自分の体の反応に困惑しか出て

こない。

 強姦された時の記憶など殆どの人間にと

ってトラウマにしかならないというのに。

 おかしい。

 おかしいとは思うけれど画面から目を離

すことはできず、下半身の反応は私の気持

ちをやすやすと裏切る。

 視線は画面に釘付けになりながら窮屈な

股間をパジャマの布地越しにやんわりと宥

めようとして、そもそも芹澤の言葉を確認

するためにこの録画DVDを観ているのだ

と掌の動きをかろうじて自重する。

 鼻から息を逃がして椅子の上で身じろぎ

するが、腰の位置をずらす時に布地に股間

を擦られて吐息が熱をはらんでしまう。

 医者としての顔が顔から剥がれ落ちそう

になるのを、辛うじて止まる。

 彼は転院予定の患者だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 そうでなければならなかった。





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あきゅろす。
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