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短編集・読み切り



「はーっ。腹一杯。

 ごちそーさまっ」


 心ゆくまで堪能したとでも言う様にもう

一度両手を合わせると、くつろぐ姿勢で自

分の腹部をさすって満足そうに笑う。


「あれ、食べないの?」

「うん?なんだか腹一杯になったし。

 もういいよ。

 サンキュ、えぃちゃん」


 言っておくが、彼は麺どころか汁さえす

すっていない。

 強いて言うなら、湯気を…香りを吸って

楽しんでいただけだ。

 それで腹一杯とは、どれだけ安上がりな

のか。


「えっと、無理してない…?」


 もしかしてやっぱり僕に遠慮して、腹一

杯になってフリでもしているんだろうか。


「ううん?全然。

 えぃちゃんも食べなよ。

 早くしないと、麺伸びちゃうよ?」


 緑の天ぷら蕎麦を譲って気持ちよく目覚

めるはずが、逆に天ぷら蕎麦を勧められて

しまった。

 なんだか、おかしい。

 僕はそんなに食い意地は張ってないはず

なんだけども。

 まぁ夢だからいいか、と自分を納得させ

て彼の方へやった容器を自分の方へと引き

寄せて箸を手に持つ。

 じっとこちらを見つめてくる視線を感じ

る。

 誰かにじっと見られながら食事するとい

うのは、とても食べにくい。

 ただでさえ、食事の時に誰かが側にいる

というのも久しぶりだというのに。

 大学に通っていると言っても友達と呼べ

る人がいるわけでもなく、実家への帰省も

金銭的な理由から消極的になっている。

 バイトしているとは言っても実家は遠方

で、今以上にバイトの日数を増やすのも面

倒だし、かと言って生活費を切り詰めてま

で帰省したいかと聞かれたら答えはNOだ

からだ。 


「…見られてると食べにくいよ」

「あ、そっか。

 んー、じゃあ何か話してよ」

「何かって?」

「何でもいいけど。

 ほら、俺は色んなこと忘れちゃってるか

 らさ。

 もしかしたらえぃちゃんの話聞いてる間

 に何か思い出すかもしれないし」


 何かと言われても困る。

 誰かに話して聞かせるような立派な体験

なんてしてきていない。

 大学は就職を考えて無難な学部を選んだ

し、出された課題やレポートは平均を目指

しているだけでやりがいがあるわけでもな

い。

 サークル活動も月一回だけの集まりだし、

バイトだって生活費や多少の小遣いを稼ぐ

為にしてるんであって、将来のことを明確

に見据えて何かをやっているわけではない。

 大学に進学して分かったのは、高校生の

時に思っていたほど大学生は大人じゃなか

ったってことくらいだ。

 大学生になったからといって急に大人に

なれるわけじゃなく、急に将来を現実的に

見据えられるようになるわけでもない。

 ただ周囲が、様々な地方から集まってき

た者たちが寄り集まって同級生になったと

いうくらいだ。

 友達付き合いの上手な者なら色々なもの

を吸収できるのかもしれないが僕はそうい

う器用なタイプではないし、逆に高校の時

のようなイベントを通した妙な一体感みた

いな感覚も希薄だ。

 “自ら学ぼうとしなければ何も学べない

所”…オリエンテーションか何かでどこか

の教授が言っていた言葉だ。

 その言葉の意味は、おそらく高校の時と

比べれば明らかに現実味をもって僕に迫っ

ていた。

 でも、どうすればいいのかわからない。

 どうすれば変われるのか、わからない。

 唯一わかるのは、僕自身が呆れるほどに

空っぽな人間だってことだけだ。


「えぃちゃん?」


 黙りこくって汁をすする僕に声がかかる。

 容器の向こうに首をかしげる彼の顔が見

える。

 けれど彼に知られたくない。

 どうせ目覚めれば消えてしまう幻ならば、

夢の中でくらい情けない人間でいなくたっ

ていいじゃないか。

 後ろ向きで空っぽな人間だなんて自分か

ら白状する必要はないはずだ。


「子供の頃の夢ってさ、覚えてる?」

「ぜーんぜん。

 なーんにも覚えてないし、俺。

 えぃちゃんは将来何になりたかった?」

「僕は…僕は、写真家になりたかった」


 僕の小さな告白に、へぇーと彼が相槌を

うつ。

 夢の中だから言えること。

 消えてしまう幻の中でしか言えないこと。


「世界中の海とか森とか山とか、そういう

 綺麗な景色を写真に撮って写真集を出し

 てさ。

 有名なカメラマンになるまでは大変だろ

 うから、翻訳の仕事を兼業したりして旅

 費を稼いだりしてさ」


 子供の頃、誕生日のプレゼントに貰った

風景の写真集を思い出す。

 本がボロボロになるまで何度も見返して、

その本は今でも実家の物置のどこかに眠っ

ているはずだ。

 オモチャのカメラを肌身離さず持ち歩い

ていた僕に、ある日父がお古のカメラをく

れて…。

 擦り切れた写真集と一緒にそのカメラを

段ボールに詰めて押入れの奥に追いやった

のはいつだっただろう。

 僕のような凡人に誰かを感動させるよう

な写真は撮れないと、ハッキリ自覚したの

はいつだったか…。





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