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短編集・読み切り



 誰にでも一つや二つ嫌いな食べ物がある

だろう。

 僕にとっては人参がそうだった。

 昔、両親に連れられて田舎の祖父母の家

に泊まりにいった時に出された豚汁を食べ

た時からダメになったような気がする。

 田舎の肥沃な土で育った人参は人参独特

の風味が強く、また皮の近くの方が栄養価

が高いからと大雑把な処理をされた人参は

どこか泥臭いようにも感じられて食べられ

なくなった。

 それからどんなに細かく刻んでも避けて

食べようとする僕に、ある日母がキレた。


『世界にはね、食べたくても食べられない

 人たちがいっぱいいるんだよ!

 こんなに人参残して、申し訳ないと思わ

 ないの!?』


 母なりに我が子の栄養が偏らないように

と食わず嫌いする僕の為に努力してくれて

いたのだろうと今ならわかる。

 けれど当時の僕は反抗期まっさかりで、

そんな母の頭ごなしの怒声がひどく不愉快

だった。


『だったら、この人参その人たちに送って

 あげてよ』


 実際に思ったことをそのまま母に言い返

したのかどうかは覚えていない。

 ただその後で母に頭を叩かれ、夕食を下

げられてしまったのは覚えている。

 僕は昔から大人しい子だと言われてきた

し、もっと言えば臆病で気の弱い人間だっ

た。

 けれどクラス委員に任命されるような面

倒見の良さはなかったし、募金活動に積極

的に参加するようなボランティア精神旺盛

な人間でもなかった。 

 ただそれを必要としない人間とそれを必

要としている人間がいるのであれば、必要

としない人間が必要としている人間にあげ

ればいいじゃないか、というごくシンプル

な考えだった。

 けれどそれは実際、容易なことではない。

 物理的な問題、金銭的な問題、時間的な

問題…。

 そういう問題を全部クリアできなければ

それを必要としている誰かに何かを与える

ことなど出来ない。

 それらをクリアしたとしても与えられな

いものは…。




 駐輪場に自転車を停め、レンタルショッ

プの帰り道に寄り道したコンビニの袋を片

手に外階段に向かう。

 建物の角を曲がろうとして、ふと出かけ

る時に階段ですれ違った人の存在を思い出

す。

 わざわざコンビニに寄り道したのだから

もうあれからいい時間が経っているのだが、

まだ階段に座り込んでいるだろうか。

 出かける時は丸まった背中を横目に階段

を降りるだけだったが、部屋に戻る時はあ

の人物が少し顔を上げただけできっと目が

合う。

 いくら僕が男だと言っても、夏の深夜を

回った時間に見知らぬ誰かに絡まれたくな

んてない。

 “顔を上げませんように”

 階段を降りた時と同じようにただそれだ

けを祈りながら階段を一段一段上る。

 その人影の横を通りすぎようとした、そ

の時。

 緊張した足元が少しよろけて、持ってい

たコンビニの袋が人影の方へ揺れた。


「…チクショ」


 地を這うような、血を吐くような、低い

声音。

 袋が当たったとしても感触はなかったし

かすった程度だったはず…とパニックを起

こした頭が気づいたのはずっと後で。


「すっ、すみませんっ」


 喉からやや裏返った声を絞り出した体が

ギュッと目を閉じて反射的に頭を下げてい

た。


「………?」


 しかしどれだけ待っても返ってきたのは

無音。

 沈黙に耐えられなくなって、ゆっくりと

閉じていた瞼を持ち上げた。


「……」

「………」


 目が、合ってしまった。

 正しくは“瞼を上げてみたらガン見され

ている目を直視してしまった”という感じ

だろうか。

 そしてそのまま動けない。

 顔を上げてみるとその人影は二十歳前後

の明るい茶髪の男だった。

 夜の暗がりでも健康的に日焼けした二の

腕が白いシャツの袖から覗いていて、小学

校の頃からモヤシと呼ばれ続けてきた僕の

コンプレックスをチクチクと刺激した。

 それと同時に幼い頃から僕をからかって

いじめてきた同級生たちを思い出す。


 嫌だ。

 大学生になってまであんな奴らみたいな

のと付き合うのは嫌だ。


 体が緊張して身構える。

 そして目の前にいる男の次の一声を待っ

た。





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