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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode



「《王子は》…《王子は手で彼女の頬に触

 れようとし、だけど出来なかった》。

 《何故なら、彼にはもう、力が残ってい

 なかった。…長い間、吸血を拒んだから》」


 俺が今訳しているのは、吸血鬼の王子と

人間の少女の物語だ。

 手渡された本のお話の中で俺が一番気に

入るかもしれないとクロードに言われたら、

一番に和訳してみたくなったのは当然の成

り行きだった。


 物語のあらすじはこうだ。

 昔、吸血鬼の王には二人の王子がいたが

弟の王子は《禁忌の子》だった。

 純血の吸血鬼である兄と違い、弟は吸血

鬼の王である父が戯れに妖精と交わりこの

世に生み出した子供だった。

 血色の髪と瞳は弟王子が二つの種族の血

をひく《禁忌の子》である証。

 《禁忌の子》の能力は破滅をもたらすと

され、同族間でも忌み嫌われていた。

 きっかけは酒場で起きた些細な口喧嘩で、

弟王子はその身の内に眠っていた《禁忌の

子》の力をそれと知らず暴走させてしまう。

 被害は酒場のみならず周辺一帯に及び、

事態を重く見た父王は弟王子を生き物の

住みつかない暗い森の館に幽閉し、面会

の一切を禁じた。

 生き物の血を糧としている吸血鬼にと

ってそれは文字通りの絶食を意味し、

“死に至るまで飢え、渇き続けよ”とい

うのが父王の下した罰だった。

 暗い森には光があまり入らず、華やかな

花も咲かなければ豊かな実りもない。

 だから動物もあまり寄り付かず、近くの

人が暮らす村でも“入れば迷う惑わしの森”

と嫌煙されていた。

 それでも時折小鳥やリスが迷い込んでく

ることがあり、渇き続けていた王子は我を

失いその血肉を貪ることを繰り返した。

 が、一時その僅かな血肉で飢えと渇きが

満たせたとしても死に至るまで王子の幽閉

は続く。

 そんな状況で一掬いにも満たない血を得

られたところで体が干からび続ける苦痛の

時間が引き延ばされるだけだ。

 王子はやがて吸血行為そのものを厭うよ

うになり、一日の殆どを寝台の上で眠って

過ごすようになった。

 独りきりで、動物にも人にも視界に入れ

ず、体は枯れるに任せていればいつかは灰

になれると…生きることそのものにとても

消極的になっていった。

 王子は吸血し続けなければ生きられない

自分の体を恨み、吸血鬼特有の長寿がその

苦行を長引かせることに絶望していたのだ。

 100年を超える歳月は王子を変えてし

まうのにも十分な時間だった。

 そんなある日、王子の住む洋館に幼い少

女が一人迷い込んだ。

 どうやら村の子供たちと鬼ごっこをして

いる間に森に入り込んでしまい、帰り道が

分からなくなったらしい。

 少女は帰り道を探して森を歩く間に怪我

をしており、それが元で高熱を出して倒れ

てしまう。

 眠り続けていた王子は嫌々ながらも体を

起こし、少女を看病して、怪我が治ると森

の外れまで連れて行って村へ帰る様に促す。

 “また会いたい”とせがんでその場を動

かない少女は王子がどんなに種族の違いを

言い聞かせても納得せず、ついに王子は一

つの約束を少女と交わす。

 《10年後、お前がまだこの約束を覚え

ていて、お前が俺好みの美しい女に成長し

ていたら考えてやる》

 笑顔で手を振って村へ帰っていく少女を

見送りながら、王子は近くの茂みから二人

を見守っていた知り合いの妖精に声をかけ

る。

 “あの少女のここ数日の記憶を消してく

れ”、と。

 吸血を拒み続け日に日に衰えていく王子

が人間の少女と関わり、少しでもその血を

吸ってくれたらと期待していた妖精は少女

を無傷で返したばかりか再会のチャンスす

ら自ら断とうとする王子に目を丸くする。

 いくら吸血鬼でも、このままでは死んで

しまうと。

 それでもがんとして譲らない王子に従う

形で妖精が少女に魔法をかけると、少女は

心配する両親が待つ家に帰り着くより早く

森で過ごした日々を忘れてしまう。

 そして10年の時が流れた。

 妖精の魔法は完璧ではなく、最後の約束

の言葉をほんの少しだけ覚えていた少女は

失われた残りの記憶を求めながらも美しく

成長した。

 妖精は少女に姿こそ見せなかったものの

暗い森へと少女を誘い、やがて少女はあの

洋館へと辿り着く。

 失われた記憶を一歩踏み出すごとに思い

出しながら、少女は10年前に通った廊下

を駆け出す。

 辿り着いた部屋では10年前と殆ど変わ

らぬ姿で王子が寝台に横たわっていた。

 かすれいく意識の中でもうすぐ灰になれ

ると喜んでいた王子は少女の訪れに驚き、

戸惑った。

 血色の悪い王子を見下ろしながら泣きじ

ゃくる少女の頬に流れる涙を拭おうと王子

は手を伸ばして…。


「なんだか…切ない、よなぁ」


 俺はペンを置いて深く息を吐き出した。

 目を閉じて、視点を少女に切り替えて考

えてみる。

 森で迷ったところを助けてくれたのは吸

血鬼。

 怪我して歩けない少女は、出会ってすぐ

に“早く治らないと喰ってしまうぞ”と王

子に脅されて怯える。

 けれどそんな骨皮の体では食べ応えがな

いと文句を言いながら日に三回運ばれる食

事と薬草。

 少女は王子の不器用な優しさに気づいた

だろう。

 こんな広い館にどうして一人で暮らして

いるのかと尋ねた少女に、“一人のほうが

気が楽だから”と答えた王子の強がりと孤

独も、もしかしたら。

 だから別れ際に“今度来たら本当に喰う

ぞ”と脅す王子の言葉に怯えなかった。

 もう一度会いたいと幼い少女を突き動か

した気持ちは、何だろう?

 それを考えると、切ない気持ちがじんわ

りと胸に広がる。

 種族の違い。

 喰らう者と喰らわれる者。

 寿命の差。


「……」


 クロードが初めて来日した時の事を思い

出す。

 母さんが行方不明になって、クロードと

兄貴と麗の間で板挟みになっていたあの時。

 クロードは言った。

 純血の淫魔は400年生きる、と。

 しかもただ長寿なだけでなく、淫魔は若

い姿のまま長い時を生きて最後の数年で一

気に老いて死に至ると。

 純血の淫魔である母さんの血が半分入っ

た俺達兄弟はどれだけ生きて、どう老いて

死ぬのかは分からない。

 けれど淫魔の血を色濃く引いていれば淫

魔に近い生涯になるかもしれないから、ク

ロードの…クラウディウスの庇護下に入っ

たほうがいいと。

 …あの時は突然知らされたことに困惑し

て、言われた言葉を噛み砕くので精一杯だ

った。

 けれど今その言葉を思い出すと、当時は

感じなかった苦い気持ちが湧き上がる。

 母さん似の兄貴や麗とは違い、俺は人間

である父さんの血を濃く継いでいる。

 その理屈で考えるなら、俺は人間に近い

生涯を送ることになるだろう。

 …純血のクロードとは、きっと違う。





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あきゅろす。
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