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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「…行ったっきりにならない?

 ちゃんと夏休みが終わるまでに日本に帰

 してくれる?」

「ちゃんと帰すって。

 疑ってるん?」

「だってあの時…連れてっちゃえばどうと

 でもなるって話してたし…」


 俺の限界を無視したお仕置きに疲労困憊

して送ってくれた車の中で聞いた話。

 忘れていないから、と視線に込めて見つ

めるとクロードはバツが悪そうに苦笑いを

浮かべた。

 そして咳払い一つで真剣な顔つきになる

と、自分の胸に手をあててから俺が首から

下げている指輪にそっとキスを落とした。


「ちゃんと約束通り日本に帰す。

 俺の名と、この指輪に誓って」


 まるで映画のワンシーンを切り取ったよ

うだ。

 けれどクロードのそれはちゃんと様にな

っていて、真摯な視線で見つめられると目

をそらせなくなる。

 心音が不安とそれ以上の期待との間で揺

れ動いた。

 あとは、あとは…。


「他には?

 もう心配事はないか?」

「ある、多分…」

「多分て」


 考え込みながら呟くとクロードは明るい

笑い声をたてた。

 頷いてしまいたくて、けれど言葉にもで

きない漠然とした不安が素直に頷かせてく

れない。

 そんな俺の気持ちすら見透かしたみたい

に。


「言葉にも出来ひんような心配事なら、き

 っと実際に暮らしてみれば解決すると思

 うで?

 言葉も通じん文化も違う土地に行くんは

 誰でも不安や。

 でも行ってみて暮らしてみんことには分

 からんこともぎょーさんあるやろ。

 駆が困らんように俺がきっちりフォロー

 するさかい、俺を信じて一緒にイングラ

 ンドに来てくれへん?」


 握る手にクロードの力がこもる。

 迷う俺を引っ張ってくれそうな掌に安心

感を感じなかったと言ったら嘘だ。


「クロードもそうだった?」

「うん?」

「初めて日本に来た時」

「うーん、そうやなぁ…」


 俺の問いかけにクロードは記憶を遡るよ

うに視線を巡らせるがすぐに俺に視線を戻

す。


「少しだけ、な?

 でも俺はそれ以上に早く駆に会いたかっ

 た」

「そっか…」


 いつも自信ありそうなクロードでさえ異

国の地へ行くのは怖かったのか。

 そう思ったら少しだけ心が軽くなった。


「一週間前には戻るからな。

 時差ボケも直さなきゃいけないし、レポ

 ートだって他にも出てるんだから」

「あぁ。ええよ。

 服でも雑貨でも必要なもんは向こうに着

 いたら一通り揃えよ」


 一瞬の間の後で安堵した表情でクロード

は頷きながら手の力を緩める。


「そんな、勿体ない。

 だったら一度家に帰って準備した方が」

「そんな時間あらへん。

 もうプライベートジェットは空港で待っ

 てんねんから」


 まるで当たり前のことしか言っていない

ような顔でクロードが笑う。

 そもそもプライベートジェットって…。

 各国の要人とかよほどの有名人とか生粋

のお金持ちしか使わないような移動手段じ

ゃなかっただろうか。

 しかもその機体がもうすでに待っている

というのだから、よほど俺が了承すること

に自信がなければ計画できなかったスケジ

ュールだと思う。

 クロードの余裕の滲む言動がちょっとだ

け面白くなくて意地の悪い質問を投げかけ

た。


「…じゃあもし俺が行かないって言ったら

 どうするつもりだったんだよ?」

「それならそれで家に送り届けたで?

 でも駆が断るとは思わんかったけど」


 そう言って笑うクロードはやっぱり自信

たっぷりで、やっぱりちょっとだけ面白く

なかった。




 ゴソゴソ…


「……はぁ」


 体格のいいクロードと二人寝転んでも十

分に余裕のありそうなキングサイズのダブ

ルベッドで何度目かの寝返りをうつ。

 洗い立てのシーツの匂いと全身を優しく

包み込む最高級クラスの寝心地のベッド。

 少しでも眠気があれば数分ともたずに夢

の世界へ旅立てるだろう寝具の中で眠れず

にさっきからずっと寝返りを繰り返してい

る。

 成田空港に到着してからの待遇はまさに

VIPと呼ぶに相応しいものだった。

 リムジンを降りると専用ゲートからVI

P専用の待合室へと案内され、出国手続き

もほとんど待たされなかった。

 VIPルームを出ると今度はプライベー

トジェットの機体まで豪華な専用車で送っ

てもらい、乗り込む時には入り口前で乗務

員が並んで出迎えてくれた。

 ひどく場違いな世界に迷い込んだような

気分になったけれど、クロードの方はすっ

かり乗務員とは顔見知りのようでにこやか

に短い挨拶を済ませると俺の手を引いてジ

ェット機に乗り込んだ。

 ジェット機の機内はホテルの豪華な客室

みたいになっていた。

 前方には食事や会話を楽しむ為のゆった

りとしたシートやベット代わりにでもでき

そうなソファが並んでいて、オーディオ機

器や大きなサイズのテレビも取り付けられ

ている。

 そことは壁で区切られた後方にはキング

サイズのダブルベッドの置かれた寝室があ

った。

 しかしどんなに心地よいベッドでも、広

すぎる豪華さは余計に寂しさを助長させる。

 ただでさえ初めての海外旅行で極度の緊

張状態にあるというのに、時差を埋めるた

めに寝ておけと言われて無理やり横になっ

ても眠れるわけがなかった。

 早まっただろうか…という小さな後悔が

胸を刺す。

 “毎日クロードに会える”

 その誘惑に抗いきれなかった。

 年に数回、会えるだけじゃ足りなかった。

 どうしても寂しかった。

 家族や友達が傍にいてくれても、それで

も心の隙間は埋められなかった。

 それがただの我儘だとは分かっていても。

 2か月…たった2か月かもしれない。

 過ぎ去ってしまえば、毎年の夏休み明け

に感じるのように短かったと思うかもしれ

ない。

 けれど今は1週間後すら思い描けなくて、

不安ばかりが先立ってしまう。





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あきゅろす。
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