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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


 梅雨明け宣言から間もなく海の日を経て、

俺の通う大学も2か月という長い夏休みに

突入した。

 高校1年生の1学期、ある日突然現れた

クロードは自分の正体を隠して俺のクラス

に紛れ込んだ。

 学生のフリをしていてもクロードは実は

多忙だったらしく、何とか時間をやりくり

して授業に参加していたのだと知ったのは

ずっと後のことだった。

 クロードは毎日通学していたわけでもな

いし1日ずっと教室で授業を受け続けた日

数は、実はそんなに多くない。

 クリスマスや年末にクロードがわざわざ

予定をあけてくれたり、仕事がひと段落し

て時間ができた時には決まってどこかに連

れ出してくれた。

 仕事の都合でクロードが帰国してしまっ

た後の賑やかな日常の中で感じ続けるひっ

そりとした寂しさは、俺の中のクロードの

存在の大きさを思い知らせるようだった。

 3年前に受け取った指輪は今もずっと肌

身離さず俺の胸元にあって、クロードを思

い出す時に指先で触れるのもいつの間にか

癖になっていた。

 心の奥で答えは未だ出ない。

 クロードは俺の悩みなんて小さなことな

んだと笑っていたけれど、実際に本当に一

緒にいようと思ったらクリアしなければな

らない問題は山のようにある。

 お互いの体質のことは勿論、クロードの

仕事や生活の基盤はイギリスにある一方で

俺は日本から一度も出たことがない。

 クロードに転職して日本に来てくれなん

て我儘は口が裂けても言いたくない。

 でもこちらでの生活を手放し、家族や友

達と離れて単身で海を渡ってあちらに永住

しようという覚悟もまだ出来ずにいる。

 クロードは仕事の合間に何度も日本に来

てくれて、高校を卒業したらイギリスに移

住しようと来る度に誘ってくれた。

 最初は英語やイギリスの文化に慣れてい

なくても不自由のない生活をさせてくれる

と約束もしてくれた。

 いっそ荷物なんて今持っている物だけで

いいから、このままクロードがイギリスに

帰る飛行機に乗ろうと無茶を言われたこと

もある。

 遊びという名目のデートでどれだけ楽し

くても、とんぼ返りで帰国してしまうクロ

ードと離れがたくても、その返事だけはい

つでも決まっていた。

 そうして多忙なクロードとは殆ど会えな

いまま月日が流れ、兄貴に受験勉強をみて

もらった俺はこの春に公立大学へと進学し

た。


《入学、おめでとう》



 久しぶりに聞いたクロードの第一声はそ

れで、どうしようもなく胸が締め付けられ

た。

 罪悪感だったのか寂しさだったのか、あ

るいはその両方だったのかは分からない。

 だけど俺は指輪を返した方がいいのかと

はついに尋ねられなかった。

 クロードの方はいたっていつもの調子で

俺を責めるどころか何も言わなかった。

 クロードの優しさに甘えている自覚はあ

る。

 こんな風にいつも迷ってしまう俺が傍に

いてもクロードの為にならないんじゃない

かとも思う。

 だけどこの指輪を返したら、きっとクロ

ードにはもう会えない…そんな予感だけは

妙にリアルだ。

 俺が今でもクロードに会えるのは、クロ

ードが無理をして何度も日本に足を運んで

くれるからだ。

 それが無くなってしまえば、いくら遠縁

の親戚と言えど遠く離れた異国に暮らすク

ロードに会う機会なんて二度とない。

 それだけは絶対に嫌だ。

 けれどそれが嫌ならどうすればいいのか

すら、答えは闇の中だった。


「あら、今朝はゆっくりね。

 秀の所に行くんじゃなかった?」


 母さんの声に現実に引き戻される。

 気づいたら胸に下げた指輪を無意識で握

りしめていたらしく、チェーンが切れない

ようにそっと指を離す。


「うん、そろそろ出るよ」


 大学生活には少しづつ慣れてきたけれど

夏休みの課題にされたレポート作りはまだ

要領が上手く掴めていない。

 それを兄貴に相談したら、いつもの涼し

い顔で快諾してくれた。

 俺とは違う大学に通う兄貴は、大学の近

所に部屋を借りてそこで一人暮らししてい

る。

 高校の時までとは違ってちょっと不便に

はなったけど、もともと家庭教師もするく

らい教え方の上手い兄貴に勉強を見てもら

うのはやはり心強い。

 高校受験、大学受験と面倒をみてもらっ

た俺からすると、これ以上ない助けだ。

 …クロードを目の敵にしているのは相変

わらずで、それもクリアしなければならな

い問題の一つだけれども。

 手早く朝食の残りを片づけてしまって身

支度を整えると、準備していた鞄を掴んで

玄関へと向かう。


「忘れ物はない?」

「うん、大丈夫」


 玄関先で靴を履いていると後ろから母さ

んが声をかけてくる。

 靴を履き終わって振り返ると、ちょっと

大きめの紙袋を手渡された。


「じゃあ、はい、これ」

「今日は何を入れたの?」


 兄貴は体調管理を怠るタイプではないけ

れど一人暮らしだとなかなか手の込んだ料

理はしないだろうからと俺が兄貴の部屋に

行く時は母さんが必ず手料理を持たせてく

れた。

 俺が勉強の合間につまんだり、兄貴の翌

日分に回してもいいくらいの量でちょっと

多い。

 俺にとっても勉強の合間の息抜きになる

から、いつも何が入っているのか楽しみに

したりする。


「今日は里芋の煮物とれんこんきんぴらと

 鶏の照り焼き」

「うん?それって…」


 全部俺の好物だ。

 いつものメニューなら一品は絶対に兄貴

の好物が入っているはずだ。

 まぁ兄貴は基本的に食事では好き嫌いし

ないけれども。

 偶然だろうか?


「じゃあ気をつけて行くのよ?

 帰りは連絡して。食事の用意もあるし」

「うん。

 あんまり遅くならないようにするよ」

「あら、ゆっくりしてきていいのよ?

 夏休みなんだし」

「夏休みだからって…。

 兄貴といるとずっと勉強させられるし」


 ニコニコ微笑む母さんに苦笑いで答える。

 兄貴が勉強のことになると目の色を変え

るのは昔からだ。

 特に大学受験の時は鬼のようで、一発合

格以外は許さないという気迫さえ感じた。

 …それもこれも、きっと俺が何も言わな

くても兄貴はクロードの影を薄々感じ取っ

ていたからなんだろうと今なら思えるけれ

ど。


「じゃあ、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 ちょっと重い紙袋を母さんから受け取っ

て、玄関の扉を押し開いた。





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