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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「ま、そういう訳やから、二人ともはよ帰

 ってな。

 達樹の看病は俺がちゃーんとしとくさか

 い」


 先輩と俺の間に張りつめた空気を明るい

声が押し流す。

 が、聞こえてきたのは、先程俺が陽都に

言ったのとは真逆の言葉だった。


「帰ってって陽都もだからな?」

「なんで?

 病院に薬局に買い出しに、車なかったら

 不便やろ?」


 具合が悪いから帰ってくれと言った俺の

言葉は完全にスルーしたのか?と怖くなっ

て振り返ると、いつの間にか陽都は何本も

の鍵が束になったキーホルダーを人差し指

にひっかけてクルクルと回していた。


「お兄ちゃんのお世話はボクが頼まれてる

 んで、心配してもらわなくても大丈夫で

 す」

「もうすぐ成人しようとしているんですか

 ら、具合が悪い時の処置くらい自分でで

 きて当たり前です。

 当人に帰れと言われて、それでも居座る

 のはただの我儘ですよ」


 ちょっとムキになったようなレイの言葉

に秀一先輩の冷ややかな声が打ち水をかけ

る。

 よかった。

 とりあえず秀一先輩だけは俺に味方して

くれるらしい。


「本当に1人で大丈夫、だから。

 心配しないでみんな帰って」

「嫌です」
「ないわー」
「やだ」


 "くれ"まで言わせずハモった声が被さ

ってくる。

 なんでこんな時だけ仲がいいのか。


「そないに具合悪そうなの、放っておけ

 るわけないやん?」

「お兄ちゃんにはボクがずっとついてて

 あげるから安心して?」

「1年もズルズルと待たされたんです。

 これ以上は待ちませんよ」


 それぞれの笑顔が"このまま帰るなんて

選択肢はない"と無言で迫ってくる。

 っていうか、さっき秀一先輩が味方して

くれたと思ったけど、単に他の二人を帰し

たかっただけだったらしい。


「そもそも急用ができたとか具合が悪いな

 んて言い訳はここ1年で腐るほど聞きま

 したよ。

 これ以上そんな言い訳で僕が納得すると

 思っているんですか?」

「今夜はホントに具合が、ぁ゛ッ…!」


 棘をビッシリ纏った先輩の言葉にしどろ

もどろになりながら訴えようとした時、胸

の奥で心臓がドクンッと跳ねた。

 カラカラの体から冷や汗を絞り出し、欲

求が渦を巻いて体の外側に噴き出そうとす

る。

 本格的に手足の痺れが酷くなり、ハロウ

ィンの夜が深まってきたことを実感する。

 夜が深まれば深まるほど吸血衝動は強く

なる。

 これ以上3人に長居されたら、本当に何

をするかわからない。

 外出するだけの体力すら削るための断食

だったのに、目の前に人間がいたらいつ我

を失って襲いかかってしまうかもしれない。

 何より血に飢えた俺の体が、舌が覚えて

いる。

 この3人の体の中を流れる血の味を。


「辛いの、お兄ちゃん?」


 レイの心配そうな声がかかり、毛布越し

にさするような気配がする。

 幼馴染として過ごした時間が長いだけに、

ちょっとやそっとではレイに隠し事なんか

できない。 


「かえ…って、くれ」


 震える声を絞り出しながら、毛布を体に

巻きつけるようにして丸くなる。

 俺が正気を保っていられる間に、誰かに

襲い掛かってしまう前に。

 もう誰も犠牲者なんかにしたくないから。


「…お兄ちゃん、とりあえずちょっとだけ、

 ね?」


 頭から被った毛布の隙間からレイとおぼ

しき手が滑り込んでくる。

 “何だ?”と思うより早く、甘い匂いに

クラっと眩暈がした。

 眩暈とほぼ同時に体の奥がドクンと跳ね、

何かを考える間もなく意識が飛んだ。


「…その様子やと、みんな知っとったんか」

「相変わらず節操なく誰にでも噛みついて

 いたんですね。

 こんなことなら僕を避けたところで無駄

 だったでしょうに。

 気に入りませんね」

「お兄ちゃんは節操なしなんかじゃないで

 す。

 誰も巻き込みたくないって、いつもそれ

 ばっかりで。

 無理やり我慢しなくても血ならボクの血

 をいくらでもあげるのに」

「なんや、ただ血ぃを吸われにわざわざ来

 たん?

 ボランティア精神なんか、それとも被虐

 趣味か?」

「どっちも違います。

 お兄ちゃんが大切で大好きで、ボクにし

 てあげられることをしている。

 それだけです」


 ふわっと優しい掌が後頭部を撫でる。

 それは子供の頃から良く知っている手で、

まだ子供っぽさを残す華奢な二の腕に頭を

抱かれていると気付くと同時に、芳醇な甘

い香りが喉から鼻孔にかけて撫で上げた。

 自分が牙を立てているのが細い首筋だと

気づいたのはその直後で、驚きと同時に飛

びのこうと顔を上げたらいつの間にかベッ

ドに組み敷いていたレイが俺の体の下で呻

いた。

 牙を抜かれたばかりの傷口から血が細い

筋を作って流れ落ちる。

 その流れ落ちてシーツに染み込む血を

“もったいない”と思ってしまって、激し

い自己嫌悪とものすごい罪悪感が俺を責め

る。


「ぁ…あ…俺…ごめん、レイ…。

 ごめん…!」


 そんな言葉で許されることじゃないのに、

レイはニッコリ笑って二の腕を伸ばしてく

る。


「まだ足りないでしょう?

 もっと飲んでいいんだよ?

 ボクはその為に来たんだから」


 レイの掌が伸びてきて俺の頬をそっと撫

でる。

 その笑顔がすごく幼気で、俺の中の罪悪

感を増幅させて俺を打ちのめす。

 もう2度とレイを俺の体質のせいで傷つ

けたくなかったのに、また傷つけてしまっ

た。

 それでもレイは怒るどころか痛みに泣き

もしない。

 どうしようもない化け物である俺の頭を

撫でて全てを許容する。

 俺の弱さも醜さも狡さも、その笑顔一つ

で許してしまう。

 そんなのは絶対に間違っているのに、俺

は消えたくなるほどの罪悪感を感じると同

時にどうしようもなく安堵してしまう。

 俺はそんな自分が殺してしまいたくなる

ほど嫌いだ。

 そしてそれでもレイの優しさに甘えて生

きながらえてしまってしまう自分がどうし

ようもなく恨めしい。


「だから…帰って…!

 俺はこれ以上化け物になりたくないッ!」


 頭を掻き毟って唸るように叫ぶ俺の襟首

を誰かの力強い手がグイッと後方に引いた。

 息苦しいのも手伝ってそちらを振り返る

と秀一先輩が笑みの消えかけた涼しい表情

で俺を見下ろしていた。


「何を今更。

 体が血を欲してたまらないんでしょう?

 我を失って噛みつくほどの禁断症状なん

 て重症じゃないですか」


 秀一先輩の笑みが表面的なものから底意

地の悪いものに変わっていく。

 苦しむ俺を見下ろし更に追い込みながら、

それを満足気に眺めるように。


「ちょうどいい機会ですから、実験の続き

 をしましょうか。

 対照実験ができる機会があるなんて思っ

 てもみませんでしたよ」


 “実験”…その言葉にビクッと身体が震

える。

 固まったまま先輩を見上げる俺から毛布

を剥ぎ取った先輩は、俺の下半身に目をや

って目を細めて哂う。

 カッと見られている場所が一瞬熱をもっ

たような錯覚と身の危険を感じて俺はベッ

ドの端に逃げ込む。


「実験って…?」

「ダメですっ。

 だってアレはっ……!」


 不穏な空気を察したのか起き上がったレ

イが不安げな目で俺と秀一先輩を交互に見

る。

 恐怖を払拭したくてわざと大きな声を出

したけど、どうしようもなく声が震えて逆

効果だった。

 実験…それが秀一先輩が初めて俺に出し

た交換条件だった。

 食事の際に必ずベルを鳴らすようにした

ところ、餌が無くてもベルの音がするだけ

で涎を垂らすようになったパブロフの犬。

 それを俺で試してみたい、と。

 条件を呑まないなら俺の吸血体質を公言

すると言われた俺に拒否権はなかった。

 それは当然のごとく誰も知らない実験だ

った。

 誰もいない、二人きりの場所で行われた

からまだ耐えることができたのだ。

 けれど、今は…。


「何故です?

 君はただ僕の血を飲めばいい。

 それだけですよ」


 秀一先輩がシャツの首元のボタンを外し

ながら近づいてくる。

 その笑顔がどうしようもなく怖い。

 実験の間中ずっと浮かべていたあの笑顔

が俺は怖くてたまらなかった。

 人間でいたいと何よりも強く願っていた

のに、人として生活していくためには先輩

の“実験”に人でない存在として付き合わ

なければならなかった矛盾。

 その苦悩や葛藤すら楽しむ様に先輩は笑

いながら俺の尊厳を弄んだ。

 それでも秀一先輩から逃れられなかった。

 美術部副部長であり生徒会長だった秀一

先輩の周囲から寄せられる信頼は絶対だっ

たから。

 この人には逆らっちゃいけないと、本能

が俺に命じたのだ。

 先輩の高校卒業のほうが1年早かったが

在学生の中には先輩を知る人間も多く、ま

だ先輩からの呼出には逆らえなかった。

 俺が大学進学を機に一人暮らしを始めて

からようやく関係をフェイドアウトできる

ようになったと安堵していたのに。





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