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悪魔も喘ぐ夜
*


「クロード…」


 続く言葉が出てこない。

 懇願したい気持ちは焦るが、どのように

頼めば兄貴への攻撃をやめてくれるのか分

からない。

 もう十分だろうと視線で訴える俺に、ク

ロードはまるで何も起きていないかのよう

に笑いかけてきた。


「ほんでな、俺これから空港に行かなあか

 んねんけど、見送りに来てくれへん?」

「見送りって…」


 こんな状況ではなく、例えば俺が登校し

ようと家を出た後に誘われたなら行ったか

もしれない。

 けれど今誘われても頷けるはずもない。

 それが何故クロードに分からないのか。


「行けない…」


 こんな事をされてしまっては。

 兄貴は確かに俺が恐怖心を抱くようなこ

とはしたし登校を阻みもした。

 けれど、それは繰り返しの説得の末に俺

が約束を破ってしまったからだ。

 何もしていない俺に理不尽な暴力をふる

ったわけではない。

 後から駆けつけた俺にはどちらが先に手

を出したのかは分からないが、それでもク

ロードの反撃はやりすぎだと思う。


「家族にこんな事されたまま見送りになん

 て行けない」

「それはつまり、今の暗示を解けば俺の見

 送りに来てくれるっちゅうことでええ?」


 ゆっくりと絞り出した声にクロードは相

も変わらず楽しげな声で確認してくる。


「いけません、駆。ぐぅッ…!」

「クロードっ!!」

「黙れ言うてるやろ。

 俺は馬鹿と愚図が一番嫌いや」


 背を丸めて蹲る兄貴の背中の体温が低く

なっているのを触れている掌で感じる。

 肩で息をしてやっと呼吸をしているよう

な兄貴の声は本当に今にも消えてしまいそ

うで、この状況が続いたら兄貴が本当に死

んでしまうんじゃないかという恐怖が現実

味を帯びてくる。

 そんな兄貴の絞り出した声は囁き声より

か細かったのに、クロードはそれすら見咎

めて暗示を強めたようだった。

 兄貴を見下ろすその目には冷え切った殺

意が浮かんでいるように思える。

 クロードはこのまま兄貴を殺してしまっ

たとしても眉一つ動かさないんじゃないか

と思うほど、その目には情どころか罪悪感

すら浮かんでいなかった。


「……」


 考えろ。考えるんだ、俺。

 今、この状況を動かせる人間がいるとし

たら、きっとそれは俺しかいない。

 クロードは来いと言う。

 兄貴は行くなって言う。

 けれどもう兄貴の体温は随分と下がって

きていて、呼吸は虫の息だ。

 対してクロードは、空港まで見送りに来

てほしいと言う。

 登校日にわざわざ空港まで見送りに来て

ほしいと言うクロードが本当にそのまま大

人しく見送られて俺を家に帰してくれる保

証は…ない。

 クロードも自分の直感も信用できなくな

ってしまっている今、絶対に帰してもらえ

るかなんて俺には分からない。

 クロードと運転手の会話を思い出せば、

兄貴の心配していることがやけに現実味を

帯びてしまうのだ。

 だがこの二人を引き剥がさないと、この

状況が長時間続くのは危険だ。

 それだけは分かる。


「俺が行ったら、家族の誰にも手出ししな

 いでいてくれるのか…?」

「駆ッ」


 背中を震わせながら肺に石でも詰められ

たようなくぐもった呻き声を兄貴が発する。

 しかしその声を聞けば聞くほど、俺はじ

っと見上げるクロードから目を離せなかっ

た。


「手ぇ出すやなんて心外やな。

 俺が駆と会話するのに邪魔してくるから

 ちょっと黙ってもろてるだけやん。

 でも、そうやな。

 駆が俺と来てくれるっちゅうんを邪魔せ

 ーへんなら、俺が何かせなあかん理由も

 無くなるな」


 クロードの口の端が持ち上がる。

 兄貴を見下ろす冷たいだけだった眼差し

の緊張が緩んでこちらに向けられる。

 きっと兄貴が動かなければ、クロードは

これ以上の手出しをするつもりはないだろ

うと…そんな風に見えた。

 この直感を信じていいと思えるほど自信

はない。

 でも今の現状を打破する為にとれるのは

この方法しかなかった。

 兄貴の背中から手を離してゆっくりと立

ち上がる。


「家族の誰にも危害を加えないって約束し

 てくれるなら、行く」

「ええよ。

 ほな、行こか」


 すんなりとクロードは頷いてこちらに手

を伸ばしてくる。

 それと同時に俺の隣で蹲って体を固くし

ていた兄貴の体の緊張が長い吐息と共に解

ける。

 どうやらクロードが暗示を解いて、堪え

ていた兄貴の体が力が抜けたようだ。

 それを確認してほっと胸を撫で下ろす。

 クロードは約束を守った。

 ならば次は俺が約束を守る番だ。

 差し出された手にそっと手を伸ばす。


「ッ!!!」

「ッ!!?」


 クロードの手に触れるかどうかというと

ころですぐ隣の気配が突然動いてクロード

に突っ込む。

 俺が何か察するより早くクロードの顔が

瞬時に引き締まってその目に強い暗示の力

が宿る。

 “ヤバイ”

 何か言葉を発するより早く体が動いてい

た。

 クラウチングスタートする時のような体

勢でクロードに突っ込んでいく兄貴。

 その兄貴の動きを察して一歩引きながら

きっと先程よりよほど強い暗示を叩きつけ

ようとするクロード。

 その二人の間に強引に体を割り込ませな

がら痛みを覚悟してギュッと目を閉じる。

 瞼すら透過するほどの光が一瞬で世界を

真っ白に塗り潰して、


「ぐぁッ!」

「ガハッ…!」


 殆ど同時に前方と後方から何か重いもの

が壁に叩きつけられるような重い音が呻き

声と共に響く。

 しかし俺の体にはいつまで待っても痛み

も衝撃もなくて、俺は体を強張らせたまま

恐る恐る瞼を持ち上げた。


「クロード様ッ!!」


 焦った様子でカイルが玄関先に駆け込ん

できたと思ったら、クロードは玄関ドア側

の壁に背中を強か打ち付けたように壁に背

中を預けながら玄関の石畳の上に座り込ん

でいた。

 咄嗟に背後を振り返ると兄貴も同じだっ

たようで、廊下の壁に凭れながら座り込ん

でいる。

 その顔色には文字通り血の気がなく、慌

てて駆け寄って両肩を揺すった。


「兄貴っ?!兄貴っ…!」

「…煩い。

 そんな大声を出さなくても聞こえてます」


 今にも消え入りそうな声だったが返事が

返ってきたことにホッとして俺はそのまま

その場にへたりこんだ。


《双方、そこまで》


 聞いたことのない落ち着いた男性の声が

頭上から響く。

 しかも肉声とは違う、脳内に響いた声に

驚いて視線を動かして声の主を探した。

 すると玄関のちょうど靴が並んでいる辺

りに黒いスーツのような燕尾服のような服

を着た男性が居た。

 ただしその体は半透明だったし、浮いて

いたけれども。


《我は代々コーディアル家に仕える者。

 指輪を引き継ぐコーディアル家の者を傷

 つける事は、何人たりとも許さぬ。

 それがたとえ同じ名を連ねる血族の者で

 あっても》


 男性はクロードと兄貴を交互に見ながら

静かに話しかけている。

 クロードに強い暗示で押さえつけれてい

て吹き飛んだ兄貴はともかく、花瓶の水を

被って吹き飛ばされたクロードも苦しげに

胸を上下させて座り込んでいる。

 立ち上がるだけの力は残っていないよう

だ。


「コーディアルって母さんの…」


 聞き覚えのある単語にポツリと呟く。

 コーディアルというのは母さんの旧姓だ。

 しかし“指輪”という単語にハッとして

右手を見ると、中指にはめられた指輪がぼ

んやりと銀色の光を発していた。

 母さんはこの指輪をお守りだと言ってい

た。

 もう自分は十分に守ってもらったから、

今は俺を守ってほしいのだと。

 それは、まさかこのことを言っていたの

だろうか。


「ハハッ、セシリアの悪あがきか。

 やられたわ。

 これがコーディアル家の隠し玉やったと

 は」


 クロードは口の端を上げてぼんやりと浮

かぶ男性に挑戦的な眼差しを向ける。

 その視線は笑みを浮かべながらも隙の無

い鋭さを秘めているというのに、向けられ

ている男性は眉一つ動かさない。


《クラウディウス家のことはセシリア様か

 らよくよく申し付けられている。

 コーディアルに仇をなすつもりであれば

 クラウディウスの総意ととる》


 クロードは忌々し気に舌打ちした拍子に

胸を押さえて咳き込み、壁に預けた背中を

上下させる。

 その唇の端から赤い筋が流れるのを見て、

それだけの力で吹き飛ばされたのだと知っ

て冷や汗が流れる。

 体は透けているし儚い存在のように見え

たが、もしかしたらクロードよりよほど強

い能力をもっているのかもしれない。





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