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悪魔も喘ぐ夜
*


「ぁ…」


 キッチンに行って驚いた。

 コンロの前にいるのは兄貴で、その目の

前で小さめの鍋がコトコトと音をたててい

る。

 トーストの匂いに混じってほのかにお粥

の匂いがする。

 麗が枕元にずっとつきっきりでいてくれ

たから、俺が食べていたお粥はてっきり麗

が作ってくれたものだと思っていた。


「それって、お粥…?」

「だったら何です?

 さっさと着替えてきなさい。

 行かせませんよ、学校になんて」


 “ありがとう”と言いかけた気持ちは制

服姿を咎める兄貴の冷ややかな視線に射ら

れてみるみる萎んでいく。


「だけど、俺…」


 “学校に行きたい”

 そのたった一言が出てこない。

 喉を内側からキュッと締められたように

言おうとした言葉が口まで上がってこない。

 けれど今ここを離れたらこの話は終わっ

たことにされてしまいそうで動けない。

 俺が二つの感情の間で板挟みになってい

る間に湯気の立つお粥の上にパラパラと刻

まれたネギが盛り付けられた。

 じっくりコトコト煮込まれたネギもいい

けど食べる直前にさっと盛り付けられた生

のネギのシャキシャキ感も好きだ。

 ぐ〜〜…

 寝込んでからまともに食べていない胃が

空腹を訴えて鳴く。

 制服姿を咎める兄貴は怖いけど、腹の虫

はその空気をぶち壊すだけの破壊力をもっ

ていた。


「…兄貴に反対されたって、学校行くし」


 空の胃をシャツの上から撫でて眺めなが

ら小さな声でボソッと呟く。

 怒った兄貴はもちろん怖いけど、保護者

である父さんが俺のしたようにしていいと

言ってくれたのだ。

 兄貴の了解は得られずとも学校に通えな

い訳ではない。

 兄貴だって学校に行かなければならない

のだし、俺を24時間監視することは不可

能だから。

 でも兄貴が意見を覆さない限り、それを

実際に実行するのは容易ではないだろうけ

ど。


「いい匂いでしょう?」


 俯いて俺が呟いたことを聞き咎めたよう

に兄貴は不機嫌そうに眼を細めたけど、何

を思ったのかお粥のお皿を俺の顔の前にズ

イッと差し出してきた。

 いきなり顔の前に皿が迫ってきて一瞬驚

いた頭が後ろへと逃げる。

 しかし無言のまま促す兄貴には逆らえな

くて恐る恐る鼻先を近づけてスーッと空気

を吸い込んだ。

 卵と鮭のお粥からはほっとするような優

しい匂いが漂ってきて、空腹の胃が早く食

べたいと訴える。

 お粥で釣って学校に行くなとでも言うの

だろうかという考えも頭を過ったけど、直

後にまさかと否定する。

 いくら空腹といえど俺だってそこまでバ

カじゃないし、お粥でなくても食べられる

ものなら他にもある。

 でもそうだとしたら、兄貴は一体どうい

うつもりで…?


「美味しそう、だけど…」


 上目遣いで兄貴の表情を窺い、おそるお

そる答えて返事を待つ。

 兄貴は目を細めたままそんな俺を見下ろ

し、眉一つ動かさずに口を開く。


「そうですか。

 でも駆はこの粥の何倍もの濃さで香って

 いるんですよ。

 粥は皿に顔を近づけなければ匂いまでは

 分からないかもしれませんが、駆は近寄

 ってきただけでこんなにも甘い。

 そんな体で外に出て、無事に帰ってこら

 れる保証がどこにあるんですか?」


 睨むような眼差しで俺を見下ろしたまま

兄貴は粥を下げて俺の着ている制服のシャ

ツの襟を正すように指を滑らせ、反論でき

ずにいる俺の肩へと手を置いて自分の方へ

と引き寄せた。


「ベッドに括り付けてもう二度と外になん

 て出たくなくなるまで揺さぶってあげま

 しょうか?」


 耳元で囁かれる低い声。

 あの夜の、一時だけだと思っていた兄貴

の中の“何か”が顔を覗かせてゾクリと背

筋を撫でた。

 一時的な怒りの末の行動ではないのだと

思い知らせたいみたいに。





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あきゅろす。
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