突然。
がしりと左腕を掴まれ歩く歩調を邪魔された。
驚いて肩が跳ね上がり、同時に頭が真っ白になる。後ろから、誰かも分からない相手にいきなり腕を掴まれるのだ。誰だ、なんて考えも浮かばず反射的に振り返った。

「えっ、え!?」

驚いて、さらに思考は白く染まって、
沖田は何度も瞬きをした。初めて見た。ケーキ屋のエプロン姿ではなく、ブレザー姿の彼。


「総悟?」


雨の中真っ黒な傘をさした土方が、沖田の腕を掴んでいた。


「おま、ちょっと入れ!」

「うわぁ!」

まさか道端で会うとは思わず、ぽかんとしていた沖田を見かね、土方が掴んでいた腕をぐいと自分の方へ持っていった。当然土方の傘に一緒に入ることとなる。沖田は慌てて離れようともがいた。このままでは全身ぐっしょりな自分に土方が触れてしまう。

「ちょっ、何すんでぇ、濡れますよ!?」

「いいから!お前、びしょ濡れじゃねェか!」

「えっわっ」

今まで見たこともない様なすごい形相で、土方が沖田を傘へ押し込む。無理矢理に傘に入れようとする為、抱き締めあう形になってしまった。かぁっと沖田の顔に熱が集まる。まばらだが人はいる。恥ずかしい。

「ひ、土方さ」

「テメェ…はぁ、髪が冷たくなっちまってる」

普段の穏やかなケーキ屋アルバイト時の口調と違い、少々荒々しく、そして呆れた様な声を出す。怒っているのだろうか。内心びくびくしながらさすがに沖田は大人しくなる。偶然といえど、久しぶりに会ったのに情けない。だいぶ聞いていない土方の声が聞けて、嬉しいと思うのだが、何せこのなりだ。見られたくなくて沖田は下を向く。
髪の毛をつまんだり頭を撫でたりする土方を気にしながらも、じっとして土方のブレザーに視線をやった。紺色なんだ、なんて初めて見た姿に浮かれてしまった。

「このまま電車乗るのか?」

上から土方の声が聞こえた。丁度右上に土方の顔はあるのだろう。近い距離に沖田はどぎまぎする。話しかけてくれた、嬉しい。けれど狭い傘で視線を合わせることができず、沖田は土方の胸元を見つめ返事をした。

「へ、へぇ、乗るつもりですが」

「何分?」

「分…六十分」

「ろっ!?」

心底驚いた様な声がして、沖田は吹き出しそうになってしまう。まさか都外から通学しているとは思っていなかったらしい。

「風邪ひくぞおい…」

「だ、大丈夫でさぁ」

「っつったってな…それに電車の中迷惑だろ」

「それは心の中で謝りやす」

「ええー…」

呆れられたかなぁ、なんて少々不安になりながらも、沖田はこのまま帰る気だった。鞄の中にタオルくらいあった筈。気休めだが乗る前にそれを使って拭こう。
と脳内でシュミレーションをしていると。

「やっぱ駄目だ、もう今日は諦めろ」

「何ででぃ」

「俺の家近いから。寄れ」

「……」

口が開く。
更に土方が、泊まれよ、と言葉を続けた物だから、我が耳を疑ってしまう。
まさか、まさか、そんな提案をしてくるなんて。ただの客と定員の筈だ。たしかに、たしかに会話は何度も交わしていた。けれど土方にとって、自分は客でしかない筈なのだ。

「何で…」

「何でって…風邪ひかせる訳にはいかねェよ、…総悟」

やけに優しい声がして。
いつもの、暖かなケーキ屋で交わす、ほんの少しの会話の様で。そうだ、本当に久しぶりだ。何週間も会っていなかった。……本当は会いたかった。

そろりと顔を上げてみる。近い土方の双眸と、ばちり視線が合った。じわじわ顔が熱くなる。おかしい。
雨で冷えている身体が熱くなる。

「ちょっと歩くけど、すぐだから。な?」

「……はい」

小さい子に言い聞かせる様に首を傾げながらそう言われ、沖田は恥ずかしくなる。こんなに優しく言われたら、否定できないではないか。

きゅんと身体が痺れ沖田は途方に暮れた。どうしようか。


一か月と十五日前。
ケーキ屋で一目惚れをした相手の家に、お泊りだなんて……。
無意識に沖田は一度だけ、膝を擦り合わせた。



 




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