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金の十字架に誓う



血を流したのはいつ振りだっただろう。
そんなこと、とうの昔に忘れてしまった白銀の男は自分の身体から流れ落ちる真っ赤な鮮血に苦笑を零した。

元は彼らと同じ人間であった。
しかし遠い昔に起こった悲劇が、彼を人間から生き血を啜るバケモノへと変貌させてしまった。
その日も今日と同じ赤い満月の夜だった。
男は村に現れた吸血鬼を退治する為に、村の仲間と徒党を組み、松明と武器を手に村の外れに位置する廃墟へと目指していた。吸血鬼に効果的だと言われる武器を手に、戦う経験のない者たちは、恐怖と覚悟を胸に廃墟へと足を踏み入れた。
なんて愚かなで浅はかな行為なのだろう。
今思えば後悔ばかりで、男は自嘲を隠せずに口元を歪めた。
吸血鬼は見た目は人とさほど変わりはしない。しかし口元から覗く鋭利な八重歯は人間を噛み殺し生き血を啜る為に存在し、疼いている。
そして、吸血鬼を退治に来た者の全てがその牙の餌食になった。
首からドクドクと滴る鮮血は多く、徒党を組んだ仲間の者たちはみんな生き絶えてしまった。
その中で男はたった一人、生に縋みついていた。
吸血鬼はその男の無様な生を嘲笑って、生きたいのかと問うた。男は月夜に輝く銀の髪を深紅で染め上げながらも吸血鬼の問いに何度も強く頷いた。まだ、するべきことがあるのだと。
それが自分を吸血鬼というバケモノへと変貌させる選択だと男は知らずに。
吸血鬼は男の要求を受け入れ、自分の血を男の傷口へと落とした。男は朦朧とした意識の中で吸血鬼が自分に一体何をしたのかわからなかった。ただ、まるで自分の身体から血が全て入れ変わってしまうような激痛が身を襲い、燃え盛るような熱さが男の中で暴れ回った。

今も、まるであの日に似たような状況だ。懐かしさを感じずにはいられない。
しかし正義感の強い村人の一人、ではなく。男は血に飢えたバケモノ、つまりは退治される存在となった。そこだけはおおきくい違っていた。
男は死を甘受しようとしていた。
この世界でバケモノとして生きようとは思わなかった。だが、自ら命を絶つにはこの世界に未練がありすぎる。
けれどそれも今日で終わりだ。
男は床に広がる鮮血をぼんやりと見詰めて安堵の吐息を漏らした。これでもう、自分の正義に反することはない。
男は何度か瞬いて、そして瞳を閉じようとした。
しかし自分の元へと寄ってくる足音が気になって、男はぐるりと目だけを回した。
男はその足音の人物の姿を捉えて、笑った。
視界に映ったのは神父だった。
これでようやっと自分の忌まわしい生に幕引きが出きるのだと男は瞳を閉じた。もう、何も思い残すことはない。
きっと神父が浄化してくれるだろう。天には召されることはないだろうけど、もうこの世界に止まらずに済むことが何よりの喜びだ。
神父は男の前に立ち止まり、その場にしゃがみ込んで男の顔を覗き込んだ。
首からぶら下げた十字架がしゃらんと音を立てて男の耳に届く。
神父の瞳は暖かな光の色をしていた。それはまるでおぞましいバケモノである自分を赦してくれるような、そんな輝きで満ち溢れていた。
男は自然と神父に手を伸ばしていた。
暖かそうな金の瞳が、男の行動に恐れることなくじっと見詰めている。男は自分の最期がこれほど穏やかなものだとは思わなかった。
バケモノで、赦されざる罪に身を沈め、血に濡れているというのに。

「死ぬのか?」

神父は男に尋ねた。
低い、心地よい低音が耳に届く。
男は頷いた。幸福せだった。

「もう、この世界に未練はないのか?」

神父がまた問いかけた。
その問いに、男は正直に少しの未練があると彼に言った。
口内に溜まった血が邪魔をしたが、なんとか神父には伝わっただろう。

「なあ、お前は人が憎いのか?」

神父はまた聞いた。
元々人だったのだ、嫌いではない。寧ろ人として、自分の正義を貫きたかったと思う。

「お前の正義は吸血鬼になったら終わりなのか?」

人として、人のために戦う。それが私の正義。
それが出来ないなど、生きていても仕方ない。

「吸血鬼でも、人のために戦うことは出来ないのか?」

神父の言葉は不思議だ。まるで自分を生かそうとしているみたいに聞こえる。

「ああ。その通りだ。俺はお前を生かそうと思っている」

神父の答えに男は大きく瞳を開いた。
意味が分からない。どうして自分を生かそうなんて考えているのだろうか。

「お前は、吸血鬼なのに人を傷つけずに死を受け入れようとしただろ。で、お前に聞いてみたかった」

神父はそういって男の血塗れの傷に手のひらを当てた。
男の血が神父の健康的な手を赤く濡らす。

「なあ、生きてみないか。もう一度。俺と一緒にさ、戦わないか?」
「…何を、言って……」
「自分の定めが重いなら今ここで楽にしてやれる。でも、俺は、人のためにありたいと思うお前に生きてほしい。なあ駄目か?」

そう言う神父の手は男を癒すための力で溢れている。
男は瞳を細めて、神父の姿を見た。神父の瞳は相変わらずきらきらと輝いていて、美しい。男はその瞳に惹かれるように一度、小さく頷いた。

「…そう、ですね…、どうせ、一度捨てた命だ。…あなたが、生かすというのなら…私は、従うことにしよう…」

男の言葉に笑みを零した神父は、ありがとうと頷くと癒しの呪文を唱えた。淡い光は彼と同じ金色に輝いて男の身を包んだ。






「まーた、懐かしい話だなぁ…」

神父は男が記した日記を見詰めて、子供のように無邪気に笑った。男は神父のそんな姿を愛おしそうに見つめて小さく頷いた。

「この後確か、契約するのにお前は俺の血を飲まないって駄々こねたよな、ユーリ」
「虎徹さんが無理矢理契約しようとするから私は断っただけですよ」

ユーリと呼ばれた男は、神父から日記を奪い取って懐へと仕舞った。虎徹と呼ばれた神父はつまらなさそうに唇を尖らせて、ぶーぶーと文句を言っている。

「全く、気の緩みすぎですよ虎徹さん。今から、敵地に乗り込むというのに」
「わーってるわーってるって。……頼りにしてるぜ、ユーリ」
「わかってますよ、虎徹さん」

二人は表情を見詰めて頷き、小さく笑った。
そして。雑草が生い茂る不気味な洋館を見上げて、あの日自分をバケモノへと変貌させた吸血鬼を殺すため、彼に誓った新たな正義を抱えて、ユーリは虎徹と共に洋館へと足を踏み入れた。
しゃらんとなった十字架は、ユーリの首元で金色に輝いた。










shizuさま
あまり月虎っぽくなくて申し訳ないです(゚_゚;
リクエストありがとうございました。




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