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痛み分け
29



「…おじさん、一体何をする気ですか!?」
「ま、見てろよ」

虎徹はにっと笑うと、ナイフを自分の左の手の平に押し当てた。
ナイフを手に当てたままスッと下に引き抜く。
刃先の流れに沿って一直線の切り口が生まれ、ぷっくりと血が皮膚から浮かび上がる。
しかしそう見えたのも束の間、手の平の傷はナイフを引いたときと同じように上から下へと徐々に塞がり、まるで最初から傷が存在しなかったように綺麗に皮膚が再生した。
そこに傷口があったと証拠になるのは虎徹の手の平の上に残された鮮血だけだ。
バーナビーは虎徹の手の平を見詰めて茫然とした。

「自分で付けた傷や、事故で追った怪我はこの通り。直ぐに治っちまうんだ」
「…痛みとかは、どうなるんですか?」
「切ったときは少し感じるけどな、治っちまうと痛みもなくなる」

虎徹はそう言うとカウンターの奥へと姿を消した。
蛇口を捻る音と流れる水音が聞こえて、どうやら先程の血を手洗い場で洗っているのだろうとバーナビーは思った。
そうして手を洗い終え、ハンカチで手を拭いながらカウンターから戻ってきた虎徹にバーナビーは痛み以外の感覚はあるんですかと尋ねた。

「んー…他の感覚もちゃんとあるぞ。っつーか痛みも一応あるしな、自分の傷は直ぐに治っちまうだけで」

でも、もしかしたらそういうネクストもいるかもしれないな。
虎徹は呑気にそう言うと、ハンカチを無造作にポケットに突っ込んで、そして元居た席に腰を下ろした。
引き摺った左足を何度か擦ってバーナビーを見遣る。

「あの日、本当はお前を連れて逃げるつもりだった。でも、お前は死にかけていて、俺は混乱して余裕なんてなくて。だから、怪我を自分に移し替えるまで自分が動けなくなる失態に気付かなかったんだ」

でも、タイミング良く現れたピンクの男がバーナビーを助けた。

「だから俺はお前はもう大丈夫だと確信が持てたんだ」

さて、この話はもう良いだろう?
虎徹は温くなった珈琲を啜り、そうして立ち上がった。
アントニオとイワン、そしてカリーナ。三人を呼ぼうとして虎徹は奥の部屋へと続く扉へと向かった。
しかしバーナビーはおじさん、と彼を呼び、肩を掴んで虎徹を自分の方へと振り向かせた。

「まだ、聞きたいことがあるんです」

虎徹はバーナビーの方へと向き直って何だと問うた。

「どうして、あなたは僕に嘘を吐こうとしたんですか?」

バーナビーの言葉に虎徹は大きく息を吐き出し、困り果てた表情を浮かべた。

「…なぁ、バニー。俺だって言いたくないことの一つや二つあるんだ。頼むからもうその話は終わりにしてくれよ」
「それなら僕は、嘘や隠し事をするあなたのことを信用出来ませんね」

バーナビーはワザと虎徹の弱味となる信用という言葉を口にして彼の本音を聞き出そうと試みた。
虎徹は彼のその台詞にチッと舌打ちし、金色の瞳を伏せ暫く黙する。
しかし彼の瞳には諦めがありありと滲み出ていており、虎徹は深い溜息を一つ吐き出すとバーナビーへと視線を戻した。

「…自分があの場所に居て、お前の両親を助けられなかったことを本当は認めたくなかったんだ」

もっと早く会いに行っていれば。
もっと早く異変に気付いていれば。
そんな後悔が後から後から湧き出てきて。

「自分が無力なんだと理解するのが恐ろしかった」

拳を作って握り締めて。
生きる道を、希望を取りこぼさないようにして。
しかしそれは意図も簡単にこの手から零れ落ちて、そして。
また失ってしまったのだと知るのが怖かったのだ。

「…嘘を吐いて、隠そうとしたことは悪かった」

バーナビーは頭を下げて謝る虎徹の姿を見詰めて、左右に首を振った。

「…僕はあなたを恨んでいるわけでも、憎んでるわけでもない」

悪いのはそう、全てウロボロスなんです。





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あきゅろす。
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