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シザーハンズと愛の行方
鋏男とグラスの破片


「今日はありがとうございました」

その後も何杯かカクテルを頂いて、バーナビーは心なしか上機嫌だった。

「こちらこそ楽しんで頂けて幸いよ」

にこりとネイサンが笑う。
バーナビーは彼(彼女?)にお代は?と尋ねると、虎徹がいいから、と言った。

「今日はおじさんの奢りだからよ」
「でも、」
「いいから」

虎徹は照れ隠しに頬を掻くと、言葉を続けた。

「その、さ。この間は無理に誘って悪かったな。でも、もし、良かったら…また来てくれよ。なぁ、ネイサン。良いよな?」
「勿論。あなたみたいなハンサム、大歓迎よ。虎徹ちゃんも少しは真面目に働いてくれるしね」
「何だよそれ!俺はちゃんと働いてるだろ」

ネイサンと虎徹が言い争いを始めようとするのを、バーナビーは制して、また来ますよ。と言った。
二人は目を大きく開いて、虎徹はバーナビーの背をべしべしと叩いた。

「本当だな!絶対に、約束だぞ」
「僕は嘘は吐きませんよ」
「わかってるって!」

くしゃりと笑う虎徹の姿に、バーナビーも自然と笑みが零れてくる。
彼の笑顔を見ると、どこか冷めた心がぽかぽかと温かくなっていく。そんな気がした。

だから、手を伸ばしたのかもしれない。
無意識に虎徹に伸ばした手はグラスに当たり、カウンターテーブルからぐらりと傾く。


「あ…」

グラスが床へと落ちて、破片が散らばる。
バーナビーは咄嗟に立ち上がるが、虎徹はそれよりも早くその場にしゃがみ込んで破片に手を伸ばした。

「虎徹ちゃん、手で取っちゃだめよ!」
「へ…痛ッ!」

ネイサンが声を掛けたと同時に、虎徹は破片で指を切ってしまったようだ。手に取った破片から指を

遠ざけて、小さく呻いた。

「ほら、もう。言ったでしょう」

カウンターの下からほうきとチリトリを取り出したネイサンは、バーナビーと虎徹の間に割り込んで、散らばった破片を手際良くほうきで掃いていく。
そんなネイサンの邪魔をしないように後退したバーナビーは、彼女の前で未だにしゃがみ込んでいる

虎徹の姿をそっとを覗き込んだ。

「あっちゃー…指、切っちまった…」

ポツリと呟いた虎徹の人差し指からはぷっくりと鮮血が浮かび上がる。
バーナビーはその姿をただ茫然と見詰めていた。
ポタポタと零れ落ちる雫は床に広がり、バーナビーは自らの手を見詰めて胸がきしりと痛んだ。

(今のは、僕のせいか)

その場に立ち尽くしていると、いつの間にか虎徹が目の前にいて、心配そうにバーナビーの顔を覗き込んでいた。

「大丈夫か?バニーちゃん」

顔色が悪いぜ?と虎徹が眉を寄せて言うと、バーナビーは首を左右に振った。

「怪我をしているのはあなたでしょう。血が流れっぱなしですよ。…すみません、救急箱はどこに?」
「えぇと、そこの棚の中にあるわ」

バーナビーの視線を追って、棚の中にある白い箱を見付けた。

「これ、ですね」

鋏状の手で器用に棚の扉を開いて、救急箱をカウンターへと置いた。

「すまん、バニーちゃん」
「いえ。それより手を洗って下さい。ネイサン、すみませんがおじさんの手当をお願いします」
「わかったわ」

グラスの破片をほうきで掃き終え、ちょっと待ってね、と虎徹に声を掛けるとネイサンはゴミを捨てに裏口へと出て行った。
虎徹はなかなか出血の止まらない指をおしぼりで押さえながら、ネイサンが戻ってくるのを待っている。
バーナビーは点々と床に残る赤を見下ろした。そして、虎徹の姿、自分の手へと視線を移し、目を細めた。

(グラスが割れただけだ。…いや、もし、割れなかったら)

バーナビーの手は虎徹へと伸びていた。
もし、あれが彼に触れていたら、こんな怪我だけでは済まなかったかもしれない。

「忘れるところでした」

これ以上は踏み込んではいけない。
絆されてはいけない。
僕は普通の人間とは違うのだから。
そんな重大なことを、どうして忘れていたのだろうか。

「おじさん…そろそろ、帰りますね」
「バニーちゃん?」
「ちゃんと手当してもらって下さい。では」

虎徹の困惑した眼差しに、バーナビーは視線を逸らした。
あの目を見てはいけない。
咄嗟にそう判断して、虎徹に背を向けた。
虎徹は何か言いたげにバーナビーの名を呼ぶが、彼は聞こえぬフリをして扉へと向かった。
動き出した足は簡単に止まらない。止める気はない。
扉の鍵を外し、ドアノブを回す。
そうすれば、闇夜がバーナビーを漆黒の世界へと誘ってくれる。

「今日は、本当にありがとうがざいました」
「お、おう…」

振り返ることなくバーナビーは言葉を紡ぐ。
後方で戸惑いながらも頷く虎徹の気配があって、胸が苦しくなった。

「…それでは、また」

絞り出した声は、虎徹には聞こえなかったかもしれない。
それでも良いとバーナビーは思った。
出来ればもう、会いたくない。自分からはもう、会わない。
例え、嘘吐きだと言われても、それでもいい。

バタン、と閉じられた扉は重たく、冷たく。
二人の世界を別つ存在となった。






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