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シザーハンズと愛の行方
鋏男と揺らぐ記憶



「珍しいですね、博士が部屋を出て別の部屋へ、なんて」
「君こそ、人間には興味はないと言っていましたが、最近はバーテンダーの男と仲が宜しいようで」
「……見ていたんですか」
「あなたが私の頼んだ日ではなく、別の日に部品を持ってきたのが気になりましてね」


博士はそう答えて、隣の部屋の重々しい扉を開いた。
バーナビーはその扉を見て一瞬立ち止まったが、中へと入っていく博士の後ろ姿を追って、部屋へと足を踏み入れた。

「……ここは、」
「バーナビー君がその手になって初めて目覚めた場所です」

私もこの部屋に入るのは久しぶりです、と博士は呟いて埃の溜まり始めたビーカーや器具、本を愛おしそうに見詰めた。
バーナビーは男のそんな姿に、何か得体の知れない狂気染みたものを感じて眉を顰めた。


「……そういえば、思い出しましたか?」

器具から視線を外し、博士はバーナビーを見遣った。
いえ、と簡潔に答えると、博士はじっくりとバーナビーの動作や表情を調べるように視線を動かした。
バーナビーはこの男の這うような粘着質な動作がはっきりいって嫌いだった。

「……私はね、あなたが全てを思い出せば良いと思っています」

全て、という言葉にバーナビーは博士から暗く陰湿な感情を読み取った。

「…僕は、別にこのままでも良いと思っています」
「記憶も、その両手のことも?」
「……」

博士は、何もかも全て知っているかのように口元を上げて笑った。
その笑みが不気味で、バーナビーは虎徹のことを思い浮かべて直ぐ、頭の中から消し去った。

「ふふ、…記憶はないというのに、その両手にはこだわっている。君は本当に面白い」
「……」

愚かで真っ直ぐだ、と博士はバーナビーに言った。
バーナビーは眉を寄せ、男を睨み付ける。

「バーナビー君。君はもう既に思い出しているのではないですか?
…ただ、心の奥へと記憶を押しやって隠して忘れたフリをして。…人間というものは自分に非があることは無かったことにしますからね」

博士の視線の中に、怒りや憎しみに似た感情が含まれる。
遠くない昔に、その感情を嫌という程ぶつけられたような。
そんな記憶が確かに心のどこかに残っているとバーナビーは思った。

「…さて、君の話を聞きましょうか」

手に持ったマグカップを口元へ寄せ、博士は温くなった珈琲を啜った。
男の露わになった感情はその動作一瞬で身を潜め、バーナビーは博士の表情を探りながら口を開いた。

「……町の、事件を知っていますか?」
「…事件?」
「多分、昨日今日の話だと思うんですが…」

博士は顎に手を当て、考える仕草をした。

「どうして君がそんな事件を気にして?」
「…僕に、関係する事件だと思いまして」

バーナビーがそう言うと、博士は暫く考えて成る程、と口元を歪め首を上下に動かした。

「……二つあります。君に関係のある事件ならば、その事件は必ず君の過去に関係するものです。…復讐、が一番有力だと思いますが…」
「僕の、過去…」
「そう。君の過去です」

小馬鹿にした口ぶりで博士はバーナビーの言葉を繰り返した。
バーナビーはそんな博士に苛々する余裕もなく、ただフラッシュバックする記憶に戸惑った。
思い出したくもない記憶が頭の中を駆け巡ってバーナビーは頭を振った。
この記憶に、関係する。

復讐。

「凶器は刃物、そして炎」
「……」
「そしてその二つは君を縛る罪で、罰である」

バーナビーは視線を落とし、自分の鋏状になった両手を見詰めた。
不意に頭に鋭い痛みが走り、バーナビーはぐらりとよろけた。
足元に転がっている何かにぶつかって転倒しそうになったが、バーナビーは自らを支えるために壁に手を伸ばして何とか姿勢を持ち堪えた。

「……ッ、」

目の前に、テレビの砂嵐のような映像が流れてバーナビーは呻いた。
映像ははっきりしない。音声もザザザと雑音が聞こえるだけだ。
しかし、そこに映るのは血に塗れた自分の姿で、吐き出した言葉は恨み憎しみだと、無意識に理解した。

「その手は君の犯した過ちの証。君はその手を持ち、人から離れ暮らすことを選んだというのに…出会ってしまった」

(バーナビ―、バーナビ―…。バニーちゃんだな!)

笑顔を浮かべる虎徹の姿に、バーナビーは全身を震わせた。
背筋に冷たいものが走り、身体中を駆け巡る。
血の気が下がる音がして、バーナビーは息を飲み込んだ。

(おじさんが、おじさんが…危ない…)

バーナビーはふらつきそうになる両足を叱咤して扉へと向かった。
扉を乱暴に開けるバーナビーの姿は、自分の手のことなど微塵も考えていない。

彼が出て行った扉のドアノブを見詰め、博士は喉を鳴らして笑った。
上から下へと何度も向かう傷痕を指先でなぞり、もう一つ、と呟いた。

「君は、全ての記憶を戻してはいないようですね。ある一部の記憶に囚われている様子。いや…もしくは、心の傷として、その記憶の部分だけを覚えているものとして捉えているのかもしれませんね…」

バーナビーの居なくなった空間は静かで、男の淡々とした声だけがやけに大きく聞こえた。

「ですが、何も影響はありませんよ」

男はポケットから小さな小瓶を取り出して、笑った。

(私の、復讐には、)







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