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短編
ずるい人の話




「好きです、おじさん」

その声がいつも以上に真剣さを帯びて虎徹の耳に届いた。
抱きしめらた腕に熱が集中して、バーナビーの白い頬が上気していることなど見なくてもわかる。
歳を取ると人の懐へ簡単に入りこめるのに、自分がそうされると戸惑う。
なんてずるい大人なんだろう。なんて酷い大人なんだろう。

「おいおい、バニーちゃん、もう酔ったのか?」

そうやって真剣な眼差しのバーナビーを茶化して、若い彼から身を離す。
密着していた場所に隙間が出来て涼しいのか寒いのか、肩を竦めた。

「僕は酔ってませんよ」

そう言ってもう一度距離を詰めるバーナビーの肩を押して立ち上がった。
今日は自分の部屋ではなく、バーナビーの部屋だ。
最低限のものしか置いてない彼の部屋は生活感があまり感じられない。
そんな部屋を抜けて、バーナビーに水を持ってくと声を掛けた。
返事を受け取る前に扉を閉めてリビングへと移動する。
バーナビーの冷蔵庫には栄養剤とミネラルウォーターしか入っていない。
相変わらずだな、と言葉が独りでに口から出る。
食器棚から適当にコップを持って出来るだけゆっくりとバーナビーの部屋へと戻った。

思えば、最初に好きですと言われたときもこうやって彼の部屋に来ていた。
そのときは、お前はまだ若いからとかなんとか言ってはぐらかした筈だ。
今日はどうやってバーナビーのあの言葉をはぐらかそうか。

大人は口だけが上手くなって嫌だな、なんて心の中で呟いてみる。
昔はそんな大人になりたくないと思っていたのに、いつしか自分もそんな大人になってしまっている。
しかし、これは必要なことなのだとも思う。いつまで経っても真っ直ぐでいられるわけないのだ。

結局、全てが言い訳なのだが。

部屋へと戻るとバーナビーは膝を抱えて身体を丸めていた。
顔を伏せているので表情は窺えない。
まさか悪酔いして気分が悪くなったのだろうか。

転がっているビールの缶を踏まないように足先で避けて、大丈夫かとバーナビーに近寄る。
彼の整った顔立ちを覗き込もうと顔を近付ければ、バーナビーの手がするりと伸びて乱暴に襟を掴んだ。
視界が反転して自分の身体がバーナビーの下にある。
コップはしっかりと握りしめていたので割ることはなかったが、ミネラルウォーターは自分の手の届かないところまで転がっている。

「…っ、バニー…」
「あなたはずるい人ですね」

押し倒し馬乗りになったバーナビーの顔に感情はない。
否、隠すことに長けたこの若者は悲しみをひたすらに心の内に無意識に隠している。

「あなたはいつだって僕の気持ちをはぐらかしますよね」
「…当たり前だ。男の、しかもおじさん相手に好きだなんて、気の迷いでしかないだろ…」
「違います」
「違わねぇよ」

自分の上に座る男を睨みつけると彼は溜息を吐き出した。

「あなたは、嘘吐きですね」

何が、と問う声はバーナビーの唇の中へと消えた。
触れるだけの口付けは羽のように軽く、バーナビーの低い体温を虎徹に伝えた。

「あなたは抵抗する気もないのに、嘘じゃない理由がどこにあるんですか?」
「これは…」
「そろそろ本心を聞かせて下さい。ねぇ、おじさん」
「本心、なんて……」
「お願いです。早くしないと、僕はいつまでもあなたの可愛いバニーちゃんを演じれなくなります」

僕は知ってるんです。あなたは嘘が苦手なのに、嘘を吐いて。
それでもあなたは優しいから、ほら。

言って下さい、と有無を言わせないバーナビーの声色に、観念するように虎徹は身体を床へと預けた。
そして、最悪だと悪態を漏らすと目の前の男を押しやって起き上がった。
起き上がり、彼のために持ってきたミネラルウォータに手を伸ばして口を付けた。

「酔い、冷めますよ」
「十分冷めた。誰かさんのせいでな」

頭をガシガシと掻いて、肩を竦めた。
虎徹は暫く言葉を探して、ほんとは、と続けた。

「…ほんとはお前が、俺のことを本気で好きだって言ってることは知ってたさ。でも、若さゆえってあるだろ?お前は普通とはまた違った環境で育ってるしだな…。ズカズカとお前の心の中に踏み込んでお節介焼いたのが俺だけだったんだろ…。だからお前は初めてを勘違いしちゃってるんじゃないかと思ってんだよ。だっておじさんだぞ。娘だっているし、歳なんかお前と一回り違ってきたりしちゃうんだぜ?そんなおじさんに好きだって言ったって誰が信じるかよ。それに、いい歳した大人はずるくなるもんでね……」
「で、おじさんは僕のこと好きなんですか?」
「……お前、今の話聞いてた?」
「それは建前の話でしょう?おじさんは大人なんですよ、っていう建前」
「……」

キスもしたのにどうして出てこないんですか、とバーナビーは言う。
確かに目の前にいるこのイケメンとキスしたとき、嫌だとは思わなかった。
しかしそれは相手が相棒だからかもしれない。
だから、決定的な判断として、言葉として良いものか悩んでしまうのだ。

「おじさん」
「…俺は、」
「……」
「俺は、お前のことは嫌いじゃない」

けれども好きと言えるほど、この気持ちは曖昧すぎるのだ。現時点では。
バーナビーは口元をゆるめて笑った。困ったような顔だった。
だが、悲しんではいないようだった。

「本当に、おじさんはずるい人ですね」

僕にあれだけ好きと言わせておいて、嫌いじゃないだけだなんて。
でも。

「それなら言わせるまでですよね、おじさんのこの口で」

覚悟していて下さいね、とバーナビーは天使も驚くような綺麗な笑顔を虎徹に向けた。

虎徹は心の中でとんでもないことを言ってしまったかもしれないと思った。








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