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短編
青年と少女の話



世界は無情にも残酷で、優しくなどない。
しかし失われつつあるその鼓動だけはとても優しくて、けれどもバーナビーの心に強い不安を募らせる。
いつ失われるやもしれないその緩やかな鼓動は、バーナビーに更なる憎悪と怒りの衝動を駆り立たせ、そして彼は負の感情に身を委ねたまま、育ての親だったマーベリックの元へと向かった。
しかし怒りや憎しみに駆られたバーナビーでは男を捕らえることは出来なかった。
男はただバーナビーを呪うように漆黒の闇の中へと消え去って行った。
バーナビーはマーベリックの後を追おうと動いたが、それを止めたのは他のヒーローたちであった。
彼らは自分たちがあの男を追うと言い、バーナビーにはバディとその娘の側に居ろと、そう告げた。
バーナビーは父の名を悲痛そうに呼ぶ少女と、瞳を閉じて眠る自分のバディの存在を苦しげに見つめたまま、ただ無情な世界の中、立ち尽くすしかなかった。
そうしてバーナビーに残されたのは深い絶望感だけだった。

真っ白な空間はまるで生と死の狭間のようだ。
そんな寒々しい空間で眠る虎徹は、今も尚、目覚める兆しはなく。彼の仲間たちは彼に会いに来る度に悲しげな笑みを残して仕事へと戻っていく。
しかし、此処に来るべきである虎徹のバディ、バーナビーは現れない。
彼のバディは、彼がここで眠ることが未だに信じられないのかもしれない。もしくは、罪深い自分が全てを解決するまで彼の元へ来られないと、そう思っているのかもしれない。
だからこの空間にはバーナビーの色はない。
太陽のような明るい金色の髪も、同じ換えを幾つも持つ眼鏡も、彼と出会った当初から着ていた赤色のジャケットも。此処には存在しなかった。
その事を仲間であるヒーローたちは何も言わなかった。
彼の性格を知っている彼らはバーナビーが来ないのは仕方のない事だという諦めを心のどこかに持っていた。
しかし虎徹の娘である楓だけは違っていた。
どうしてバーナビーは父に会いに来ないのか疑問に思っていた。バディなのに、コンビなのに、と。
そしてその疑問はいつだって虎徹の仲間たちに向けられて、純粋な少女の問いに仲間たちは困惑な表情を浮かべるだけだった。

バーナビーが父を好きだということは一目見てわかった。
だってあれほど必死に彼が虎徹の名前を呼ぶものだから、気付かない方がおかしいと聡明な少女は思う。
だから、一向に現れない彼に楓は少しの怒りを覚えた。
父はあれほどバーナビーを心配していたというのに、一度も会いに来てくれないなんて、薄情ではないかと。
そう愚痴のように零した楓の言葉は、女性のような口調のヒーローが汲み取って、ハンサムにも考えがあるのよと少女を諭した。
しかし少女はまだ幼く、大人である彼らの考えや言い分はまだわからない。ただ、少女は唇を尖らせて、彼らの言葉に小さく頷くしかなかった。

しかし、そんな楓の前に彼は現れた。
それは面会の終わるほんの数分前で、いつもならもっと早い時間に帰る楓は急いで帰る準備をしていた。
楓はいつものように眠る父に挨拶して部屋を後にしようと扉を開いた。
きっと彼はこの時間なら誰もいないだろうとそう思っていたに違いない。
そんなバーナビーと、楓はばちりと目が合ってしまったのだ。

「バーナビー?」

びくりと肩を揺らして、金髪の青年は楓に小さく会釈した。
あの日に比べて痩けた頬と隈は悲痛で、彼がきちんと寝ていないことを楓はすぐさまに悟った。

「…もしかして、ずっと来てたの?誰にも見つからないように、面会が終わる時間に?」
「……すみません」

バーナビーは楓の言葉に謝罪を述べて、逃げるように踵を返す。楓はとっさに彼のジャケットの裾を掴んで彼の動きを止めた。バーナビーもさすがに少女の手を振り払うことは出来はしない。

「どうして?皆が、私が居るときに来てくれなかったの、バーナビー?てっきり、お父さんのこと忘れてしまったんだって…思った」
「……」
「ねえ?どうして?」
「…虎徹さんには会ってません。いつも病室の前まで来て帰るんです…。…だって、僕はこの病室に入る資格なんてないですから…」

バーナビーは毒々しいまでに白い病室の扉を見つめる。
きっとその先に居る虎徹の姿を思い浮かべているのだろうと楓は思った。
眠る虎徹はまるでバーナビーに心配かけないようにと穏やかな表情をしている。それを彼は知らない。そしてきっと彼は虎徹がとても辛そうに眠っているのだと、そう思っているはずだ。

「…怖いの?お父さんに会うのが」
「……」
「資格があるとかないとか本当は嘘でしょ?」

楓の真っ直ぐな瞳に見つめられ、バーナビーは目線を床へと落とした。
まるで親に叱られた子供だ。
楓は小さく息を吐き出して、言葉を探した。
父に会って欲しい。父に大丈夫だって言って、安心させて欲しい。
言葉で伝えるのは簡単だが、それだけでは彼は首を縦には振ってはくれないだろう。
楓は言葉を必死に探した。

「…バーナビーはお父さんが好きなんでしょ。私、あなたが必死にお父さんの名前を呼んでたときに気付いたんだ」
「……」
「お父さんもね、仕事を辞める前にどうしてもやらなきゃならないことがあるって、きっとバーナビーのこと、凄く心配してたと思う」
「…ええ…虎徹さんはいつだって、誰かの為に必死で…僕のことにも必死でした…。虎徹さんは僕のことを気にかけて心配して、そんな虎徹さんに会わないのはきっと駄目なんだと思います。でも、僕は怖いんです。楓さんの言うとおり、虎徹さんに会うのが怖いんです」
だって、僕のせいだ。
白い病室で、酸素マスクを付けて点滴を付けて。
いつ目覚めるかもわからない虎徹さん。
もし、彼が死んでしまったら。
僕のせいでと言われるのは構わない。
でも、彼が死んでしまったら、僕は。僕はどうすればいいんだ。

「お父さんは、死なないよ。絶対、死なない」
「…楓さん?」
「だって、私のこともバーナビーのことも、お父さんは心配してるもん。だから、死なないよ」
「……」
「ねえ、バーナビー。私ね、あなたがお父さんを治療できるネクストを探してるって他のヒーローたちに聞いたの。でも、お父さんに会いに来ないでそんなことして何て卑怯なんだろうって思った」
「…すみません」
「謝らないで」

楓は首を左右に振るとバーナビーの腕を引き、ドアノブを握らせた。そしてその上から手を握りしめる。
バーナビーは困惑した表情を隠せないまま少女を見下ろすが、少女はバーナビーの視線に優しい笑みを向けて言葉を紡いだ。

「私も、バーナビーのお手伝いするよ?きっとバーナビーだけだと心配だってお父さんも言うから」
「虎徹さんの大事な娘さんを危険なところに連れてはいけませんよ」
「私はお父さんの娘だよ!ヒーローの娘なんだから」

大丈夫だよ。
その言葉が、真っ直ぐな瞳が色濃く彼の面影を浮かび上がらせて、バーナビーは瞳を細めて笑った。

「…君は、虎徹さんに…本当にお父さんに似てますね…」
「うーん…それはあんまり嬉しくないけど…でも、ありがとう」

にこりと笑みを向ける少女に、バーナビーは泣きそうに表情を歪める。しかしここで泣くわけにはいかない。バーナビーにはまだやることが沢山残っているのだ。

「大丈夫だよ、バーナビー」
大丈夫だよ、バニー
彼女の言葉に、虎徹の言葉が重なったように聞こえて、バーナビーは頷いた。
そして、未だ眠り続ける彼に会いに、ドアノブを回し、白の世界へと踏み込んだ。






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