短編 抜歯の話 ※ヤンデレバニー、痛いお話なので苦手な方は注意! あいつに言うんじゃなかった。 そう思ったところでもう遅い。 俺は洗面台の鏡に向かって口を開き、違和感のある奥の歯を確かめていた。 「虫歯か…?」 俺は角度を変えて口の中を覗き込むが、自分の視界からでは虫歯を捉えることは出来なかった。 歯医者に行くか。 そう小さくぼやいて肩を竦めさせれば、背後から仕事のパートナー、バニーの声が聞こえて俺は振り返った。 「どうしたんですか、鏡の前で唸って」 「あー…うん。何か歯に違和感があってさ…」 多分、奥の歯だと思うんだけどさ。 そう言葉を付け足して、舌で違和感のある場所を押してみた。 じんわりと痺れるような何とも言えない感覚に俺は顔を顰めると、バニーはにこりと微笑んで僕に見せて下さいといった。 俺は特に気にすることなく、あーと声を発しながらバニーの前で口を開ける。 それを眼鏡を押さえて覗き込むバニーはまるで歯科の先生のようで俺は心の内で少し笑ってしまった。 「…確かに、右の奥歯にありますね」 急に親指を突っ込まれて俺は驚きのあまり声を上げた。 しかしバニーは俺の驚きなんか余所にこれなら僕でも抜けますよ、なんて何やら物騒なことを呟いている。 「はひー…?(バニー…?)」 恐る恐るパートナーの愛称を口にする。といっても口に親指を突っ込まれたままでまともな発音は出来なかったが。 バニーはそんな俺の声を愛おしそうに聞いて、至極優しい笑みを浮かべて俺の姿を見詰める。 「これくらいなら僕が抜いて上げますよ、虎徹さん」 衝撃的な台詞を吐いたバニーに俺は背筋が凍って、俺はこいつから逃げよろうと容赦なく暴れた。 しかしそうなることは予め分かっていたのか、バニーは上手に俺を押さえつけて逃げないように壁へと追い遣った。 「大丈夫ですよ、優しくしますから」 ね?と甘やかな声で囁かれて俺は身体が震える。 壁に追い遣られた身体はバニーの長い手足で縫い付けられ身動きが出来ない。 俺はバニーの危険なスイッチを押してしまった愚かな自分を心の中で呪った。 「怖がらないで下さい」 口の中に入ったバニーの親指を噛んで逃げ出してても良かったのだが、そうすれば次またこうなったとき、バニーは今以上に、嬲るように愛や恋を押し付けてくる。 そうなったとき、奥の歯を抜くだけでは済まされないことを俺は経験上理解していて、そうしてまともな抵抗を与えられていない俺はバニーのこの恐ろしい行為を甘んじて受け入れるしか逃れる方法はなかった。 「今日は大人しいんですね」 クスリ、とどことなく影のある笑みを顔に張り付けてバニーは大人しくなった俺の鼻先に口付けを落とした。 それから緩慢とした動きでジャケットのポケットに手を入れると、工具のペンチを取り出して俺に見えように突き付けた。 流石に俺もペンチなんて見たら決めた覚悟が揺らいでしまって逃げ出したくもなる。 しかしそんな自分を必死に叱咤して、震え出した手を握り締めながら俺は平静を装った。 平静を装ったところでバニーには俺の震えや緊張は伝わっていて、それが伝わる度にあいつは労るように笑って、そして髪を撫でてくるのだ。 「虎徹さん、大丈夫ですからね。落ち着いて息を吸って…」 バニーの眼鏡が光で反射して、バニーが動いたのが分かった。 持ち上げたペンチを俺の口内へと入れると鉄臭さが口の中で充満し、俺は吐き出したい衝動に駆られた。 しかしバニーは容赦なく俺の口の中にペンチを突っ込むと、ガチリとペンチで奥歯を押さえた。 「…抜きますよ、虎徹さん」 バニーは俺の頬に口付けを落として、ペンチを思い切り引く。 ミシミシと歯が抵抗する音と、歯と歯茎の肉が引き千切られる痛みで俺はバニーの腕を掴んで悶えた。 「あ…っぐぅ…いぃッ…う…」 壮絶な痛みにキンと耳鳴りがする。 早くこの痛みから解放してくれと切実に願えば、生温かいものが口の中から溢れた。 更に鉄臭さが口内で広がって、俺は口の端からダラダラと流れる真っ赤な血に気が遠くなった。 「もう、抜けますよ」 ぐちゅりと歯茎から動く音が聞こえて、口から真っ赤に染まったペンチと奥歯が抜き取られる。 それと同時に解放された俺は逃げ出すように洗面台へと向かい、口内の血を吐き出した。 ジクジクと痛む歯の抜けた場所は血の塊がコラーゲンのように溜まって、俺は蛇口を捻って水で口の中を何度も何度も濯いだ。 「うぇ…ぇ…っ…」 何度口を濯いでも止まることなく溢れてくる出血に俺は涙を浮かべた。 このまま出血多量で死ぬのではないかと俺らしくない考えが頭に過り思わずゾッとした。 「虎徹さん、こっち向いて。口を開けて下さい」 バニーはそんな俺の気持ちなんか知らずに幸せそうな笑みを浮かべて俺を見詰めている。 しかしもう殴る気力もない俺はそんなバニーに手招きされて静かに従った。 「ちゃんと綺麗に抜きましたから、安心してくださいね」 バニーは俺の口に指を突っ込んで確認して笑うと、ガーゼを取り出して奥の歯の抜けた場所へと押し込んだ。 暫くは気持ち悪いでしょうけど我慢して下さいね。そう声を掛けてくるバニーに俺はもうどうすればいいのか分からず途方とか放心とかしている。 バニーはそんな俺の血に濡れた唇を舐め上げて、満足そうな顔を浮かべた。 「これであなたを蝕むものはなくなりましたね。僕の愛しい虎徹さん」 バニーは子供のように無邪気にふふっと笑って、俺の唇にちゅっと可愛らしい音を立てて口付けを落とした。 |