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落乱
綾滝:泡


 人間、心底驚くと声も出ない。

 授業から委員会、さらにバイトを経て学生寮の自室へと帰宅した平滝夜叉丸は、数秒間ほど思考を停止させてから、どこかの誰かが言い残した言葉に思いを馳せていた。

 疲れた体にむち打ちながら帰り着いた自室の扉をあけると、モノトーンと淡い暖色系でまとめられた、我ながら渾身の作のインテリアが、シャボン玉の泡にまみれていたのである。
 どうやら割れにくい種類の物らしく、壁や床、家具に張り付いて不思議な存在感を醸し出している。

 一体全体何事だ、と蒼白になりながらよくよく部屋を見渡すと、ベットの上にシャボン玉を量産する元凶が見つかった。

「ああ、滝夜叉丸。おかえり」

 軽く手をあげて飄々と挨拶をする男、綾部喜八郎。
 滝夜叉丸の幼なじみで、恐らく恋人に分類される淡々とした奇人である。

「……なにをしている」

 滝夜叉丸は呆れと怒りと混乱がない交ぜになった苦い声を絞り出す。
 喜八郎の奇行は今に始まった事ではない。
 しかし、後始末に手間がかかる事をされるのは流石の滝夜叉丸も堪えるというものだ。

「今日の帰りに外で見かけたんだよ。綺麗だから滝夜叉丸にも見せようと思って」

 あっけらかんと、さも当たり前の如く言い放つ。
 悪気なんてひと欠片も無いだろう顔と声色に、一気に毒気を抜かれた滝夜叉丸はぐったりと肩を落とした。

「……気持ちは嬉しいがな、シャボン玉は外でやるものだ。部屋を汚すな……」

 喜八郎に説教をする事をすっかり諦め、このあちこちに点在する石鹸水の塊をどう掃除したものかと滝夜叉丸は頭を抱える。

 一方の喜八郎は、散々作って満足したのかシャボン玉一式を手放し心なしか上機嫌に交互に部屋と滝夜叉丸を見回している。
 ちらちらと刺さる視線に俯いていた頭を上げた滝夜叉丸は、視線だけで何だ、と問いかける。
 意味を汲み取った喜八郎は、珍しく柔らかい笑顔を見せた。

「一人の時も綺麗だと思ったけど、滝夜叉丸が居るともっと綺麗に見えるよ」

――ああ、やっぱりまた負けた――

 ふわり、とそんな擬音がついたような微笑みを目の当たりにした滝夜叉丸は、敗北感と熱を持ち始めた頬を誤魔化すように喜八郎を追い立て、掃除を始めた。


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