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人形−1−
大学2回生の春だった。
当時出入りしていた地元のオカルト系フォーラムの常連に、みかっちさんという女性がいた。
楽しいというか騒がしい人で、オフ会ではいつも中心になってはしゃいでいたのであるが、その彼女がある時こう言うのである。

「今さ、友だちとグループ展やってるんだけど見に来ない?」

大学の先輩でもある彼女は美術コースだということで絵を描くのは知っていたが、まだ作品を見せてもらったことはない。

「いいですねえ」

と言いながらふと、周囲のざわめきが気になった。
居酒屋オフ会の真っ只中に、どうして俺だけを誘ってきたのか。確かによくオフでも会うが、それほど彼女自身と親しいわけでもない。フォーラムの常連グループの末席に加えてもらっているので、自然に会う機会が増えるという程度だ。
なにか裏があるに違いないと、嗅ぎつける。
追求するとあっさりゲロった。

「gekoちゃんの彼氏を連れてきて」

と言うのだ。
gekoちゃんとはその常連グループの中でも大ボス的存在であり、その異様な勘の良さで一目置かれている女性だった。
その彼氏というのは俺のオカルト道の師匠でもある変人で、そのフォーラムには『レベルが違う』とばかりに鼻で笑うのみで参加をしたことはなかった。
もっとも彼はパソコンなど持っていなかったのであるが。その師匠を連れてきてとは一体どういう魂胆なのか。

「いやあ、そのグループ展さあ、5日間の契約で場所借りてて今日で3日目だったんだけど…なんか変なんだよね」

聞くところによると、絵画作品を並べているギャラリーで誰もいないはずの場所から誰かの呻き声が聞こえたり、見物客の気分が急に悪くなったりするのだそうだ。

「昨日なんてさ、終わって片付けして掃除してたらさ、床に長くて黒い髪の毛がやたら落ちてんの。お客さんっていっても、わたしの友だちとかばっかだし、たいていみんな髪染めてんのよ。先生とかオッサン連中はそんな髪長くないしね。気味悪くてさぁ」

みかっちさんは演技過剰な怖がり方で、肩を抱えてみせた。

「こういう時頼りになるgekoちゃんはこの間からなんか実家に帰ってていないし。キョースケは東京に出て行っちゃったし」

肘をついてブツブツと言う。

「というワケで、噂のgekoちゃんの彼氏しかいないワケよ」

みかっちさんは師匠と直接会ったことはないようだが、やはり噂は漏れ聞いているみたいだ。
どんな噂かは定かではないが。

「とにかくコレ、案内状。明日来てよね。私、明日は朝から昼まで当番だから昼前に来て」

ずいぶん強引だ。

「明日は平日なんですけど」

と言うと

「めったに講義出ないんでしょ」

と小突かれた。


翌日、一応師匠を誘うと

「面白そうだ」

とノコノコついて来た。

二人で案内状を見ながら街を歩き、辿り着いた先は老舗デパートのそばにある半地下のこじんまりとしたギャラリーだった。少し外に出ればアーケード街があり、平日の昼でも人通りが絶えないのであるが、ここはやけに静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。


中に入ると、学生らしきショートボブの女性が

「いらっしゃいませ。」

と笑顔をこちらに向けてくれた。
みかっちさんと同じ美術コースの人だろうか。
暗めの照明に、壁中に大小様々な絵が飾られた店内が照らし出されている。

「あ、ホントに来たんだ」

呼んでおいてホントもなにもないと思うが、みかっちさんがギャラリーの奥から出てきた。
そして師匠を見るなり目を見開いて呟く。

「ちょっと、gekoちゃん。見せないワケだわ・・・」

師匠はそれを無視して、視線をギャラリー内に走らせる。
ここに来るまで冷やかし気味だった雰囲気が少し変化していた。

「ここって何人ぐらいで借りてるの?」

師匠の問いかけに、みかっちさんは

「6人」

と答える。

「コースの仲間と、後輩。学割が効くんですよ、ココ」

「で、自分たちで描いた絵を期間中、置いてもらうわけか」

「そうです。で、6人で順番に当番決めてお客様対応」

ふうん。
師匠はもう一度、視線を一回りさせる。

「あ、そうそう。わたし犯人っぽいのわかっちゃったかも。こっちこっち」

みかっちさんは俺たちをギャラリーの奥まった一角に案内した。
それまでバスケットのフルーツなど、静物画を中心に並んでいたのに、一つ明らかに異質な絵が出現した。
それは人形の絵だった。
全体的に青く暗い背景の中、オカッパ頭の人形の絵がまるでヒトの肖像画のように描かれている。
明らかに人間をデフォルメしたものではなく、写実的な表現で一目見て人形と分かるように出来ている。
黒髪の頭に赤い着物。
それらが妙に煤けた感じで、小さな額に納まっていた。

「ね」

とみかっちさんは小さな声で言った。
確かに不気味な絵だ。
市松人形というのだろうか。
可愛らしい人形を描いた絵とは少し言い難い。

何故かは自分でもよくわからないが、人間ではないものが人間を擬してそこにいるような嫌悪感があった。

「これは誰の絵?」

「わたし」

みかっちさんは後ろ頭をわざとらしく掻く。困ったような表情も浮かべている。

「モデルがあるね」

「…友だちの持ってる人形。すっごく古いの。ちょっと興味があって描かせてもらったんだけど」

伏目がちな童女のふっくらした顔が不気味な翳を帯びている。
胸元を締める浅葱色の帯が所々剥げてしまって、どこか哀れな風情だった。
師匠は真剣な表情で絵に顔を近付け、何事かぶつぶつ言っている。

「やっぱこれかなあ。どうしよう。結構気に入ってるんだけど」

「なにか曰くがある人形なんですか?」

「あるよ。すっごいの…。でもこれはタカガわたしが描いた絵だし、全然気にしてなかったんだよね」

「その曰くって、どんなのですか?」

俺がそう口にしたところで、師匠が顔を離し、難しい顔で

「逆だ」

と呟いた。

「え?」

と訊くと、絵から目を逸らさないまま

「いや」

と言い淀み、首を振ってから

「やっぱり、よくわからないな。これが原因だとしても、ただの媒体にすぎない。本体の方を見たいな」

と言う。
みかっちさんは

「う〜ん」

と言ったあと、ニッと唇の端をあげた。

「込み入った話だとここじゃちょっとね。近くの喫茶店で話さない?」

師匠と俺は頷く。
みかっちさん、最初は敬語気味だったのにいつの間にか師匠にもタメ口だ。

「あ、でも交替要員が来るまでまだ結構時間あるから、絵でも見てて」

来た時は俺たちしか居なかったのに、いつの間にかもう一人初老の男性がやって来てショートボブの女性が応対している。


俺はギャラリーの真ん中に立って、目を閉じてみた。
精神を集中し、違和感を探る。
するとやはり、人形の絵がある方向になにか嫌な感じがする。
照明があたり難いせいなのかも知れないが、あの辺は妙に暗い気がする。

「ねえミカ、友だち?なに熱心に見てたの」

ショートボブの女性が声をかける。

「うん。人形の絵をちょっとね」

「人形の絵?」

首を傾げる女性に、みかっちさんは

「なんでもない」

と手を振った。
俺と師匠は一通り絵の説明を受けながらギャラリーを見ていったが、素人目には上手いのか下手なのかもよくわからない。
ただモダンな感じの難解な絵はなく、わりとシンプルで写実的な作品が多かった。

「見て見てこれ、あたしがモデル」

などと言って裸婦の絵を指差すなど、テンションの高いみかっちさんとは裏腹に、俺たちは絵画鑑賞などすぐに飽きてきてしまった。
特に師匠など露骨で、ショートボブの女性が熱心に紹介してくれているのに気乗りしない生返事ばかり。
そして少しイライラしてきたらしい女性が

「絵はあまりお好きじゃないみたいですね」

と言うと、それに応えて思いもかけないことを口にした。

「絵なんて、ようするにすごく汚れた紙だ」

絶句する女性に、畳み掛けるように続ける。

「見るくらいにしか役に立たない」

平然と言ってのけた師匠を、さすがにまずいと思った俺がむりやり引きずって外に出した。
みかっちさんには

「近くの喫茶店にいますから」

と言い置いて。
ザワザワと耳障りな雑踏の音が飛び込んでくる。
やはりああした所は、鑑賞中に気が紛れない様に防音が効いているのだろう。
俺は師匠を問い詰めた。

「なんであんなこと言うんです。人がせっかく描いた作品に」

「別に貶したつもりはなかったんだけどな」

「自分が好きなものをバカにされたら誰だって怒りますよ」

師匠はう〜ん、と言って顎を掻く。

「オカルトの方がよっぽど役に立たないでしょ」

俺は自分自身への自虐も込めて師匠を非難した。
すると師匠は急に遠くを見るように目の焦点をさ迷わせ、横を向いてじっとしていたかと思うと、こちらへゆっくりと向き直って言った。

「役に立たないものは、愛するしかないじゃないか」

二人の間に足元に駐車禁止の標識の影が落ちていた。
俺は一瞬なんと返していいかわからず、ただ彼の目を見ていた。
その言葉は、今では師匠の好きだったある劇作家の言葉だと知っている。
あるいは戯れに口にしたのかも知れない。
それとも彼の深層意識から零れ落ちたのかも知れない。
けれどその時の俺は怒ると言うより呆れていて、そんな言葉をくだらないと思い、なんだそれと思い、そしてそれからずっと忘れなかった。

喫茶店で軽食をとりながら30分ほど待ったところで、みかっちさんがやってきた。

「ごめーん、遅くなったあ」

などと軽い調子で席に着き、さっきの師匠の失言などまるで気にしてない様子だった。
みかっちさんはホットサンドを注文してから、さっそく本題に入る。


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