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待ち望んだ終末




 昔から家というものに憧れていた。
 厳密に言えば、それは家そのものだったり、豊かな暮らしであったり、そこにある暖かいものであったり・・・それはあらゆる意味を含めて。
「家」が、アレンの夢であり、幸せの象徴であった。それを持てば、他の幸せも全てついてくるのだと思っていたのである。それは添え物てきにぞろぞろと。そう盲目的に信じていた。
けれど人生自分の思い描くようにはいかないものだと気づいたのは、エクソシストになったころのことだ。この職業を、心底自分が愛しているのかはわからない。アレンに生きる意味を与え、同時に小さい頃からの夢をも奪ったものだったから。
 アレンは昔から記憶することが苦手でもあった。
だから、大抵ひとが持っているポロライドで残すような思い出が何ひとつない。負のイメージを伴う思い出は誰だって忘れたいと願うだろう。それでも楽しい思い出ぐらい記憶しようとしてもいいものだが、小さい頃からの習慣でいつも記憶の欠片はするりと指の間から零れ落ちて姿を消していった。不思議だ、と思う。

 失われた記憶の断片として、自分は―――捨て子、だったらしい。アレン自身はさっぱり覚えていない。自分がマナに拾われたときがいつだったか。でも確かにマナが自分の世界の全てになってから、マナの笑顔も彼が抱きしめてくれる温度も覚えていたはずだったのに、彼がいなくなってからこれっぽっちも思い出せなかった。
 もしかしたら、自分の額にあるペンタクルのおかげでやっと「マナ」という存在だけは覚えていられたのかもしれない。
 自然と忘れたのだ。生体の防御反応。崩れた世界は、ただアレンにとって苦痛でしかなかったから。
 それからアレンの世界の全てはアクマになった。一番大切なのはいつだってアクマで、二番目はその他全てで、三番目以降はなかった。日々を忘れても、左目を裂かれたときの鮮やかな赤は今でも覚えている。記憶していたかったひとの記憶は、がちゃがちゃと鳴り動く鋼鉄の物体でしかなかった。魅力的なアクマの前では、日常の記憶などはすぐに腐食していった。

 そう、だから、記憶できるラビが心底羨ましいなんて思ってもいたのだ。
 でも彼って、時々発狂とかしそうになったりしないのだろうか、とアレンは思う。覚えているということは怖くありませんか、そう前に訊いたらラビはへらりと笑ったが、少しの沈黙のあと、忘れるほうがよっぽど怖いさー、と言った。その答えに、きっとラビはアレンにはわからない世界を知っているのだと思ったのだけど。

 ―――でも、今なら少しはラビの気持ちがわかるような。
 アレンは夜風に靡く銀色の髪を掻きあげつつ思った。任務帰りの夜の暗い道を一人で歩く。かつん、となる靴音が住民の穏やかな睡眠を妨げてしまわないかと、少々心配になった。

 マナと別れてから、いつだって自分は口先だけで曖昧に言葉を紡いできただけであって、掴みどころのない優しさで人を傷つけてきたのかもしれなかった。
傷つきたくないと思う自分が優しさを要して、記憶を廃したのは確かだ。もしかしたら自分はいとおしいという本当の意味を、今までわかっていなかったのかもしれない。
 今ではアレンの世界の全てはホームのみんな、それは優しいリナリーだったり、悪友みたいなラビだったり、腹の立つ神田だったり、その他一緒に闘う仲間だったり、あとは正常な割合で悲しいアクマだったり‥‥、する。
 目の前にいる人の瞳を真正面から見れるようになった。傷ついても自分が記憶しておきたい何かがあることを知った。
 あの子と出会ってから。

 花屋の角でいつも出会う黒猫がアレンを見てにゃあと鳴き、いつも通り案内をしてくれた。
 ああ、知ってるよ。
 灰色の煉瓦道を越えて、あの子の大好きなアネモネの咲く庭のこの先は、



 誰かを待ちわびているように、ひとつの家の灯りがまだついている。見慣れた人影がカーテンに映った。
 アレンは目線を伏せると、ずっとポケットの中で握っていたものを取り出してのひらの上で少し転がしてみた。無機質な銀色。
 君が待つ僕の家の、僕の鍵。

 あたたかな、記憶しておきたい温度がそこにある。


待ち望んだ終末
080531

花言葉の赤が君を愛す、
紫が信じて待つ、から連想してみました。
色々と嘘が多いですが、結婚後の家持ちアレン。
おそまつさまです。

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あきゅろす。
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