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インテリとクマ(アリー)


「“ソレスタルビーイングは間違っている”…こんな記事書いたって何になるってんだ?」
「心外だね。君が力を宗旨するように私にとってもそれが全てだと言うのに」

小さなカップに濃いめのコーヒーを入れた男は、その一つを俺に差し出しながらさして気にした風でもなく俺に言葉を返した。

「俺は別に力を盲信してるわけじゃねぇよ」
「では言い換えようか。君が心を奪われているのは滅びた故国だ」

カタ、とキーボードをタイプする軽い音が一つ。男の言葉に眉根を寄せ、まだ熱いエスプレッソを口に含む。口に広がるコーヒーの苦味と香りに、相変わらずいい豆使ってんなと現状とは何の関係もない突飛な感想を抱いた。

「失礼。今のは私の極論だよ。鼻で笑い飛ばすといい」
「あながち間違っちゃいねーからアンタは厄介だ」
「君は分かり易いからね、ビアッジ少尉」

僅かに笑い、男は幾つもある俺の名のひとつを口にする。小さく鼻で笑って男のそばに寄り、まっすぐモニタを見て揺るがないスカイブルーの瞳を見た。

「…私はね、ビアッジ少尉。ソレスタルビーイングそれ自体よりも、それを肯定し喚く人間を嫌悪するよ」

カタン、と少し大きめの音を最後にまるでBGMのように続いていたタイピングが止まった。俺を見上げる男の瞳は強い色を孕んでいて、俺はこの軍人でもなんでもない、ナイフ一本あれば殺せるようなひ弱な人間よりも強い瞳を持った人間に会ったことが無かった。

「ソレスタルビーイングは間違なく悪だ。それは彼らも自覚している。必要悪となることで彼らは世界を導こうとしている…」
「まるでソレスタルなんたら肯定派の意見だな?主義を変えたのか」
「行動原理は解明できる。が、所詮は机上の空論を力で押しつけているだけだ」

僅かに皮肉げな笑みを浮かべ、男は自分で淹れたコーヒーに口を付けた。湯気で曇る眼鏡を不愉快そうに押し退けて、男は軽く肩を竦めて見せる。

「力の盲信者…そうだね、ソレスタルビーイングを讃える人間はあの強さに惹かれているんだよ」

眼鏡を拭きながら、男は僅かに目を伏せ唇の端を吊り上げた。

「私から言わせて貰えば、ソレスタルビーイングに何かを奪われた人間以外彼らを賛美する資格はない」
「手厳しいな」
「現にソレスタルビーイングの武力介入から今日までで、彼らは527名の軍人と1249人の民間人を殺している。1776名の命は軽くはないよ。その2倍から3倍の人間が悲しみと絶望に暮れた。彼らがそれでも尚ソレスタルビーイングの理念は素晴らしいと言うのであれば、私は彼らに対してはこのお喋りな口を閉ざそう。だが現状、ソレスタルビーイングを肯定するバカどもはのうのうと被害のない地域でニュースを見ている阿呆ばかりだ」

刺の混じった言葉に僅かに苦い笑みを向ける。雑誌やテレビに引っ張り凧の大先生である男がここまで嫌悪を剥き出しで批判するのも珍しかった。

「今日はやけに饒舌だな?」
「…ふむ。どうやら私も気が立っているようだ」
「2日目かァ?」
「そうかもしれん」

下品なジョークにも柔らかな笑みを向け、男は眼鏡をかけ直すとまた視線をモニタへと戻した。カタカタと静かな部屋に響き始めたタイプ音を聞きながら、じっと男の手元に視線は注ぐ。

「そう言うアンタは何かを奪われたのか?」
「うん?」
「アンタの理論で言うとソレス…なんとか」
「ソレスタルビーイング、いい加減覚えるといい」
「とにかく、それを批判するのも被害者の特権なんじゃないのか」
「ふむ…痛いところを突くね」

男は傷一つない綺麗な手の甲を指先で撫ぜて、苦い笑みを浮かべて見せた。

「あいにく、私は彼らに何も奪われていない。両親は既に他界しているし、妻や子供もない。家も職もあるし、むしろ彼らのお陰で仕事は増えたくらいだ」

学者によくある、持論を挫かれた時にみっともなく取り乱す様子は欠片もなく、それだけでこの質問に対する答えは彼の中でとおに出ているのだと悟る。

「ただ、私はこの先私の大切な人を失いたくないから声を張り上げるんだ」
「エゴ的だな」
「だが同時に酷く確かな行動原理でもある」
「そうじゃない。いもしない"大切な人"を引き合いに出すのが滑稽だって言ってんだ」

鼻で笑いながらそう言えば、男は困ったように眉を寄せ息を付いた。

「あんたに論文以外に大切なものがあるかよ、えぇ?****・ワトソン教授さんよ?」

****・ワトソンと言えば今世界で一番ホットな学者だろう。立場的に反ソレスタルビーイングを取る政府の擁護も受けて彼の痛烈なソレスタルビーイング批判は世界中に知れ渡り、彼を著名にするのと同時に多くのソレスタルビーイング信望者から命を狙われる結果となった。彼は特にそれを気にする風でもなく淡々と批判を続け、見兼ねた政府が俺をボディガードとして派遣したのが約二月前。かと言って俺にも仕事があるから毎日べったりと言うわけにも行かず、普段は俺の部下やら政府派遣のSPが彼の周りを固めている。

「私とて人間だよ、ビアッジ少尉…」

く、と喉を鳴らして銀縁の眼鏡を抜き取ると、僅かに隈が出来た目を細めて****・ワトソンは笑った。俺よりも数歳年上のはずなのに、男の外見は俺よりもずっと年下に見えた。深い瞳の色だけが生きている年月の長さを物語り、知的に微笑む男に色を添える。

「論文以外にも愛しいものはある」
「へぇ?向かいのバーのマダムか?それとも隣のティーンエイジャーか?」
「君だよ」

からかいの言葉に返された単語は、鼓膜を震わせたにも関わらず意味を成さず、ぐるぐると頭の中を10周したあたりでようやく意味を持った。

「煙草、いいかい?」
「あ?あぁ…」

ごく普通の態度で申し出た****・ワトソンにほぼ反射で曖昧な頷きを返す。細身の安っぽいシガレットに火を灯し天井に向けて白い息を吐き出しながら、彼はん?と口を噤んだ俺に首を傾げて見せた。

「…あんた、ゲイか」

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。もともと属していた宗派上、同性愛は禁忌とされそれを捨てた今でも未だに抵抗は強い。抵抗があると言うよりも、抗体がないと言った方が正しいかもしれない。

「いや?」

にこりと笑みを浮かべた****・ワトソンに、からかわれた、と気付き額に手をやった。

「趣味の悪い冗談はよしてくれ、教授」
「ははは。君がうぶな反応を返すものだから思わず、ね」

ようやく年下らしいところを見たよとぼやき、灰皿に煙草を押しつけると****・ワトソンは机の上に置いていた眼鏡を丁寧な動作でケースにしまい、んーと伸びをした。時計を見れば既に日付を跨いでいて、眠そうに目を擦り****・ワトソンは笑みを浮かべる。

「今日も一日ご苦労様。明日は君の部下が来るのかな?」
「あぁ、朝の9時に迎えに来させる」
「リョウカイ」

不格好な敬礼をし、玄関まで俺を送った****・ワトソンに形式的にロックの確認やら郵便物を無暗に開封しないよう告げる。毎度のことに苦笑しながらも、俺にドル札を数枚握らせて彼は思い出したように口にした。

「私はゲイではないが君のことは好きだよ、ビアッジ少尉」
「…な…」
「…友人として」
「教授!」
「ははは!おやすみ、ビアッジ少尉」

ぱたん、とドアを閉じ、次の瞬間には何重にも鍵を掛ける音が響く。思わず頭を掻き悪態を付きながら、ジト目でドアを睨み付けた。

「あんたがインテリで心底良かったと思うよ…」

こんなやり辛い相手が戦場にいたらたまったもんじゃない。押し殺した笑いがドアの向こうから聞こえて、意地の悪い男だと眉を顰めた。




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