◆Short Novels
4
目的のカメラは、手に入れた。
もう部室に行く必要はなくて、篠田は満足したはずだった。
だが、どうにも落ち着かない。
「……明日、卒業式ねー」
篠田は自分の部屋で横になりながら、目の高さにカメラを上げて弄る。
年期が入っている感じが好きで、貰った事自体はとても嬉しい。
問題なのはその経緯だ。
「……あれ、本当かー?」
斎藤が言った事を思い出す。
『好きな奴を押し倒して何もせずに返すほど、俺は出来た人間じゃねぇ』
確かに斎藤は篠田の事を“好きな奴”と言った。
聞き間違いや解釈間違いなどではなかったら。
もしそれが真実の言葉なのだとしたら、その事実に当の本人である篠田は気付かなかったという事だ。
斎藤の素振りからも篠田は全く感じなかった。
逆に嘘だとしたら、あの演技はなかなかの物だ。
よく好きでもない相手にあんな表情を作ることが出来るなと感心する。
だって、感情に流されない篠田が、動揺したんだ。
「どっちにしても、カメラを渡す必要ないだろー」
斎藤はカメラを譲る気がないからあんな条件を出して来たのだろう。
大切な物で、人に渡したくなかったから。
だが、斎藤はカメラを篠田に渡した。
「カメラはもういらないって意味か……?」
それにしても、落ち着かない。
いきなり過ぎて、有り難みが湧かない。
「……はぁー」
篠田はカメラを首からさげて、外していた眼鏡をかけ直す。
そして重い足取りで、部屋から出て行った。
悩んでいたって答えは出ない。
篠田は新聞部副部長だ。
事実確認は本人にするのが一番手っ取り早いだろう。
ーーー
「こんにちはー」
「っ、洋平!」
篠田がいつものように微笑んだのに対して、斉藤は目を見開いて大きい声を出した。
なんでそんなに慌てているのだと笑いたかった。
いつものように指摘したかった。
だが篠田自身、今はそんな気分ではないのでそれは止めておく。
そもそも篠田の予想では斉藤は驚くと思っていなかった。
いつものように余裕を持って構えていて、夜遅くにこんにちはと挨拶をした篠田に突っ込みを入れてくれると思っていた。
が、そうはしなかった。
どこか、様子がおかしいのは一目瞭然だった。
「お前、何しに来たんだよ」
少しの沈黙の後、斉藤は額に手を置いて聞いた。
そんな分かりきった事、わざわざ口に出して聞く必要も無いだろうに。
「何ってー会いに来たんですよー?」
「っ、お前な」
本当に、何をそんなに慌てているのだろう。
ただ篠田は斉藤の部屋を扉から入ってインターホンも押して正式に礼儀正しく訪ねただけなのに。
「もう良い、入れ……」
斉藤は篠田の腕を引っぱり自室に招いた。
その様子は、やはりいつもの斉藤とは違っていた。
「……お前、何しに来たんだよ……」
斉藤はソファに座り項垂れる。
そんな斉藤を、篠田は立って見下した。
「だからー、部長に会いに来たんですよー、俺」
「……だから、その理由を聞いてんだよ」
視線も合わせないし顔もこちらに向けないし、声に張りがない。
そんなに動揺した様子を見せられたら、篠田もいつもの調子が出なくて困る。
「カメラをくれた理由、聞きに来ましたー」
篠田は床を見ている斉藤にも見えるようにしゃがみ込み、カメラを斉藤の目の前に掲げた。
「なんで部長、カメラくれたんですかー?」
「お前、欲しいって言っただろうが」
確かに卒業祝いにくれと言った。
でも、それは与えられた問題をクリアしたら貰える条件付きだった。
「俺、カメラを貰う条件満たしてないですよー?」
「……良いよ、条件なんか。ただの言い訳だから」
「言い訳だとしても、何も与えてないのに貰うのは嫌なんですよー。俺の信条に反するんですよー」
何かを与え、それと同じ分を貰う。
情報でも物でも、同じだ。
篠田のその考えを、斎藤が把握していない筈が無いだろう。
篠田は斉藤の言う条件をクリアしていないし、何か情報や物を渡した記憶もない。
だから、カメラを貰う資格は篠田にはない。
「じゃあ聞くけど、俺はお前に何をやれるんだよ」
斉藤が、篠田の手を引っぱり自分の横に座らせた。
「俺は、大事な奴の記憶にも留まれないまま卒業するのか?」
「……部長」
「お前が欲しいのなんて、俺はきっと何一つ持ってねぇだろう。今までにお前が俺に頼んだのはカメラくらいだ」
「でもー、大きい情報でも良いじゃないですかー」
卒業祝いに、部長という権限で持って大きい情報をくれたら良い。
カメラでなくても、新聞部部長なのだからそれも可能のはずだ。
「それに、俺に何か情報でも何でもくれって頼めば良いんですよー」
「……馬鹿か、お前は。俺がお前にそんなの頼むかよ」
「なら、カメラなんて大層な物、何も与えずに貰えませんよー」
「……カメラなんて、立派な物じゃねぇよ。―――なぁ洋平。俺が、お前に何を一番あげたくないか分かるか?」
静かに優しく、けれど何の抵抗も与えないように斎藤は篠田をソファに押し倒した。
「――情報だ」
篠田の手を取り、手の甲に口づけをして斉藤は言葉を続けた。
「俺は、洋平に……情報や思い出、記憶なんてのをあげるのが一番嫌だ」
そんなの、不可能だ。
それが意図的でも無意識でも、人は誰かにそれらを与えて、貰う。
それを嫌だと言われたら、篠田と斎藤のこの関係性も無いものと等しいではないか。
「洋平には、不確かな物を与えたくねぇ」
「……不確かなって…」
篠田にとって情報も思い出も、確かな物だ。
もちろん、それらに形が無いから物体より不確かと言われたらそうかもしれないが、それでも人の頭や記憶には確実に存在しているものだ。
「お前にとって、記憶や思い出ってのは情報の一部だろ。人物を構成する一部でしかない。……自分にとってもな」
「……それが?」
「お前にとっての情報は、要するに、人から新たな情報を得る為に流す物だ。自分の中に大切に仕舞っておく物じゃない」
「……」
「そんな風に捨てられるなら、俺も、お前との思い出なんて欲しくない。もし俺が今からお前を強引に抱けたとしても、俺は、そんなの望まない」
何故だろう。
なぜかそう言っている斉藤と目が合った瞬間、そこで篠田は本当に自分が斉藤に好かれているのだと感じた。
馬鹿だ。
気づかなければ良かった。
眼なんて見なければ良かった。
だって、もうその真っ直ぐな想いから逃げられなくなる。
「好きだからこそ、他の奴に流される情報になるなら、俺はお前に手は出さない。そういうのは、いらない」
「だから、カメラをくれたんですかー?」
篠田が、物と情報の交換を好まない事を知っているから?
カメラなら誰かに渡したりしない事を分かっているから?
だから、斉藤は篠田にカメラをくれた?
「あぁ。お前が欲しいと願った物で、俺がお前に与えられる物。そんで、他人に渡されない物だから」
「……」
「よく聞くだろ?最後に思い出をくれって言う奴の。俺は、言わねぇ。俺にしか残らない記憶なんて、まして他人にばら蒔かれるなんて、有り得ねぇ」
「―――なら、カメラなんてやるなよ、部長」
叫んだわけでもなく、普通の音量で言ったのに、なぜか篠田の発言に斎藤は驚いた顔を見せた。
なんだよ、そんな顔するなよ。
篠田はメガネを外して、斎藤をジッと見た。
「ねぇ部長、残される方の気持ち、考えてみた?」
一度だって、あなたは立場を変えて考えてみた?
「アンタの言う通り、俺は自分の情報は平気で流すよ。相手に求められたら、当然でしょ」
相手が篠田の持つ情報を求め、更にそれが篠田自身に関わるものだとしても、きっと篠田は躊躇い無く渡すだろう。
渡すのを躊躇って大切な情報を得られない方が惜しいから。
ただ、斎藤は分かっていないのだ。
篠田の渡す情報にだってランクはある事を。
「もし、俺と部長がなんかあったとして、部長が求める思い出を作ったとして……。俺は、それを売ると思うの?」
「だって、お前にとって情報は――」
「馬鹿ですか」
斎藤の言葉に被せるように言い、篠田は斎藤を押して、身体を起こした。
「もし親が病気で、それを治す薬が必要で。でもそれを知られたら親の命に関わる時……。アンタは、その情報を相手に渡すのか?探し続けた貴重な情報と親の命、部長はどっちを選ぶんだよ」
「そりゃ、親に決まって……」
「なら、俺は、自分が探し続けた情報と部長との思い出を天秤にかけたら……どっちを選ぶと思う?」
斎藤の胸を思い切り殴った。
そして今度は逆に押し倒してその上に跨がり、篠田は尋ねる。
「どっちを選ぶと思うんだよ、部長……」
「……洋平?」
「カメラだって、充分思い出だ。見るたびに、部長を思い出すんだ。中途半端なのは、いらない。―――だから不確かな情報なんて、返すよ、馬鹿部長」
篠田は立ち上がり、カメラを斎藤の傍らに置く。
「……洋平、おい」
斎藤に腕を掴まれ、反射的に篠田は振り返るが、その時にはもう雰囲気は元に戻った。
「ご卒業ー、おめでとーございますー。お元気でー」
口調も、戻った。
「…っ、洋平…」
けれど、篠田の目からは一筋の涙が流れていた。
「さよーなら、斎藤部長」
卒業式のあと、篠田の靴箱に置かれた黒い一眼レフカメラ。
「……ねぇ部長。対価、待ってますよ」
それは、篠田の中で唯一綺麗で汚されてはいけない思い出。
誰にも渡さない、自分の唯一の記憶。
斎藤が好きだと言ってくれた記憶の中の篠田自身でさえ、今の篠田の中の綺麗に保管しておきたいものだ。
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