[携帯モード] [URL送信]
彼の定石


パソコンと睨み合いを始めて早三時間、私の指は限界に来ていた。こんなことになるなら先生に勧められた簿記の試験なんて受けるんじゃなかった。こんなことになるなら生徒会になんて入るんじゃなかった。むごい、むごすぎる。この学校の会計全般を私一人でやるなんて無理に決まってるじゃないか。怨みつらみを独りごちたところで誰も助けてはくれないし、溜まりに溜まった書類が処理されるわけでもない。いくら科学が進歩したといっても自動で全てやってくれるわけじゃないんだ。

これ、学業の一環だから無償奉仕しているけど、普通に給料貰えるよねってくらい私働いてるよ。一般企業に就職したほうがまだいい待遇を受けられるんじゃね?いや、今の社会はサービス残業やら云々でとても幸せなもんじゃないってニュースでもやってるし、このまま就職したところでワープアになることだってありえるし、もうどうなってんのよ世の中。つか何だよこの領収書の量。氷帝学園テニス部様だと?こんなもんが何で生徒会の会計に紛れ込んどんじゃ!!!!

「これも、これも、残ってるやつ全部テニス部の領収書じゃん。今回の予算委員会はテニス部の予算の吊し上げでもするつもり?」

「んなわけねえだろ。仮にも俺様が所属してるんだからよ。」

「ですよねー…って、えええぇぇぇ?いつの間に!?」

会長、もとい跡部は刷り終わった書類を手に取り目を通し始めた。ああ、私の質問は無視ですか、そうですか。それにしても気配を消すのが上手い人だなぁ。前世は忍者とか日の目を見ない職業だったのか。跡部が隠れて生きる身分なんて想像出来ないけど。武士とかってよりは、やっぱり商人だよね。ぎらぎらしたものに囲まれて生きてそうだもん。ってかテニス部の予算の桁はんぱないんですけど。何これ0の数多くない?文芸部の予算があまりにも不憫すぎる。言ってしまえば、文化系倶楽部の予算を総じてもテニス部には到底及ばない。不平等ここに極まれり、だ。

「何だ、遅くまで明かりついてるからまだ仕事残ってんのかと思えばもう全部終わってんじゃねえか。」

「え?でもまだこんなに」

「それ別に今日終わらせる必要ねえから。俺様の私用だし。」

私用…だと…?じゃあ会計書類に紛れ込ませてんじゃねえよ糞が!!!!!

「うちのマネージャー頭悪い奴だから会計任せると悲惨なことになんだよな。この前ここにテニス部の会計書類も置いておいたら勝手に処理してあってよ、あーあれお前がやってくれたのか?」

いや、お前がやってくれたのか?て、あんたしっかり要会計処理のケースに入れてましたよね?打ち込んでる時にテニス用品ばっかだから何かおかしいとは思ったけど、ああ思いましたけど、まさか生徒会に一部活の会計なんて持ち込まれるはずがないと思ったんだよ。特に忙しくもなかったし処理したよ。というか今回も要会計処理のケースに紛れ込ませてあったよ。あんたの部活の会計がな!!!!

「どうした、黙り込んじまって。もしかしてお前、怒ってんの?」

そう言って跡部はフと小さい笑いのような息を吐いた。その鼻で笑った感じが何とも腹立たしくて、しかし怒る気力もなくて、私は黙ったままでいた。手が空いてる時ならまだしも、こんなに仕事がある時に嫌がらせみたいなことしてくれて、怒ってんの?て、頭おかしいんじゃないのかこいつは。あんたの部活のマネージャーが馬鹿だろうが何だろうが知らないけど生徒会に持ち込んでしかも無関係の私に処理させるなんて、モラルのなさに呆れてしまう。

「なぁ、」

「会議に必要な仕事はもう終わってるんですよね。じゃあ私帰ります。お疲れっした。」

「おい、」

「今回は気が付かなかったこちらにも非がありますので責任を持ってこの書類の処理は私が致しますが、次からは会長御自身でお願いします。お先に失礼します。」

「待て待て、いいから鞄置いてそこ座れ。このまま返すわけにはいかねえ。」

「まだ何か?もう遅いし早く帰りたいんですけど。」

いいから、とだけ言って跡部は私の鞄を取り上げた。立ち尽くす私をお構いなしに何か飲み物煎れるからさっさと座れと声を掛ける。鞄は以前として跡部の傍らにあった。仕方がないので指定されたソファーに腰を下ろす。何だ、今更。私は怒っているんだ。跡部の非常識な行いに。そして会長という立場を利用して私をこき使ったことに。思えば生徒会に入った時もそうだった。会計は絶対二人必要だと主張した私の意見などは全く無視し、会長一人、副会長二人、書記二人、会計一人(有り得ない)、という陣営で生徒会を発足したのだ。ぶっちゃけ副会長なんか二人もいらねえだろ、馬鹿か、と常に考えていたが未だにその配置人数は変わっていない。そうなんだ。最初からこういう事態になることはわかっていた。会計処理にてんてこ舞いな時も、書記のさぁちゃんが助けてくれなかったら私は数字の海で溺死するところだった。さぁちゃんありがとう…じゃなかった、私はいつだって損な役回りなんだ。そして今回、追い討ちをかけるかのようなこの出来事。私決めた。もう生徒会なんて辞めてやる。

「どうぞ。」

「あ、すみません。」

すみませんじゃねーよ。謝るのはこいつの方であって、私じゃないだろ。あ、この紅茶すごくいい香り…じゃなくて、こんなことで絆されてはいけない。本日をもって生徒会役員を辞任すると言うんだ。さあ、早く。今言わずにいつ言うんだ。さっさと言えもりこ。

「私、」

「任期満了せずに辞めるとか無理だからな。」

ちょ、バレてるバレてる。考えてること見透かされてる。跡部は優雅に紅茶を飲んだかと思えば、私の発言を遮り、そう被せてきた。『もりこは逃げるを選択した。しかし、回り込まれてしまった!』今まさにそんな心境だ。跡部の目が図星だろと言っていた。

「お前には悪いと思ってる。」

何が?と聞きそうになってしまったのを何とか堪え、次の言葉を待つ。というか今の台詞、愛人に本妻との離婚を迫られた時に使う用語トップ10じゃね?え、私こいつの愛人?あ、その前にどっちも既婚者じゃなかった。跡部が変なこというから変な妄想してしまったじゃないの。

「けどよ、この前もりやまがうちの会計処理してくれたおかげですげー助かった。今回もお前が暇な時にでもやっておいてくれたらっつーか、そんな軽い気持ちだったんだが、まさか居残ってまでしてるとは思わねえし。」

「何ですか気付かなかった私が悪いみたいなその言い方。どちらが悪いかなど頭の良い貴方なら理解していると思いますが?」

「わかってるっつうの。だから謝ってるんじゃねえか。正直お前に抜けられたら困る。っつーかいい加減その喋り方やめろ。よそよそしい。」

わざとだよ。と心の中で悪態をつく。いつものように話してしまっては、私が怒っていることも全て流れてしまって何もなかったかのようになる気がした。跡部は受け流すのが上手いし丸め込むのもまた然り。普段通りに相手をしたら確実に自分の思うようにことを運べないのは百も承知だ。辞めたい気持ちはあるけれど、そう簡単に穴を開けられないこともわかっていた。ならせめて、これを機に副会長、いや書記でもいい、会計に一人まわしてくれるようにならないか。出来れば副会長の日吉君か、書記ならさぁちゃんがいいな、なんて。

「悪いが、これからも会計はお前一人でやってもらう。」

えぇえぇえええ!?私まだ何も言ってませんけどぉおおぉおお!!!!またしても見透かされててびっくりしたおかげで今の死刑宣告の絶望感も吹っ飛びそうだわ!!!!!

私の驚愕と落胆の表情を一通り見終え、跡部は小さく溜め息をついた。溜め息をつきたいのはこっちだよ。満了までの後数ヶ月、一人で会計をやらなければいけないなんて。この間の学期末だって、どれだけの地獄絵図を描いているか跡部だって知ってるくせに。


next

[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!