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休息タイラント


やらなければいけないことがあるというのは有難いことだ。山積みにされた参考書を眺めながら小さく息を吐く。

覚えよう必携古典単語250、センターを乗り切る英文法100選、分かりやすい!文学視点で学ぶ世界史B、数学TA公式大全、必ず受かる小論文、エトセトラ。規則的に立つ皆の筆音が何とも言い難い音色を奏でていた。各々が必死に何かを書き取る様は、受験シーズンでなければ至極気味が悪いと思う。この狭い空間に、十、二十、二十九か。一席一席仕切られた学習室の定員は三十五、その半数以上が埋まっている。丁度いいはずの暖房も幾分暑く感じられた。

「勉強しすぎだろ。」

ご丁寧に仕切りを倒して話し掛けて来たのは、戦友とでも言うべきか、毎回定期考査で上位を争う人物だった。お互い意識はしておらず、ただ周りが勝手に騒ぎ立てているだけである。当然、彼との友好関係は至って良好だ。

「あのですね、今私はセンター試験を目前に控えておりましてですね、勉強はいくらしたって無駄じゃないんですね。あと話しかけるな。ここ私語厳禁。」

私は1900単語収容した英単語の参考書を開きつつ跡部に手払いをした。それは失礼しました、と彼は全く反省の色が見られない声で呟く。その動作諸々全てが癪に触り、手近にあった参考書を投げつけた。この参考書は表紙のイラストがやけに憎たらしいので嫌いだった。余裕綽々とした表情、推定年齢50代半ばと思しき男性が「閃け右脳!」と宣っている。同じ参考書を持つ友人の台詞は、「禿げろ頭髪!」と改竄されていた。彼女の右脳は無事閃いたらしい。

「危ねー。そんなカリカリすんなよ。息抜きしよーぜもりやまさん。」
「うぜーよ跡部くん。息抜きでも栓抜きでも牛蒡抜きでも一人でやれよ。」
「あー腹減った。」

邪険に扱ったつもりだが、華麗に流されてしまった。誰か学習室での私語は控えろとこいつに注意するメシアはいないのか。普段ならばくしゃみをしただけでも怪訝な視線を浴びせるくせに。私はここに人物格差の片鱗を垣間見た。そして、世の中の無情を嘆かずにはいられなかった。生徒会長を窘める人材なんて滅多にいないことは明らかだけど。そりゃあ李徴のごとく頭の出来がすこぶるよろしい跡部は勉強せずとも易々進路を決めるだろうが、凡人である私はこうしてこつこつ知識を積まなければ安定した将来を掴めない。勉強は好きではないが、頭は良い方が色々と都合が良いのだ。選択肢も広がる。こういう考えの人が、私の周りには結構多かった。無論、学力が伴うかどうかは別問題である。

「手が止まってるぞ。限界か。」
「そんなことありません。」

事実、私の集中力は跡部に話し掛けられる前から切れてしまっていた。学習室に籠もって三時間、そろそろ潮時かもしれない。眼前の英単語ももはやただの記号と化していた。うん、続きは帰ってからにしよう。そうと決まれば話は早い、私はそそくさと机の上を片付ける。跡部が鞄を手に取るのが視界の端に入った。今ここで早々学習室を後にするのは、やはり癪に障る。こいつが出て行ってから一人で帰ろう。まだ時間があるから、久しぶりに駅前で服と雑貨を見て、コンビニで夜食のお菓子を買って、それから。

「おい。早くしろよとろくせえ。」
「とろくさいとは失礼な。跡部が出て行くのを待ってんのよ。」
「あん?今の今まで待たせといて、その台詞はねーだろもりこちゃん。」
「お前が勝手に待ってただけだろ!」

どこからか、誰かの咳払いが聞こえた。自然と声が大きくなっていたらしい。私は慌てて口を噤む。先程から随分と迷惑をかけていたことだろう。退室を促す跡部に抗うことなく従った。これで当分学習室は使えないと悟る私を余所に、諸悪の根源である輩は悠々と前を行く。

「てめーのせいで俺様まで加害者みたいになっちまったじゃねーか。お詫びになんか奢れ。ファーストフードで勘弁してやるからよ。」

振り向いた跡部の顔面に、参考書の詰まった鞄を力いっぱい叩きつけてやった。

私の息抜きとは、こういうものだ。



END

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あきゅろす。
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