少しひとりになりたい。気付いたときには口先からぽろり、その言葉はこぼれていた。
「別れたいわけじゃないんだよ」
「ふうん、」
「わかんないけど」
「‥俺もわかんないよ」
それでも彼はあたしの予想通り引き留めようとはしなかった。好きにしなよ、と一言残して去っていく後ろ姿からは何も読みとることが出来ず、あたしは言った側から後悔した。向こうに非などないのだから怒るのも無理はない。彼が怒っていたのかはわからないけど。ぼんやりと見えていた背中が消えて、あたしは少しだけ泣いた。
せ、ん、ど、う
夜、声に出して彼を呼んでみる。せ、ん、ど、う。皆が彼に羨望の眼差しを向けてそう呼ぶ。誰からも好かれ頼りにされる彼の隣にいるあたし。あたしは誰からも好かれるわけじゃないし頼りにも、されないわけで。つまりあたしには何もない。
せ、ん、ど、う
ただなんとなく綺麗な響きだと思った。あたしにはない輝きを、彼はたくさん持っているのだ。
それから一週間が経ち、二週間、三週間、一ヶ月。あたしは特に何もすることがなく、何も浮かばず、ただ毎日をひたすら消化して過ごした。あたしの勝手で始めた日々なのに何故だか、辛い。その理由はあたしが一番よくわかっているはずなのに、無駄に高いプライドがそれを認めようとはしなかった。
「せ、ん、ど、う」
「‥呼んだ?」
誰もいなくなった教室でひとり、癖になってしまった呪文を呟くと低い声が返事する。振り返るとそこには彼、仙道が立っていた。まずい、
「あ」
「‥何で逃げるの?」
「せん、」
飛び出そうとした足が動かなかった。ぎりり、と爪が食い込んで痛い。身体の自由が利かないのは彼があたしの手首を掴んでいるから。それでも相変わらず彼に何も言えず、目線を床に落として意味もなく板目を数える。いち、にい、さん、
わかってた、ただの嫉妬ってことくらい
いち、にい、さん。よん、を数える前に突然びりびりと刺さるような痛みを感じる。
「‥っ!」
「痛い?そりゃ痛いよね、痛くしてるもん」
「‥せんど、」
「でももっと痛かったんだよ、俺」
がぶり、と仙道はあたしの左手首に噛み付く。本当に痛かったのは初めだけで、後の痛みは身体ではない別な場所。くだらない嫉妬で大好きな人を傷付けてしまっていたことが何よりも痛い。
この疼きがあたしに対する彼の思いだとしたら、あたしはもしかして幸せ?
解放された手首には綺麗に彼の歯形が浮かび上がっている。ああ、これは誰も持っていない印、ふたりだけの証し。
「仙道ごめん、」
「うん」
「‥すき、仙道がすき」
「うん、わかってる」
「ごめんね仙道」
「ううん、俺もごめん」
背中に回る手の暖かみに我慢していた分の涙が一気に溢れた。言いたいことが山ほどある。何よりも先に好きだと言いたかった。どうしようもなく、痛いほど、仙道が好きだということを。
痛くなきゃ
意味がない
(すきだから、いたい)
20090226
世界にひとり様 提出
無料HPエムペ!