100%の管理
from.Yukiya
誰もが知っている、我が家はそんな大きな会社ではなかった。数年前までは特に。
しかし“社長令嬢”というだけで、私は浮いた存在であるのは間違いなかった。
皆フィルター越しに私を見ている。
お金を持っている、頭が良い、品格がある。
馬鹿を言わないで欲しい。私はごく普通の男女から生まれたごく普通の人間だ。
そんな中、そうは言ってられないことも痛いほど承知していた。
高校生の時点で、父について社内状況を把握させられた。
大学生になると、単位の調整をしては会社に顔を出し、管理職を担うために一から学んだ。
血の滲むような努力をした。してもしても足りなかった。
普通の人間であるとの自覚があるのに、私はそれからの脱却を必死で図った。
もう普通の人生なんて望めない。
女の子らしい遊びも恋も知らず、私はこの会社に骨を埋めるのだろうと考えていた。
…そう言えばその頃だった。あの人に出逢ったのは。
そして私の人生が、少しずつ変わり始めたのは。
「…伊織さん?」
シャワーを浴びて戻って来ると、ソファーに座ったまま寝息を立てている伊織さんの姿があった。
私はよくこういった事態に陥ってしまうが、彼女のこの姿は珍しい。
よっぽど疲れてしまっているのだろう。私の足音は自然と静かになった。
肩に掛けてやろうと愛用のカーディガンを手に取ったのと同時、ふと自分の通勤鞄が目に入る。
あの中には、ホワイトデーにと買ったプレゼントを忍び込ませていた。
急に秒針の音が意識を刺激して、時計に目をやった私は日付が変わったことを知る。
3月14日、ホワイトデーになった。
カーディガンを腕に引っ掛けたまま、鞄から包みを取り出す。
ライトスモーカーな彼女。意外にもシガレットケースというものを持っていなかったので、今年はそれをプレゼントすることにしていた。
ここだけの話、私は未成年の頃から煙草の味を覚えていた。
ひたすら真面目に生きてきた私が、唯一犯した子供じみた禁忌であり、プレッシャーからのささやかな逃げだった。
もちろん、人前で吸うことはなかったが。
しかしそんな折り、口紅が移った1mgの煙草を、「吸いますか?」そう言って差し出した出逢ったばかりの私の秘書。
悪戯っぽく笑う彼女から震える手で受け取って口付けたそれは、今までになく甘美な味がしたのを覚えている。
そしてその夜奪われた初めてのキスも、私はきっと忘れることはないだろう。
あの瞬間の空気の匂い、温度、流れていた音楽。今でも全て正確に挙げていくことができる。
物思いに耽っている内に冷えてしまった身体に気付き、私のことよりソファで眠る伊織さんの心配をしてしまう。
立ち上がり、エアコンの設定温度を上げて、念の為タイマーもセットしておく。
細い肩にカーディガンを掛けて、起こしてしまわないように後ろからそっと腕を回す。
ふわりと広がった彼女の香りがとても愛しくて、心の中で断ってから綺麗な髪にキスを落とした。
私の生き方は結局、普通とは違うものなのだと思う。
この歳で一企業の副社長となり、自分より多く生きた人達の上に立っている張り詰めた日々。
しかし愛する人ができた。こんな私にも。
それだけで私の人生はとても穏やかで幸せで、暖かい空気に満たされたのだ。
「愛しています、伊織さん」
きっと何度声に出しても伝えきれない。感謝と、溢れんばかりの愛情。
それならばせめて、私がこうして生きている限り、貴女の傍で精一杯伝えていきたい。
ハッピーホワイトデー、唯一無二のパートナーへ。
※懸命に生きる彼女の幸せを、誰にも奪う権利はない。
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