例えば、こうゆう事にしてはどうだろう。昨日、私と愁介が見たのは違う男で、昨日は知り合いに、ましてや“彼氏”になんて会わなかった。それなら、何ら問題はない。
――そんな考え、無駄だ。
現実逃避に走る私の思考回路を完結させてから思う。だって、現実逃避を行えば行うほど現実を思い出し、信じたくない事実で頭の中をかき回される。心臓が鈍く痛み、心音が内蔵に響く。
はあ、と重く波打つ脈を落ち着けるように吐いた溜め息に続くように、このシンプルな部屋の主が戻ってきた。
「紅茶で良かったかな?」
「あ、はい。……ありがとうございます」
ローテーブルの上に差し出されたアイスティが視界に入り、一度顔を上げてからまた俯いてお礼を言う。
艶やかな黒髪に質の良さそうなノンフレームの眼鏡。彼は私よりも四つ上だと前に言っていたから、多分今は高校三年生だろう。
――釣り合わない。
当たり前だ。
何を今更。
そんなの、付き合うと決めた時から解っていたじゃないか。この人が私を想ってくれるなら耐えられる、そうでしょう?
「今日は元気がないね。どうかしたの?」
「あ、いえ……」
言葉が繋がらない。
私の意気地なし。一言、昨日どこに居たか聞けばいいだけなのに。
「リカ、」
不意に先輩に名前を呼ばれて顔を上げると、蓮本さんはテーブルの向こう側に居たはずなのに私の横に移動していた。
真剣な顔で私を見つめる蓮本さんの表情は心なしか硬い。昨日、私が見ていた事に気が付いていたからだろうか。
「昨日、カラメル街にいたよね?」
ああ……。やっぱり、私たちが目撃したのは蓮本さんだったんだ。
自分の顔が強張っていくのがわかる。笑えない、戸惑えもしない、泣き顔でもない。事態に心と頭が噛み合わなくて私は今物凄く不自然な顔になっているだろう。
そんな私の顔を見つめ続けていた蓮本さんもまた、絶望したように目の色を変えた。
――二股が成功しなくて、ショックを受けているのだろうか。
「蓮本さ、――っ!」
どうして、そう続く筈だった言葉は、背中を床に叩きつけられ唇を塞がれた私には音にする事が出来なかった。
口元を緩めて、蓮本さんが微笑む。
「少し、甘くし過ぎたみたいだね」
隠し方を、だろうか。
なんて勝手な男なんだ。今まで良い人顔をしていたくせに、浮気がバレた途端に人のファーストキスをあっさりと奪って、甘かった、だなんて。
――半年間も私は騙され続けていたらしい。
「リカ……」
名前を呼ばれ意識を戻すと目の前には蓮本さんの顔。いつもの優しい微笑みは無く、口元を歪めて瞳をギラギラと――欲にまみれた、と言うのだろうか――鈍く光らせて私を見つめていた。
――その瞳は、怖い。
「あ、……やだっ! 来ないで!」
ふと自分の状況の理解に至った私は、襲われかけていると言う窮地に立たされていることに気がつく。顔からサッと血の気が引いた気がした。
火事場の馬鹿力と言うやつだろうか。暴れ出した私に蓮本さんが力を緩めた一瞬をついて近くに落ちていた自分の鞄を掴み逃げる。二度と私に関わらないで、と捨て台詞も忘れずに。
男なんて、大っ嫌いだ。
(薄れゆく記憶の中で鮮明に彩られ続ける、あの瞳)