ショート五秒前


 ああもう、面倒くさい。何故か弟によって選ばれたワンピースに着替えつつも弟へ向かう苛立ちは増す。

「姉貴ー準備出来たー?」

その上に急かすときた。本当に、一度ならず三度ほど地獄を見ればいい。

 現在午前九時二十五分。中学の卒業と共に条件の一つ『学校のある日の朝は六時半ぐらいに起こす』が無効になったため毎朝の電話はなくなった。――メールはめげずに送ってくるけど――だから高校入学までは昼まで睡眠を貪るつもりでいた――のに。

「うるさい。こんな時間に起こしやがって。買い物ぐらい一人で行きなさいよ!」

 ギッ、とドアの前で待ちかまえていた――準備万端の――愁介を睨みつけてから洗面所で身支度を済ませる。朝食は食べる気になれないのでそのまま玄関に向かう。――あとで何か愁介に奢らせよう。

 私を急かすこの男は、朝っぱらから部屋に入って私を起こし――丁寧に着替えまで用意して――買い物に出掛けたいと駄々をこねた。

「姉貴カバンはー?」
「適当にハンカチと財布と携帯入れて持ってきて。先に歩いてるから」

 え、姉貴待って! と焦る弟をそのままにブーツを履き外に出た。勢いのままに外に出たが、夏と比べれば比較的に穏やかな太陽の光が目に染みてドアの前で立ち止まる。

「わっ、待ってたんだ、サンキュー。カバンこれでいい?」

 待ったつもりはないが思っていたよりも早く出て来た愁介からカバンを受け取り歩き出す。

「二人で出掛けんの久しぶりだな!」
「そうかもね」

 愁介に言われてから気がつく。最後に愁介と二人で出掛けたのはいつだっただろうか。まあ、弟と二人で出かけるだなんてブラコンじゃあるまいし、そう沢山あるはずはない。

***


「他は?」
「うーん、もういいかな。あ、映画見たい! 俺が奢るからさ」

 今はもう、朝食兼昼食を手近なファーストフードで済ましてから――もちろん愁介の奢りで――ショッピングモールで買い物を済ませた後だ。

「は? 映画?」

 よくもまあ、これだけ買い物を済ませた後に奢る余裕があるものだ。――曰わく、日頃余り物を買わないのと正月のお年玉を使う機会を逃した、らしい。
 結局ショッピングモール出て映画館の方へ足を向けながらも心の中では呆れが滲み出る。

「丁度新しいのが――」
「篠崎?」

 まさか。今日は地元にいる訳でもないし、私たちの地元からは電車でなければ来れないこんな所で。男にしては少し長めで、痛みのない真っ黒な髪をした“彼氏”が、なんでここに。

「カズ先輩、如何してこんな所に、」
「ん? ああ、高校の制服頼みにな。そこのデパートで母親が働いてんだよ」

 弟の我侭なんか聞くもんじゃない。こんな偶然、あってたまるか。
 前もそうだった。いや、前回の時はもっと酷かった。確か一年半ほど前、最後に弟と買い物に出掛けた日。“あの”思い出したくもない男の浮気を、この目で目撃した。

 ――そして、男が嫌悪する存在に変わった。

「あの、さ。篠崎、今度デートしねぇ?」

 付き合って半年ほどたったであろう今なお照れくさそうにデートの誘いを入れてくるこの男。
 嫌だ。そう一言言えばこのヘタレた男は諦めるだろう。
 黒髪で、少し長めの襟足が視界に入りながらも、軽く睨み付けるようにして口を開く。
 ――イヤだ。

「その髪、脱色して短髪にしたら考えてあげる」

 ――私は今、何を言った?
 目に付いた黒髪。思い出したあの男。口走った言葉の真意は、自分ですらわからない。でも、比較的優等生であるこの“彼氏”が、脱色なんて、そんな事をする筈がない。
 思いもよらぬ自分の言葉に一瞬ゾクリとしたが、後を予想して心の中でひと息つく。

「まじで!?」

 ――……は?

 じゃあ来週の木曜にどっか行こう、時間はメールするな。と嬉しそうに笑うこの男。訳が分からない。そんな簡単に、人は自分を犠牲に出来るものではない。頭がいいなら尚更だろう。私の頭が、正常に機能していたなら言いたかった。
 ――アンタにはプライドがないのか。

「姉貴、行こう。カズ先輩俺達帰るんで失礼します。さようなら」
「え、あ、愁っ」

 急に踵をめぐらせた弟に腕を取られ元来た道を進む。
 ぐいぐいと早歩きで進む弟に対して強めに掴まれた腕を引かれやや小走りで進む私。好奇心と嫌悪が混じったような視線を感じながらも目の前の弟は止まる様子がない。

「ねぇ腕痛いんだけど。ちょっと、愁!」
「あ、ごめん」

 もうすぐ駅付近と言うところで心なしかだんだん私の腕を握る力が強まった気がして我慢の限界が来た。
 私の腕を掴む手は離さずに、手首の辺りまでずらしながら力を緩め、痛かったよな。と困ったように眉尻を下げ、赤くなった腕を空いている手の指先で、そっと撫でた。

 ――自分でやったくせに、訳が分からない。

 私のムチャな要求を簡単に呑む“彼氏”も。
 映画館に向かう途中で急に――赤みがデルほどの力で私の腕を掴みながら――引き返した弟も。

足掻けば足掻くほど溺れていくようだ。

(“あの”思い出したくもない男も。男はみんなワカラナイ)
09.10.02


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あきゅろす。
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