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*the others*
jellyfish waver(一騎×真矢)
【jellyfish waver】


「遠見、か?」
 別に驚かそうと思っていたわけではないが、まだ数メートル離れた場所にいるのにそう聞かれ、真矢は心臓がどきりと一つ大きく脈打つのを感じた。
「あ、うん。一騎くん、ここにいたんだ」
 歩きながら風を顔に受ける。海からの風は相変わらずいつもと変わらない匂いで、鼓膜に響く波音もとても穏やかだ。数日前までここが戦場だったなんてとても思えないほどの静かな光景に真矢の心が痛む。この状態を取り戻すのに、あまりにも多くのものを失いすぎた。眼下に広がる絶壁の大きく抉られた窪みや同じくねじ切られた民家の数十棟が生々しく確かに繰り広げられた激戦の痕跡を残している。
 ざあっと海風が吹き少年と少女の髪を揺らす。真矢は一騎の隣りに立つと、少しだけ曲がったガードレールに両手を乗せた。
「私、ここにいていい……?」
「あぁ。ここにいてくれ」
 海を見つめていた一騎の目が、真矢に向けられた。真っ直ぐに見つめた少年の目は、しかし光を宿してはいない。赤く虚ろな瞳は真矢の気配を感じとって暗闇の中の微かな輪郭を見ているのだ。
 同化現象による失明。真壁紅音――ミョルニア――により伝えられた治療法によればそれは治るらしく、一騎もアルヴィスで治療を受けてはいるがどうやら永い治療であるようだ。その瞳が再び真矢を映すのは一体いつのことなのだろうか。
「遠見?どうかしたか?」
「え?ううん!なんでもない。ごめんね」
 いつの間にか心の動揺が現れていたらしい。急いで取り繕った笑みを浮かべる。見えてなどいないと分かっていてもそうせずにはいられない。悲しい思いなどしたくない。悲しい思いなどさせたくない。自分達はもう十分過ぎるほどに心も体も傷つけられたのだから。
「ね、いつか前にもここでこうして喋ったことがあったよね。覚えてるかな?」
「うん」
「あの時またこうやって一騎くんと喋れたらいいなって、思ってた。でも、絶対そうなるなんて、どうしてだろう。全然思えなかったんだ」
「俺も、だよ」
 一騎の赤い瞳が、真矢から離れ海を見つめる。
「フェストゥムを全部倒そうと思った。でも……倒して、その後どうするかなんて……考えてなかった」
 真矢も海へと視線を向けた。いつも寡黙な一騎が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。胸の内にある想いを、どうにかして言葉に変えて放とうとしているのが伝わってきて、真矢もそんな彼の言葉を一言も拾い逃すまいと耳だけで一騎を意識する。そうすることで自分が確かにここにいること、一騎が確かに真矢の隣りにいることを強く感じていたかった。真矢は、一騎の声をずっと聴いていたかった。
 不意に一騎が押し黙る。想いの吐き出し口が狭くて詰まってしまったのだろうか。この朴訥とした少年は決して饒舌ではない。だから真矢は待とうとした。再び一騎が口を開くまでずっと待っていようと思った。ふと、一騎の方を見る。
「一騎、くん……?」
 一騎の様子がおかしい。海の、沖の方へと視線を固定させたまま、微動だにしない。呼吸さえ殺してじっと何かを窺っている。光を失った瞳は、一体何をみている?
「あの、どうかした?」
「っ、遠見っ!」
「きゃっ!」
 突然一騎が真矢の腕を掴んだ。その直後足元が、いや島全体がくぐもった音を立てて振動した。――が、すぐにそれはおさまった。竜宮島が小さな岩礁にでもひっかかったのだろうか。
「あ、の」
「あ!ごめん……」
「ううん……」
 解放された腕の温もりを海風がさらっていく。心臓がばくばくと五月蝿く鼓動を刻む。真矢は驚きを隠せないでいた。島の、岩礁に当たった時の衝撃にではない。やはり鋭くなっている彼の感覚にだ。
 サヴァン症候群によって目覚めた能力とはいえ、数メートル先の人間の気配を察知したり、岩礁の衝突を起こる前に感じたり、果たしてここまで出来るものなのだろうか。人は五感の一つを亡くすと他の感覚が鋭くなるというが、一騎もそうであるだけなのだろうか。
 ぶるりと震え肩を抱く。この異常は一騎だけに限ったことではない。それは真矢とてまた然り。
「あ……」
 視覚で捕らえたもの全てが容赦なく脳に送り込まれ情報へと変換される。真矢の脳が回転する。情報は可能性を飛ばして推察の域を超え、確信になる。頭の中で確信が一つまた一つと増えてゆく。
 ――葉が落ちる。
 ――岩が崩れる。
 ――花が散る。
 ――虫が。
「あの鳥に捕まる」

「え……?」
 微かな羽音を響かせて一羽の鳥が真矢と一騎の前を低空で通過したかと思うとすぐにまた飛翔する。その嘴には一匹の蝶がくわえられていた。
「あ」
 我に返った真矢の目の焦点がようやく定まった。隣りに立つ少年を見る。彼は、赤く虚ろな瞳でじっと真矢のことを見つめていた。自分のことなどその目に映していないはずなのに、何故だか視線に耐えきれなくなって真矢は顔を俯かせた。
「あ、はは……。何だか私、変だよね。最近よくこうなるんだ。考えようとしてるわけじゃないのに何かを見たら、あ、こうだろうな、とか……あれはこうなるんだろうな、とか、分かっちゃうの。考えたくなくても勝手に――」
「遠見」
 その静かな声にハッとなる。依然として赤く虚ろな瞳はただ真っ直ぐに真矢を見つめていた。
「遠見は、ここにいるのか?」
 ――……!!
「遠見は、ちゃんとここにいるのか……?」
「……私は……」
 雷に撃たれたかのような感覚を覚えた。分かっている。目が見えないからというわけではない。真矢の姿が見えないからというわけではない。自分の前にいる人間は遠見真矢という存在なのかと言っている。それはあまりにも耳に馴染んだ質問。しかしあの頃のような戦慄を覚えるどころか懐かしいような心地よささえ感じられる。
 思わず泣きそうになってしまい、くしゃっと表情を歪めた。それでも一騎から目をそらすことは出来なかった。したくなかった。
「私は、ちゃんとここにいるよ。一騎くんの隣りに、私はちゃんといるよ」
「……そうか。よかった」
 ここにいるのかと聞かれる度に足の爪先から頭の先まで全身を這い上がる不快感に苛まれた。それはまるで、今まで十四年を生きてきた遠見真矢という人格が音を立てて崩れ落ちていくような感じで、自分を含む全てのことを否定したくなるほどの恐慌にも似た気持ちが真矢を襲った。不安で、不安で、どうしようもない。認識コードの次々と外れていくクラスメート達に恐怖を覚えた。受け入れたくなかった。虚像の剥がれた世界の中で真矢はいつまでも“遠見真矢”でいたかった。
 作戦の終わった今でもそれは消えていない。楽園が壊れたあの日から今日に到るまで真矢の胸の奥深いところに小さくとも確かに存在し続けている。それでも確信をもって自分はここにいるのだと答えられたのは何故だろう。
「ね、一騎くんは、ここにいるかな?」
 少年は海の方を見つめていた。だから真矢も倣って海を見る。
「いる、んだと思う」
 それは確信だった。ふわふわと浮いていた自分の中の何かが、がちっと地に固定されたような感じがした。曲がったガードレールに乗せた手にきゅっと力がこもる。真矢の口が本当に嬉しそうに笑みを作った。
 ――ありがとう。
 何かに無償に感謝する。あなたがいてくれてよかった。
 真矢の心はこのうえもなく温かく、安らかだった。





ここまで読んでくださってありがとうございます。
一騎の目はやっぱり失明してたんですね。でも紅音さんも末期でない限り治るって仰ってましたし、一騎が真矢を見る日がいつかはくるってことですよね!
この二人の独特な雰囲気がすごく好きで、特別お互いを意識した恋人じみたことはなくても、無意識に心の大半を占めている、そんな風に書きたかったんです、け…ど(
でもそれってすごく羨ましいことのように思えます。
アルヴィスやファフナー、フェストゥムの存在をいつまでも受け入れられなかった真矢にとって、一騎という存在は大きく、安心させるものだったんじゃないかな、と思いました。



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