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*the others*
seal the fate(ヒロム×ヨーコ)


『その話ですか。大丈夫ですよ。俺の目的は変わってませんよ、今も昔も』
 “普通の人間は転送に耐えられない。”
 すなわち。
 亜空間に転送された転送研究センターの職員達の、限りなくゼロに近い生存率。それを聞かされた時、ヒロムは確かにそう言った。自分たちがワクチンプログラムを施され、転送されてきたように、職員達にもそれが出来たかも知れない。皆生きているかも知れない。だから信じるのだと。
 その言葉を受けて、ヨーコ
も信じてみようという気になった。三歳の時の記憶なんて、もうほとんどなくて、その後の濃密な十三年間が実の母親の顔さえも朧気にしてしまっているのが実際のところだが、そんな自分も、またお母さんに会えるのだと、そう信じてみようと思えた。
 しかし、今思えばその言葉が、すでに彼の心境が通常でないことを、彼が一番内心困惑していることを、彼の受けたショックの大きさを、雄弁に物語っているのだと、今更ながらに気付いた自分に限りない嫌悪を覚えた。


【 seal the fate 】


「そんなとこに突っ立ってないでこっち来いよ」
 背中を向けているのに的確にそう指摘されて、ヨーコの心臓が跳ねる。てっきり気付かれていないか、そうでなければ突っ返されるようなきつい言葉を予想していたのに、まさか居てもいいなんて、言われたことが意外だった。どう声をかけて良いのか分からず、不自然に立ち尽くしていた自分に恥ずかしさを覚えて、ほんのり顔が熱くなるのを自覚しながら、ヨーコは彼に近付いた。
 エネルギー管理局。
 幾数の建物施設が並列するその中の、特命部管轄の一つ。その屋上にヨーコは居た。何もない、だだっ広いだけの場所。それでいて開けた、空がよく感じられる場所。
 ヨーコはヒロムの隣にストンと腰を降ろした。結局何をどう切り出せば良いのか分からなくて、ただヒロムの隣で自身の膝を抱いた。ふと隣を盗み見ると、ヒロムは空を見上げていた。 ヨーコもつられて空を見る。澄んだ星の煌めきが、亜空間からこちらに戻ってきたのだとより一層自覚させる。夏の終わりを予感させる風が、少しだけ冷たさを孕んで頬を撫でていった。
「私たち、帰ってきたんだよね」
 ぽつりと呟いていた。
「正直まだ実感ない。本当にメサイアをシャットダウンして帰ってきたんだよね」
「……ああ」
 非現実的な星の煌めきを見ていると、亜空間での体験がそれこそ夢のように思えてくる。しかし自分たちが亜空間へ突入したこと。そこでのヴァグラスとの戦い。それによって負った傷の痛み。ずっと知りたかった事実と真実を目の当たりにした心の痛み。取らなければならなかった選択。突入するまで体を張って道を作ってくれた指令室や整備班の仲間たち。それら全てが紛れもない現実であり、それを体験して今がある。

「終わった、んだよね? メサイアをシャットダウンしたんだから……」
 ヒロムは何も言わなかった。ただ星空をぼんやりと見上げている。その目は見ているようで見ていない。何を考え、何を見ているのか。ヨーコには分かる気がした。元々よく喋る方ではないヒロムは、口を開くことなくぼんやりと空を見上げる。その胸中で様々な想いを抱きながら。
 突如、もしかすると自分はこの場に邪魔だったのかという不安が込み上げたが、先ほどの言葉に居てもいいことを許されたことを思い出し、胸を撫で下ろす。
「私さ、お母さんに会ったんだ」
 応える言葉はないが、ヒロムはヨーコを見た。
「亜空間から戻って来る時にね、お母さんに会った。私の肩をこう、支えてくれて、笑ってた。たとえデータだけの存在だったって、お母さんはお母さんだった」
 その時の温かな雰囲気を思い出し、言葉を紡ぐヨーコを見ていたヒロムは、また目線を空へと戻すと、そうか、と呟いた。
 亜空間にいる人達全員を生きて戻す、という当初の目的は果たせなかったけれど、不思議と思ったより悲しみを感じなかったのは、自分の気持ちにすでに整理が付いているに他ならない。きっとヨーコにとって、帰りのコックピットの中で母親と会えたのは、お別れをする為だったのだ。母親と引き離された時の絶望は、三歳の時に散々味わった。悲しみも苛立ちも、散々泣いて、喚いて、そうして十三年前という長い月日の中で幼い頃の記憶の忘却も手伝って、ヨーコの中で整理されていったのだ。
『お母さん、ありがと。さよなら』
 そう、思えるほどに。
 ーー!
 その瞬間、唐突に思い至った。
 ヒロムはどうなのだろう、とーー。
 十三年前、泣いていた自分に希望をくれたヒロムはどうなのだろう。転送研究センターが亜空間に転送され、自身も七歳という幼さで両親と引き離されながら、ヨーコにそう約束をしてくれた彼は、ヨーコの元から去っていった後ーー。
「ねえ、ヒロム。ヒロムはさ……ーー」
 “自分の為にちゃんと泣いた?”
 そう、何故だか彼に訊けなくて、ヨーコは言葉に詰まる。なんだよ、と怪訝な瞳を向けるヒロムに対して口から出た言葉は、
「なんで二十歳だったの?」
 そんな質問だった。
「………は?」
 きょとんと、訳が分からないという風なヒロムの表情。自分でも何故そんな質問をぶつけたのかは分からない。分からないが、それはヨーコが前から気になっていた疑問の一つでもあった。
「なんで二十歳になるまで私達と合流しなかったの? なんで二十歳になってから特命部に入ろうと思ったの?」
 ヒロムは、ついとヨーコから顔を逸らした。聞かれたくない内容、というよりは何かを思い出しているかのような遠い目。
「姉さんを悲しませたくなかったから」
 記憶を探る、遠い目。
「姉さんは、父さんと母さんが亜空間に転送されてから、俺の前では泣かなくなった。でも、俺は姉さんが俺に隠れて泣いていたのを知ってる。俺は、俺が出ていくことで姉さんをこれ以上泣かせたくなかったんだ」
 つまりは、ヒロムは十三年前に泣いているヨーコの前で涙も見せずに約束をし、その後は実の姉の心を守り続けていたということか。
「だから俺は、ちゃんと成人してから特命部に入ろうと、決めてた」
 本当はすぐにでも合流したかったはず。出来うるなら、七歳のあの時から。でもそうしなかったのは、姉を悲しませないため。
 本当は思い切り泣きたかったはず。ヨーコが泣いていた、あの場面で、自分も。でもそうしなかったのは、希望を繋ぎ続けようと必死だったため。
 この人は。
 自分を大事にしなさ過ぎているーー。
 “普通の人間は転送に耐えられない”という言葉を真っ向から否定し、希望だけを見続けていたほどなのに。戦闘中にメタロイドにまで利用されるほど、誰よりも、ヨーコよりも両親にずっと会いたい気持ちは強かったはずなのに。
 この人は一体、どれほどの時間、自分以外のものを優先してきたのだろう。
 もう頑張らなくて良い。
 メサイアをシャットダウンしたんだから、もう苦しい思いも痛い思いもしなくて良い。
「もう、休みなよ。ちゃんと」
 ーー誰かのためじゃなく、自分のために。
「……そうだな、なんか、今日は、疲れた……」
 吐息を吐き出すようにそう言って、ヒロムは目を閉じた。それきり、口も閉ざしてしまった。沈黙が場を支配する。それがなんだか痛くて、何か声をかけたくて、だけど何を言っていいのかも分からなくて、ヨーコも押し黙った。隣を盗み見る。まるでフリーズしたかのようにヒロムは動かない。
 不意にその体が斜めに傾ぎ、ヨーコの体に寄りかかってきた。自分の肩にあるヒロムの頭。有り得ないほどに近い、二人の距離。そして、不自然なまでに速い、自分の心臓。
「ちょ、ヒロム!? やだーー」
 困惑するヨーコの耳に届いたのは、微かな寝息。
「うそ、寝ちゃったの……?」
 肩にかかる重さ。寄りかかる体。彼の体温。温かさ。痛いほどに鼓動が速くなる。
「ちょっと! 部屋で寝なって!」
 声をかけてみる。体を揺さぶってもみた。それでも彼は目を覚まさない。それどころか力の抜けきったヒロムの体はバランスを崩し、ヨーコの膝に倒れ込んでしまった。もう動くこともどうすることも出来なくなって、あきらめたようにヨーコは空を仰いだ。こういうの、何て言うんだっけ。そうだ、膝枕だ。他人事のようにそんなことを考えた。
 じっとヒロムの寝顔を見つめる。閉じられた瞼。薄く開いた唇。無意識にヨーコの手が持ち上がり、ヒロムの額に触れた。前髪をかき上げ、優しく撫でた。
「………約束、最後まで守ろうとしてくれて、ありがと」
 ヒロムからの返事はない。
 十三年間頑張ってきた結果が救いたかった皆もろともメサイアをシャットダウンすることなんて悲しすぎるけど、それでも自分達はやり遂げたのだからーー。
 もう、彼は充分に休んで良い。
「おやすみ」
 呟いた声は、夜の風に流されて消えていった。



ここまで読んで下さってありがとうございます。

約束を胸に突入した亜空間。悲しすぎる現実に相当の覚悟を持って実の両親をメサイアもろともシャットダウンしたのだから、後悔を後で言ってほしくはない。ヨーコに謝ることも、あの時だけでいい。だけどそんなヒロムが実は見せないところで無意識に一番傷ついていたらいい。倒れるほど。



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