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*the others*
stork(剣心×薫)/「るろうに剣心」


 引き戸を開けると、来る患者の顔を認めた老医は意外そうに目を丸くした。
「緋村君? どこか体調に不具合でもあったかね?」
 自身の身体のことでも定期的に世話になっているものだから、つい先日視てもらったばかりだというのに日も経たない内に再来訪した患者に不思議に思ったのだろう。剣心は相変わらず戸口のところに突っ立ったままで、後ろ頭を掻いた。
「先生、今日は拙者のことで参ったのではないのでござる」
 彼もまた、困ったような不安そうな面持ちだった。

【 stork 】

 小国医師と向かい合わせの椅子に座り、訥々と剣心が語る。二人の様子は端から見ればまさに医師に視てもらっている患者のそれだが、何やらいつもと様子が違う。
「このところ食事もろくに摂らぬことが続いて、具合が悪そうなのでござる。熱はないようなのですが、この間突然嘔吐して……、先生、薫殿は何かの病気でござろうか?」
「……緋村君。一つ訊くが、薫君が嘔吐したのはどういった状況でかね?」
 老医の問いに、わずかに思案して答える。
「確か、夕げの準備をしていた時だったと思うでござる」
 直後、今度は剣心が驚いて目を丸くした。剣心の話を聞いた小国医師が、なんと嬉しそうに笑ったのである。
「ははは、なんと。そうか」
「あの、先生……?」
 事態に付いてゆけず、不安げにたずねる。一体何が可笑しいというのであろうか。
「いや、済まん。緋村君」
「はい」
 老医はしっかりと剣心の目を見据えて、言った。
「おめでとう。薫君はおめでただよ」
「…………は?」
 きょとんとなった剣心に、もう一度、ゆっくりと、はっきりと言葉を告げた。
「薫君は、君との子供を身籠ったんだよ。いやぁ、実にめでたい」
 その言葉を脳が理解するのに、数秒の刻を有した。

 どこをどう走ったのか、まるで思い出せない。ただ、体だけは自分の意思とは勝手に動いて、剣心を帰るべき場所へと向かわせた。
 神谷剣術道場。門を素早く潜り、邸内に入る。乱暴に履き物を脱いで手当たり次第に部屋に入っては薫を探す。どこもしんとしている。静かな昼下がりに剣心の足音だけが慌ただしく響く。台所にもいない。どこかに出掛けたのか。まさか道場には――。そう思いながら縁側の廊下へ差し掛かった時。
「剣心?」
 薫が居た。
 縁側にて物干し竿に干してあった洗濯物を取り込んでいる。衣類で山盛りになった篭を両手に抱え、驚いたようにこちらを見ている。
「どうしたの、そんなに慌てて……?」
 素足にも構わず縁側に降りると、剣心は大股で薫へと歩み寄り、
「え、ちょ、なに――」
 力一杯、薫の体を抱きしめた。篭が地面に落ち、洗濯物が散乱した。薫が小さく声を漏らした。
「ありがとう」
「え……?」
 腕の中の華奢な体が愛しい。
 戸惑う薫に、自分の中の気持ちをどう説明して良いのかも分からず、剣心はもう一度、ありがとう、と囁いた。
「……もしかして、小国先生のところに行ってた?」
 こくりと頷く。
「そっかあ、私が教える前に知っちゃったのね」
 少しだけ残念そうな薫の様子に、余計な詮索をしたかのような申し訳ない気持ちになって、済まない、と詫びると、薫は首を振った。
「それより、私の方が、ありがとう、よ。あなたとの赤ちゃんを授けてくれて、嬉しい」
 抱きしめられたまま、僅かに背の高い剣心を、薫は見上げてはにかんだように笑う。
「ありがとう、剣心」
 何故か、心が揺らいだ。心臓が、きりりと冷えた。明らかな負の感情が芽生え、剣心の全身をじわじわと包み込んでいく。
 かつて、たくさんの人の命を奪い、またその轟き渡った名から、自身も命を狙われる環境で生きていた、人斬りだった時代や、飛天御剣流の奥義を会得した時の、あわや自分の命が消えるかという瞬間でさえ、感じたことのない感情。
 それは、恐怖だった。それでいて、不安であった。
 人斬りであった自分が、父親になろうとしていることへの、恐怖だった。生まれてくる子供と、何より大切な薫の未来を、この先守っていけるのか。そもそも、こんな自分にその権利があるのか。そう思うと、情けないくらいに怖くなった。
 感情の震えが、心から筋肉へと伝わってしまう。
「剣心……?」
 薫にしがみつくように、抱きしめる手に力を込めた。
 それでも、逃げ出すつもりなどさらさらない。自分は戦いの人生に身を置くと決め、そして、自分にはいつも隣に寄り添ってくれるこの少女が、何よりも大切で、必要なのだ。頭では分かっていても、しかし感情は正直なのが現実だ。
 背中に感触を感じた。
 薫の手だった。
 薫が剣心の背中に手を回し、抱きしめてくれている。
「ただ、今はこの存在が、嬉しい」
「………!」
「ありがとう。剣心」
 繰り返した。
 何をそんなに怖がっているというのか。
 時が動き、前へ進んだのだ。
 人斬りから流浪人へ、自身が動いたように、流浪人の自分は終わり、こうして新たな自分へと成ろうとしているのだ。
 一体、何がそんなに怖いというのか。
「薫、殿……」
 “ただ、今はこの存在が、嬉しい。”
 ――本当に、その通りでござる。
 少女の髪を撫でる。心が溶き解れていく。
 言葉なく、ただ穏やかに微笑んでみせると、薫も嬉しそうににっこりと笑った。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

妊娠発覚のくだりはやはり気にならずにはいられないので、自給自足しました。

ほのぼのな剣心と薫が大好きです。



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あきゅろす。
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