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*the others*
iron craw~unconsciously?~
【iron craw~unconsciously?~】


 ここがどこだか自覚するところから始まる。
 確かここはいつもの店。時刻は九時を少し過ぎたところ。明日は休みで、一緒に飲んでいるのは、リリカさん。
 店の照明が柔らかい。その柔らかい光が自動的にくるくると視界を回る。ここはどこだ、自分は何をしている。冷静になればなるほど、今の自分の状態をより冷静に受け入れてしまう。
「ほんとあんたってアルコールに弱いのねー」
 そう言ってリリカが中ジョッキをあおったのはいつの話だったか。ついに自分の意識は自分の知るとはなしに途絶えてしまったのか。
 頬に当たる風は冷たい。いつの間に外に出てきたのだろう。会計を済ませた記憶がない。リリカさんが全て払ってくれたのか。
「すいま、せん」
 そう答えるのがやっとで、キョウスケは気を抜くとすぐにでもその場に崩れてしまいそうになる足を叱咤した。かと言って、リリカの手を離れることなど出来ない。今のキョウスケは情け無くもリリカの介助なしでは足っていられない。
 ――ああ、リリカさん、ほんとにすいません……!
 かと思いながらも悪い気分ではない。ほのかに高揚感のある、良い気分だ。何だって自分を作った技術者は、このような丁度人間に換算するところの、“酔う”という状態を作ったのだろう。自分は人間ではない。なのにそんな機能が備わっていることが不思議で仕方がない。
 タクシーが庁舎に着いた。リリカが金を支払い先に降りる。この人の限界はいつになったら訪れるのだろうか。そんなことを真剣に考えながらも、キョウスケはリリカの手助けなしではタクシーからも真剣に降りられない。そのことに多大な情けなさを感じながら、でもリリカの肩に手を回し、リリカの手をしっかりと握ってタクシーを降りた。
「うっぷ……!す、すいません……!」
「あたしも何だかんだ言って飲ませちゃったしね。謝んなくてもいいわよ」
 そう言って赤ら顔でリリカがにっと笑う。今日のリリカはどことなくご機嫌だ。リリカの上機嫌の理由などキョウスケには分からない。リリカのプライベートに興味があるわけではない。踏み込んではいけない領域だというのも分かっている。きっとアルコールの所為なのだろう。回らない頭でそう結論付けるに至り、キョウスケはリリカの手を離れ自力で立った。もう一度、詫びと礼の言葉を口にする。
「出来れば送って行きたいんですけど……」
「今のあんたに何が出来るのよ。ていうか、ちゃんと部屋まで帰りなさいよ?途中で寝たら駄目だからね!分かった?」
 苦笑混じりでキョウスケの額を小突くリリカの笑みは、やはり柔らかい。額を両手で押さえながら、キョウスケはリリカの笑みを呆然と見つめた。
「あの……、何か良いことでもあったんですか……?」
 リリカは聞いてもらえたことが嬉しくて堪らないといった様子で笑顔を弾けさせた。
「あはっ、大したことじゃないんだけどね。実は課長が――」
 “課長”。確かその単語を聞いたこと、そしてリリカの本当に嬉しそうな笑顔。この二つを認識した瞬間、キョウスケの思考を司る回路が明らかに鈍くなった。
 何故。答えは分からない。バグだろうか。そうかもしれない。リカバリング機能も働かない。リリカの口が動いているのは見えるのに、声が届いてこない。同時に何か脳にささくれ立ったものを感じた。感情を司るメモリーがおかしい。
 胸にあたる場所がむかむかとした。何の感情も付与されていない目で、キョウスケはリリカをじっと見つめる。ああ、リリカさんって意外と背小さいんだな、とか、腕とかもこんなに細かったっけ、とか、そんなことを考えていると、何故だか目の前の上司のことが気になって仕方が無くなってしまう。もう少しいたい。いてほしい。帰りたくない。帰らないでほしい。
 想いと願望は結果となり、気付けばキョウスケはその腕でリリカを抱きすくめていた。アイカメラがリリカの驚きに見開かれた目を映す。音声がやっと届く。“は?え?”と、それは言葉にならない声だった。
 突如、腕の中の上司が顔を俯かせた。
「あれ……?」
 急激にキョウスケの思考回路の回転速度が上がった。自分は今何をしている?自分は今、誰を、どうしている?!
 直後、上司が見せた動きが速すぎてキョウスケのアイカメラでもぎりぎり認識出来た映像に思考も感覚もついてはこれなかった。それはコマ送りの映像。
 顔を上げた上司。真っ赤に染まった頬。こちらを睨む目。掴まれる自分の襟元と手首。それからは一瞬だった。視界が天地逆さまになった。
「どぅりゃああっ!!!」
「ぅわあっ!?」
 派手な音を立ててキョウスケの体が庁舎の石畳に叩きつけられた。まるでお手本のような、見事な一本背負いだった。キョウスケの上司である女性は、その意外ともとれる細腕にも関わらず、軽量化されているとはいっても総重量八十キロは超えるキョウスケの体を軽々と投げ飛ばしてしまったのである。
「え?え?!」
 仰向けに倒れたまま、キョウスケは目を白黒させることしか出来ない。ようやく脳の回路が動き出したような気がする。逆さまに映る上司が、半眼でキョウスケを見下ろしていた。
「あたしにそんなことしようだなんてね……」
 ヒールをガツンと踏み鳴らす。
「十年早いのよっ!!」
 地面が揺れたような気がした。
「す、すいません……」
 ふんっと鼻を鳴らして踵を返すと、颯爽と去っていく。タクシーを拾うとその中へと身を滑り込ませる。リリカが庁舎前から消えるまでの時間はあっという間だった。
「……寒い」
 皮膚のセンサーが容赦ない寒さを感知する。キョウスケは依然として石畳に転がったまま、庁舎前の警備員に曖昧な笑みを向けた。
 警備員の口が、“阿保か”と言っていた。



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