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*the others*
But anyone saw

 男は、今にも雨の降り出しそうなほど立ち込めた黒雲を鬱陶しそうに見上げた。その仕草で、防塵用のマフラーがずり落ちる。それを機械的な手つきで鼻の辺りまで持ち上げながら、溜め息混じりのくぐもった声を出した。
「ああ、寒ぃな畜生……」
 ざりっ
 ざりっ……
 男の分厚いブーツが地面を踏む度に、粉塵が微かに巻き上がる。男の足は今までずっとそんな場所を歩いてきたかのような足取りで、アスファルトの裂け目を縫って確実に歩を進めていく。
 しかしその足に目的地などなかった。当て所もなしに男は歩いてきたのだ。そしてその目は様々な街を映してきたのだ。かと言って訪れたどの街も、男にとっては代わり映えのしない灰色の街だったのだが。
「どこもおんなじだな……。ったく」
 死の街だ。ここもいままで見てきたどこのものとも同じ、死の世界だ。生きているものなど一つとしてない、街さえ生きることを止め、ただの大地になってしまった街の遺体だ。
 ざりっ
 ざりっ……
 自分の足音が耳に届く。しかしそれさえも、ただの雑音のように、まるでいつか聴いたラジオのノイズのように、あるいはいつか観たテレビの砂嵐のように思えてくるのだ。 自分は生きているのだろうか。もしかしたら、自分もすでに死んでいて、この街にさ迷う地縛霊のようにずっと同じ道を歩いているのではないか。
 それでも男は歩みを止めない。男の足は自我を持っているかのように止まらない。
 ざりっ……
 ざ……
 それが突如として止まった。あるものを見つけたのだ。
 それは一人の少女だった。
 一人の少女の死体だった。それは、荒廃しきった街の地面の上に横倒しになって倒れていた。
 男は歩みを速めることも遅めることもなく少女の死体に近づいた。
「俺は生きてる人間には会えないってのかよ……」
 遺体はまだ新しかった。少なくとも死後二十四時間以内といったところか。いままでにもっと酷い死体を見たこともあるだけに、いとも簡単に少女の死体に触れた(といっても感染症予防はしているが)。
 子どもの死体は珍しくない。街を襲った脅威は老若男女無差別だ。生きている人間を滅ぼそうとするものが老人女子供だけを差別的に狙わないなどあり得るわけがない。
 男は無感動に少女の砂だらけの体を眺める。だがそんな少女に何の痛みも感じないというわけではない。こんな所で一人倒れている少女だ。誰にも看取られずに孤独に逝ったのだということを思うと、やはり少し痛む。
「こんなろくでもねぇ奴が生きてるってんのに……」
 世界とは何と残酷なものか。こんな世界に産まれてくるとしたらまさしく何という地獄か。
 男はそれまで何十体何百体の遺体にそうしてきたように慣れた手つきで、しかしそれでいて慎重かつ丁重に少女の遺体を弔った。遺体を埋めようとして少女の体を持ち上げた時に少女のはいているスカートのポケットから一枚の写真が落ちるのに気づいた。
 少女を地中に横たえてから男は写真を拾った。
 そこに写っていたのは、八名の少年少女。皆、それぞれ一様に個性を覗かせる表情をしていた。Vサインをして笑っている少女、肩を組まれて照れている少年、隣にいる少年に意識しているかのようにはにかむ少女……。
 その中に今は遺体となったこの少女と思われる少女の顔もあった。
 ――この子、こんな顔で笑うんだな……。
 地中に横たわる遺体の上に、写真をそっと乗せてから土や砂利をかけていった。
 そうして何もなかったかのように立ち上がる。
 次の街を目指すことにする。何の期待も希望もない。ただ義務的にまた歩きだすことを選ぶ。終わる予定はない。終えるつもりもない。
「ああ、寒ぃな畜生……」
 いつの間にかずり落ちていたマフラーを鬱陶しそうに持ち上げ、再び男の足は歩き始めた。



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