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*the others*
十六夜朧に沁みる
 空気が澄んでいるというのは、この様な状態を指すのだろうなと、男は思った。
 顔や手などの、剥き出しの肌を刺す様な冷たさで前から風が吹き付ける。彼がペダルを漕ぐ足に一層の力を込めると、さらに風の勢いが増した。
 あまりの寒さに、ついコートの襟元を手繰ってしまう。それでも相変わらず冬の風は容赦がなくて、布の隙間を縫って男の肌を撫で付けた。
 ぶるり、と一つ身震いをしてから息を吐く。夕食時をとうに過ぎた夜の空を見上げると、あまりに明る過ぎる紺の空に、寒さとは違った震えが男の背中を這い上がった。
 白い月だった。
 夜の世界の、太陽だと思った。それを引き立てる様に周りにはいくつもの小さな星が見える。
 美しい空だった。それは夜と呼ぶにはあまりに明るい、不思議がかった世界だった。ただ、男の、はあと吐く息だけが彼を現実世界に引き留める。
 月の周りにぽかりと浮かぶ真白い雲は、昼間と何ら変わらない白さでそこにある。
 ペダルを漕ぐ。
 今日も一日が終わり、また明日がやってくる。確かに今日も一日過ごした。いつもと変わらない現実。昨日と同じ今日。今日と同じ明日。それが男の全てだった。
 それなのに。
 なんだかこの“現実”が、だんだん夢の様に思えてきて、そしてそこから永遠に出られない様な気がして、必死に、男はペダルを漕いだ。
 早く。
 早く。
 この美しい世界から脱け出せる様。

 景色は、一向に変わる事はなかった。




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あきゅろす。
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