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*the others*
kaikisen(鶴姫×安成)/「鶴姫伝説」
【kaikisen】


 海を見ていると、幼かった頃を思い出す。静かに打ち寄せる波。大きく、深く、荒々しく、優しい、海。自分がこの世に生を受ける遥か昔から存在し、産まれてから今に至るまでずっと見守ってくれていた海。小さな頃はよくここで泳いだり遊んだりしたものだった。その頃の思い出に浸るわけではないが、何かと自分はここを訪れている。
 目を瞑る。
 礒の香りが芳しい。
 耳を澄ませる。
 波の音が心地好い。
 その音に混じって幼い声が聴こえてくる。
『鶴! 鶴、まて!』
 情景が甦る。
『鶴、大きくなったら、俺の嫁になれ!』
『嫌じゃ! 誰が安成なんかの嫁になるか! ぜえーったいに、嫌じゃ!』
『あっ! またんか! 鶴!」
『鬼さんこちら、手の鳴る方へ! あはは!』
 目を開ける。
 あの頃と何も変わらない海が、ただ静かに広がっている。
 己の手を見つめた。
 あの頃のような子どもはもう居ない。代わりに居るのは齢十六ほどに成長した大人。
「鶴!」
 聴こえた声に鶴姫は振り返った。一人の青年が、鶴姫のいる波打ち際まで降りてきていた。
「安成」
「またここに居たのか。お前は本当に海が好きだな」
 言われて鶴姫は微笑んだ。
 海が好きだと言われることが、鶴姫には誉め言葉のように思えるからだ。
「それは、安成とて同じであろう?」
「ん? ああ、そうだな。おれも。海が大好きだ」
 そして、海が好きだと言われることは、自分のことを好きだと言われているようで、嬉しいのだ。
「――で、用向きはなんだ? そのようなことをわざわざ言いに来た訳ではあるまい?」
「ああ。鶴、屋敷に戻れ。戦だ」
 鶴姫の目の色が変わる。踵を返すと、屋敷に向かって走り出した。

「安房兄様!」
「鶴か」
「敵はどの辺りに――! 海を見ておりましたが、沖まで何も――」
「向島が落ちたのだ」
「!! 兄様、今なんと――」
「因島まで撃って出る。鶴、俺の居ぬ間、留守を頼むぞ」
「御武運を、兄様……」
 兄の出陣を見守る。見えなくなるまで見送ってから、すぐに海へと走った。
 海よ。
 ああ、瀬戸内の海よ。
 どうか兄を御守りください。
 大三島に勝利を。伊与に平穏を。
 そう、一心に、ただ一心に祈った。

 それからどのくらい時が過ぎたのだろうか。
 鶴姫の前に墓が二つある。
 一つは伊与国大山祇神社、大宮司として亡くなった父の物。
 そしてもう一つは、かの日に陣代として出陣した兄の物。
 人の命とはどうしてこうも脆いのか。
「父上……。安房兄様……。みんな、海に連れて行かれてしもうた……」
 戦乱の世に産まれたがゆえに、海の過酷さ、人の命の脆さ、戦の激しさ、それらを鶴姫とてよくは知っている。しかし、知っているからと言ってそれを割り切るには、鶴姫はまだ幼すぎた。
 かつて陣代として大三島水軍の指揮を取った長兄、安舎は父亡き後大宮司としての責務を立派に果たしている。となれば、安房に代わり次の陣代を務めるのは――。
「鶴! ここに居たか。捜したんだぞ?」
 幼馴染みは、本当に心配している目で鶴姫を見つめると、その隣に立った。幼い頃より鶴姫と一緒に育ってきたようなもの。鶴姫の兄――安房とも浅い関わりとは言えない。だからと言って、簡単に鶴姫を慰めることもしない。ただ黙って、鶴姫に寄り添うように立っていた。
 そしてそれが、鶴姫にはありがたかった。だから、素直に自分の気持ちを話すことが出来た。
「安成。わたしは、次の戦で陣代として出る」
 安成が鶴姫を見た。鶴姫がそう言い出すのを解っていたような、苦々しい目だった。
「神職である安舎兄様は戦には出られない。安房兄様亡き今、次の陣代はわたししか居ない。わたしが大三島を守る。安房兄様の仇を取る」
「鶴……。分かった。ただし、おれも連れていけ」
「な……」
「おれを、お前の右腕として使え」
 鶴姫は安成を見上げる。幼い頃よりずっと見てきた青年の目は、凪の海のように静かだった。
「ならぬ……ならぬ! 絶対にならぬ! わたしは安成まで失いとうはない!」
 それは切実な願い。それだけは譲れなかった。それだけは譲っては、いけなかった。
 安成の手が、今は逞しい大きな手が、鶴姫の華奢な肩を掴む。正面から鶴姫の目を覗きこんで、諭すように言葉を続けた。
「鶴。おれは、お前と共に居たい。たとえ、戦の中であっても。お前が大三島を守るというのなら、お前のことは誰が守る?」
 安成の目は静かで、そして優しかった。
「鶴、おれを使え。おれがお前のことを守ってみせる」
 もう何も言えなかった。鶴姫は安成の胸に頬を押し当てる。言葉が見つからなかった。溢れ出る涙だけは見られないように、声を殺した。だけど肩はどうしても、震えてしまった。
「安心しろ。おれは死なん」
「当たり前だ! 死んだら……許さぬ……」
「はっはっは。……鶴、覚えているか? まだおれ達が幼かった頃、おれがお前に、嫁になれと言ったことがあった」
「…………そんな昔のこと、覚えておらぬ」
「そうか……、今となっては考えられない話だ。おれはお前の臣下で、お前はおれの主君なのに」
「そんなこと!」
 思わず顔を上げてしまった。涙の所為で赤くなった目を、見られてしまった。慌てて逸らした。
「そ、そんなこと……あるものか。わたしは、お前に……安成に、わたしを嫁にもろうて欲しい」
「……鶴」
 安成の目が驚きに見開かれる。それから、優しく細められた。肩にあった手が動き、鶴姫をそっと抱き締めた。鶴姫も、安成の背中へ、そろそろと腕を回した。
「約束だ、鶴。この戦の全てが終わった頃、お前を、おれの嫁にくれ」
「安成……ありがとう………」

 響き渡る音。舟に叩き付ける波の音なのか、人間の怒号や断末魔なのか、もはや区別が付かない。
 思考が動かない。頭が働かない。
 今、見ている物が、信じられない。
「陣代! 囲まれています!!」
「卯の方向に将船! 新手です!」
「寅! 亥! 申! 轟沈っ!!」
「浸水しています! う、うあ……うわぁぁああッッ!!!」

 こんな筈ではなかった。自分が陣代になってから、幾度となく戦に身を投じてきた。
 女性陣代、大祝鶴姫。
 その相棒で右腕の“黒鷹”こと越智安成。
 これまでと同じようにして、快勝する筈だった。しかし今、今は――。
「今を見ろ! 鶴っ!!」
 肩を物凄い勢いで揺さぶられた。痛みすら感じるほどの力で。安成だった。いつの間に負傷したのか、額から血を流している。
「安成……。わたしの、わたしの指揮の所為で……皆、死んでゆく。海に……帰ってゆく……」
「しっかりしろ! 鶴!! このままだと全滅してしまう! 大三島が落とされてもいいのか!? 安房殿の仇を取るんじゃなかったのか!? しっかりしろ! ちゃんと、前を見ろっ!!」
 がくがくと肩を揺すられる。怒号。悲鳴。矢の空を切る音。矢尻が肉を貫く音。火薬が爆発する音。敵が渡し板を伝って乗り込んでくる。刀。槍。肉を引き裂く。鮮血が潮のように吹く。
「あ、ああ……」
「鶴っ!!」
 刹那、一際大きな爆発が上がった。鶴姫の乗る将船への砲撃だった。
「うああああっ!!」
 もう何も考えられない。船縁に掴まり目を瞑る。音までもを、ついに遮断しようとして――、
 その音を聴いた。
「丑の方向です!」
「よし、一番損傷の軽い早舟を出せ! おれ一人が乗れるだけでいい!!」
 目を開けた。
 幼馴染みが、額から血を流した幼馴染みが、一人だけで早舟に乗り込むところだった。
「安成……? 何をしておる……、安――」
「鶴……」
 そこだけが、まるで切り取られた世界のようだった。他の音など何も聴こえない。なのに、安成の声だけは、その息づかいまでが聴こえそうなほど澄んで聴こえた。
 安成は、小さく頼りない舟の中から鶴姫を見上げると、にっこりと笑った。
「鶴、お前が大好きだ。おれが、鶴を守る」
「安成――待て!! 嫌だ、行くな――」
 時既に遅し。止まっていた音が動き出す。
 自軍、敵軍、沈んだものや白兵戦の場となっているもの、様々な舟の間を縫って、安成の乗る早舟は矢のように猛進した。まっしぐらに、敵軍総大将の舟だけを目指して。
「安――」
 激突。
 一艘の早舟の捨て身の攻撃。
 轟沈――。
 大将を討ち取るも、勇将“黒鷹”、討ち死に。
 三島水軍の、辛勝だった。

「陣代、大丈夫ですか?」
 声にはっとなる。部下が心配性そうにこちらを見ている。鶴姫は安心させるように微笑んだ。
「案ずるな。わたしはなんともない。それより、これで全員か?」
「は。揃いましてございます。……あの、陣代。後は負傷した者も今回の奇襲作戦に参加したいと申しておりますが――」
「我こそはと名乗りを挙げる者はわたしに続け。これで、周防大内との戦を終わらせる!」
 列泊の気合いが、残り少ない兵達全員の口から迸った。何を思うことはない。万感の思いで鶴姫は号をかけた。
「三島水軍! 出撃!!」

 残存兵力の全てを投入した決死の奇襲作戦は、見事に敵軍の意表を突く。瓦解し、混乱を極めた敵軍の中での白兵戦。敵将をついに討ち取る。残りの敵兵、壊走。
 三島水軍の勝利に終わった。

 歓声が至るところで上がっている。それを聴きながら、鶴姫は小さく微笑む。
 小舟を漕いでいた。声が遠ざかってゆく。波の音が、入れ替わるように大きくなっていった。
 ざ……ん。
 ざざ……ん。
 まるで話し掛けてきているよう。
 鶴姫は、一人だった。
 誰にともなく、言葉が出てきた。
「終わった。これで。父上。安房兄様。大三島を、伊与国を守ることが出来ました」
 ざ……ん。
「安舎兄様、申し訳ありませぬ。鶴は、往く所があるのです」
 ざざ……ん。
「……安成。お前のお陰だ。お前が居なかったら、わたしは何も守れなかった。本当に……ありがとう」
 涙が込み上げる。もう、我慢することはなかった。
「もう……、逝ってもいいかな……? お前に……会いたい」
 鶴姫は、一人だった。
 だけど、何も怖くはなかった。
 そこには海が在った。
 そして、愛する男が居た。
 何も怖くはなかった。
「今、逝く。安成……お前が、大好きだ」
 朗々と、鶴姫は謳う。自分の生きた、証の詩を。
 そうして、帰るべき場所に還るかのように、海に身を投げた。
 海は、鶴姫を迎え、諸手を広げてくれているようだった。
 ――否。
 そこに待っていたのは――。
「安成……」
『鶴』
 変わらず、そこにはただ、海が在った。




参考:Wikipedia、瀬戸内ヒーロー街道。





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