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*the others*
rainfall(次郎長&辰五郎)「銀魂」
【rainfall】


 雨の音が聴こえる。
 しとしとしと、と。
 強く激しく降るでなく、弱く静かに。丁度細雨のように降り続く。目を閉じて雨の音を聴く。
 その音に混じって乾いた足音が段々とこちらへ近付いてくるのが聴こえた。
 それが誰だかなんて分かりきっていたし、遅からず自分の所へ来るだろう事も分かっていたので、特に何を思う訳でもない。ああ、面倒臭いことがこれから始まるんだな、と気分が少し憂鬱になっただけだった。
 さく、さくと足音が近くまで来ると、止まった。風が髪を無造作に撫でた。
「よぉ。俺をしょっぴきに来たのかい?」
 うっすらと目を開けると、思った通りの人物がこちらを見下ろしていた。その目にとてつもない怒りを宿して。
「ああ」
 男は怒りを隠すこともなく肯定した。
「なんでぇ、えらく無粋じゃねえか、辰五郎。こんなに良い昼寝日和なのによ」
「次郎長。神妙に縛に付きやがれ」
 次郎長の言葉などまるで意に介さず男は静かに言い放つ。ちゃきり、と音がした。辰五郎がその袂から取り出した十手の音だ。
「罪状は、“てめーの気持ちに嘘をついた罪”だ」
「……何のことだい?」
「とぼけるんじゃねえ!!」
 怒号が轟いた。ぽかぽかと陽気の降り注ぐ穏やかな昼下がり。突然の大きな音に危険を察知した鳥が数羽、ばさばさと羽ばたいて翔んでいった。
 不意に手が伸びてきて、草地に転んだままの次郎長の襟元をぐいと掴んだ。屈んだ岡っ引きの怒りの形相がすぐ間近にあった。
「てめェ、何故身を引いた?侠客が偽善者にでもなったつもりか?」
「侠客ってのは少なからず偽善者みてーなもんだ」
「うるせぇ!」
 そのまま凄い勢いで身体が持ち上がる。強引に上体を起こされた。
「痛えな……」
 さすがに少しムッとなって目の前の男を睨めば、そこにあったのは怒りの目ではもうない。少しばかり哀しみを含んだ、何ともやるせない目だった。
「てめェの……てめェの綾乃への想いは……、そんな程度のものだったのかよ?!」
 “綾乃”。その名前が飛び出した瞬間、次郎長の心臓がずきりと痛んだ。それまで曖昧な笑みを浮かべていた次郎長の表情に固いものが浮かぶ。が、それも瞬時に消えた。消せることに次郎長自身、驚いた。
「てめェに俺の気持ちなんぞ分かるめーよ……」
「ああ。てめェの気持ちなんざてめェが一番良く知ってんだろうが。だからおれは言ってんだ。てめェのあいつへの気持ちはそんなもんなのか、ってな……!」
 また、心臓がずきりと痛んだ。もう、それに気付かない振りをするのも、胸の奥底に抑え込むことも出来なかった。
 声が聴こえた。
 脳裏の中から。
『次郎長!あんたはまた何をやってるんだィ!』
『うるせーな。ギャーギャー喚くな。おめェには関係ねーだろ』
 それに次郎長は大儀そうに返す。すると、直ぐ様張り手が容赦なく飛んできた。いつものやり取り。普段の常套手段。鬱陶しく振る舞いながらもそれを有り難く思っている自分がいつでもいた。
 次郎長が喧嘩で怪我をすればぶつくさと文句を言いながら手当てをし、次郎長が危うく進むべき道を外そうとしているならば引っ張ってでも正そうとしてくれる。
 それが、あの女。
 口うるさくて、お節介で、どこまでも優しい――、
 次郎長のかけがえのない、女。
「………っ」
 我知らず呻き声が洩れる。あの時決意したはずの、焼いた鉄を無理矢理胃の底に飲み下したような感覚が甦る。
「おめェに……俺の気持ちなんざ分かるめェ……」
 この、血を吐くような思いを。心臓に焼け火箸を刺されたかのような思いを。
 何故。
 もう決めたのに。
 もう、決意したのに、何故――。
 何故、俺にもう一度こんな思いをさせる。
「見ろ。それが次郎長、おめェの正直な気持ちじゃねえか」
「……違う」
「おめェはまだ綾乃のことを――」
「違うっ!!」
 今度は次郎長が大声を張り上げる番だった。しかしそこには次郎長と辰五郎以外に誰も居なかった。穏やかで静かな午後の草地に、ただし二人の男だけが切り取られた空間の中で胸中を荒れ狂わせていた。
「俺は、あんなお節介な女のことなんざ、何とも思っちゃいねー」
 嘘だ。
「俺はな、辰五郎。清々してんだよ」
 嘘だ。
「これでやっとあいつの小言から解放されると思うとな……」
 嘘だ嘘だ、
 嘘だ。
「嘘を吐くんじゃねえ、次郎長!」
「嘘なんか俺は――」
「じゃあてめェは今、何で泣いているんだ?」
「?!」
 雨だと思った。
 なのに雨など降っていなかった。
 しかし雨は確実に降っていた。
 しとしとしと、と。
 細雨のように。
 他の何処でもない、次郎長の心の中で。
「は……っ」
 喉が焼け付くようだった。飲み下した鉄が上がってきたのだと思った。その熱いものが鼻から更に上へと通り抜け、拡散し小さな欠片となって、目から溢れた。
「なんでぇ、こりゃあ……」
 情けなくて、悔しくて、狂おしくて、次郎長はそれを手の甲でぐいと乱暴に拭った。
 女の怒った顔が脳裏に浮かぶ。
 女の自分を呼ぶ声が鼓膜に響く。
 女の笑った顔が瞼の裏に焼き付いて離れない。
 ――綾乃。
 ――やっぱり俺は、まだお前のことを……。
「……次郎長。何でそうまでして自分の気持ちに嘘を吐く?こんなんでおれが喜ぶとでも思ったか」
「おめェじゃねーよ。綾乃だ」
「……?」
「俺の口からこれ以上言わせるんじゃねえ、馬鹿」
 自嘲気味に次郎長は笑った。辰五郎は“馬鹿”と言う単語のみに反応してムッとしていたが、次郎長の言葉の意味には気付いていないようだった。
 辰五郎も綾乃を好いている。それだけなら殴りあってでも奪うつもりだったが、そうしなかったのは理由があったからだ。
 綾乃もまた、辰五郎のことを好いていたのだ。
 それを悟った時、どれほどの思いをしたことか。その胸中で紆余曲折を経て、次郎長は身を引くことを決めたのだ。
 何より、大切な綾乃の為に。惚れた女に幸せになってもらいたい、その一心で。
 それなのに辰五郎がこれほど食い下がるのは、辰五郎にも次郎長の気持ちが痛い程に分かっているからなのだろう。何せ自分たちは、同じ一人の女に惚れてしまったのだから。
「くっくっく……」
 こちらの気持ちなど決まっている。今更変わることなどない。
「……次郎長?」
 それでもこの気持ちを少しでも楽にしても良いと言うのなら――。
「……分かったよ、辰五郎」
「分かった、って何が――」
「殴らせろ」
「……!?」
「聞こえなかったかい。てめェの顔面を殴らせろ、って言ったんだよ。思いっきり、な」
 呆然と立ち尽くし、こちらを見下ろしていた辰五郎の目が、不意に細められ、それからニヤリと笑った。
 次郎長の気持ちを、決意を、理解してくれたらしかった。
「分かった。ただし、ただではやられてやらねー」
「あん?」
「殴れるもんなら、殴ってみろ、ってこった!」
 喧嘩だ。
 もう言葉など要らない。自分たちの想いを、決意を、互いの拳に乗せて語り合おう。この岡っ引きは、そう言ってくれている。
 次郎長の胸に感謝と祝福が湧いた。本当に、この親友は――。
「上等だァっ!!」
 静かで穏やかな昼下がり。
 しとしとしと、と細雨が降る。
 陽光の刺すそこで、二人の男は殴り合う。
 綾乃。
 お前さんの選んだ男は間違いねーよ。
 こいつならきっとお前さんのことを幸せにしてくれるだろうさ。
 だから。
 ――幸せになんな。
「おらァァア!!」
 狂ったように殴り合う。
 雨の中。
 陽光の中。
 親友と惚れた女の幸せ、それだけを願いながら、次郎長は拳を振るい続けた。




ここまで読んで下さってありがとうございます。

かぶき町四天王編より、次郎長は元より辰五郎がかっこよすぎて、ばあさんの旦那かっこいい!と思って生まれた小話。

辰五郎の口調も一人称も捏造ですが、もしかしたら辰五郎と次郎長の友情は美しくなんてなかったのかもしれませんが、この三人の恋愛模様は切ないと思います。でもそれがあったからこそ平子が生まれた訳で。

辰五郎が自分を庇って死んだ時、次郎長の中で何かが変わって四天王への道が開けたんでしょうね。



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あきゅろす。
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