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*tales of…*
sly(リタ&レイヴン)
【sly】


 どんなにその分野の知識が優れていても、どんなにその分野で権威だと謳われようと、一つの知識が秀でているだけであって全てが秀でている訳ではない。
 どんなに魔導器工学に己を捧げて才を伸ばそうと所詮、リタ・モルディオは十五歳の少女。世間のシステムも成り行きも世知辛さも理解していようとリタは、まだ十五歳の女の子なのだ。
 それが分からないではなく、分かっているからこそ、リタは歯噛みする。
「こんなものに頼らなきゃならないなんて、屈辱……馬鹿っぽい」
 重い嘆息を洩らしながらリタは半眼で手の中の物を見下ろす。触るとじゃらという音がした。蛇腹剣。今の、リタの身を守る唯一の道具。かつて旅をしていた頃にも使っていたものだが、リタはこちらよりも軽くて収納に長ける帯を好んで使うことが多かった。エアル伝導の高い優れた布。魔術を使う分には申し分ないが、魔術を使えない今としてはただの布だ。襲い来る魔物の牙や爪をいなし、硬い体に傷を付けるには無論、布など役には立たない。気休め程度でも刃の付いているこちらの方が今は安心というもの。
 とはいえ、リタの心は晴れない。はぁ、と再び大きな溜め息。
 それを耳ざとく聞きつけたレイヴンが、珍しいものを見るかのように好奇の目を向けてきた。
「どったの?天才魔導少女。溜め息なんか吐いて。幸せが逃げてっちゃうわよ?」
「うっさい。放っといて」
 そう突き返してしまった自分に後悔と情けなさを同時に感じてハッとした目を向けると彼は、ボサボサの髪を結った頭を掻きながら、
「おぉ恐。全く若人は悩み事が多くて大変だわ」
 全くそんな風にも思っていなさそうな口調で紫の羽織の背中を向けてしまった。
 ――幸せなんて、最初から……。
 リタはとてつもない無力感に苛まれた。手の中の蛇腹剣を見下ろす。物言わぬ大して役にも立たない武器が、ひどく憎らしく思えた。ふと首元を触る。そこに巻いてある魔導器は、もう使えない。
 魔術が使えない。
 それがこれほど堪えるとは思わなかった。
 これにそれほど頼っていたとも思わなかった。
 “そういう世界”になったこと、“そういう世界”にしたことを後悔しているつもりは決してないが、以前は一人でも街を出て研究調査に出られたのが、今では誰かに頼らずに出られない。
 何故なら魔術を使えないリタは、ただの一分野の知識が長けただけの少女。身のこなしは常人ほどかそこそこであっても腕力や脚力は女の子のそれ。それでも決して一人でだけで行こうとはしないところが、リタの聡いところだった。
 だけど、“調査に行きたいから守って”などと素直に言える度胸が少女にはなく、まるで自分の弱さをひけらかすような発言に変なプライドが邪魔をして頼むのにも一苦労。
 初めはカロルに付いて来させようとした。“居ないよりはマシ”何か適当に理由を付けて。が、どうやら運悪くギルドの依頼と重なったらしく変な緊張は徒労に終わった。
 ジュディス。依頼中。会えず。
 ユーリ。同じく。
 ラピード。所在不明。
 まさかエステルに頼む訳にも行かず、途方に暮れていたところを神出鬼没の胡散臭い中年男はこう言った。
『おっさんで良ければ付いて行こうか?』
 その言葉にひどく安心感を覚えたのは内緒の話だ。
 そうして街を出て二人旅。半分ほどの行程を進み、今に至る。
 戦闘すること、約十回。主に前衛と主導権はレイヴン。さすが元帝国騎士団隊長首席といったところ。変形弓を手にトリッキーな動きで立ち回る。対してリタの攻撃手段はもっぱら蛇腹剣。途中何度か魔術の詠唱をしてしまっている自分がいて、その為動きが遅れること複数回。かつての動きで蛇腹剣を振り回し、魔物にヒットするも全て決定打に欠ける。腕力がない為にどれも浅いのが原因だった。
 思い出すだけで悔しさが込み上げる。
 手の中の蛇腹剣をいじくる。
 じゃら、
 かしん。
 じゃら、
 かしん。
 大して役に立たない、武器。
 じゃら、
 かしん。
 じゃら、
 かしん。
 いや。
 役に立たないのは、
 じゃら――、
 ――あたしだ。
 かしんっ。
 伸縮した刃の切っ先が、リタの手をかすめた。
「痛っ……!」
「ちょ、おいおい。何してんのよ、全く……」
 手袋と皮膚が裂け、溢れる血が赤い手袋に黒い染みをじわじわと広げてゆく。それをリタは呆然と眺めていた。
 その手をレイヴンが取った。手袋を外しながら、
「ほら、手当てしないと。破傷風にでもなったらどーすんの」
 傷は深くはなかったが、溢れる血はどくどくと大袈裟めいていた。ガーゼを当て止血し傷口を飲料水で洗い化膿止めを塗り込み包帯を巻く。ぶつぶつと文句を呟きながら。
 てきぱきと処置されていく自分の手を見下ろしながら、無力感と情けなさは留まるところを知らない。レイヴンの手の中のリタの手。なんて小さい自分の手。
 なんて何も出来ない自分――。
「ほいっ。終了ーー。若いお肌なんだからすぐに治るっしょ。大事にしてやらんと駄目よ?」
 役に立たない武器。
 役に立たない自分。
 うんざりだった。吐き気がした。
「……リタっち?」
 自分がひどく小さく見えた。恐怖を感じた。まるで何も出来ない、幼い子供になったかのような。自分より年上の人間に対しても歯に衣着せぬ物言いになってしまうのは、それをやってはいけないということの認識を感じないから。自分の知識に絶対の自信も裏付けもあったし、子供だからと言って全てを大人に頼らず自分自身で面倒をみながら幼い頃より生きてきた。
 なのに、今の自分はどうか。ただの頭でっかち。誰かの助けなくして何処へも行けず、あまつさえ自分の身も自分で守れず――。
「……っ、悔しい……っ」
 歯を食い縛る。涙が出そうになるのを辛うじて堪えた。処置された手はしつこくジリジリと痛んでいたが、むしろその痛みさえ自分を責めているようで、煩わしかった。
 こんなに使えないなんて。
 こんなに何も出来ないなんて。
 もう、泣かないようにすることだけで精一杯だった。
「………」
 そんなリタをしばらくじっと眺めていたレイヴンが、リタの視界の外で思案気な面持ちになり、それからニヤリと笑った。
「ははーん、つまり天才魔導少女は今頃になってやっと俺様がいかに頼れる男かってことに気付いたわけね」
 リタは顔を上げた。レイヴンがニヤニヤとこちらを見下ろしていた。
 嫌な言い回しだが、つまりはそういうこと。この男は、リタの気持ちを看破している。
「な……、」
 咄嗟に何かを言い返そうとしたが、何も言えなかった。悔しいが、とても悔しいが、そういうことなのだから。
「遠慮しないでいーのよ?ほら、どーんとこのレイヴン様に甘えてみなさいって!」
「誰が――」
「リタっち」
「!」
「いいんだって。リタっち。甘えてもさ。その為に俺は今ここにいる。リタを守る為だけに付いて来てんだから」
 一瞬何を言われたのか分からなかった。頭の中で言われたことを反芻してみたら、死ぬほど恥ずかしくなった。
「俺は、ほら。こんな体だから色んな奴に色んな迷惑かけてる。リタっちにだってそうだ。でも、リタっちは俺の心臓を見てくれてる時に“どんな思いで”見てるのよ?」
 俯かせていた頭を上げた。レイヴンの目がこちらをじっと見ていた。
 出来ていたことが出来なくなるというのは、屈辱的だ。だけど、この男はきっと、この体になった後、それ以上に色々な思いを今までにしてきたのだろう。それこそ、リタとは比べ物にならないほどの長い時間を。
「おっさんは今、リタっちを全力で守る。リタっちは目的の為におっさんを利用する。そんで、その後自分の仕事に取り掛かる。“適材適所”ってやつっしょ?」
 大人として。人生の先輩として。リタよりも長く生きている分の色んな経験が在るからこそのアドバイス。屈辱的だとか、無力だとか、むしろ次元の違う話だと、そう言われているようだった。
 リタの得意分野。子供なのに出来ること。
 リタの限界。子供だから出来ないこと。
 はっきりとした自分の能力の分類。悩んでいたことすら馬鹿馬鹿しく思える。つまりは、そういうことだったのだ。
 苦しい気持ちが、気付けばなくなっていた。肩の力が抜けるのを感じた。自分を励ましてくれた大人に何か言いたくて、ちらりと上目遣いで見上げた。男はそんなリタの気持ちを見透かしたようにニヤリと笑った。
 それが何だか悔しかったので、やっぱり“ありがとう”は言わないことにした。その代わり、
「大人ってずるい」
 そう言うと、
「そ。大人ってずるいもんなのよ〜」
 男は飄々と、そう言ってのけたのだった。


ここまで読んで下さってありがとうございます。

一つのことでいつまでも悩むリタというものをあまり想像出来ませんが、それでも今まで倒せていたものが倒せない、その上それに傷つけられる、となると、相当悔しい思いをしたはず。そして、それを励ましてくれるのがレイヴンだったらいいなーと思います。



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あきゅろす。
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