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*tales of…*
学園ヴェスペリア〜intermission 1〜
【more than cookies】


 授業態度はいたって真面目。それどころか、どの科目のどの知識も彼女にとっては好奇の対象で、片っ端から吸収していった。その為、成績は優秀。
 当然、それは家庭科だって然り。しかし、今回は調理実習。一般の女子生徒のほとんどが卵焼き程度の調理経験があるのに対して彼女の場合、調理器具に触れさせてもらえる機会が皆無な為、こうして授業の一環でしか調理を体験出来ないのである。
「ヒュラッセインさん、めちゃくちゃ真剣だね」
 同じグループになった女子生徒がそう話しかけても、エステルのエメラルドブルーの瞳がそちらへ向くことはない。
「そりゃあ深窓の令嬢だもんね。家で料理とかすることないんだよ、きっと」
 全ての音がエステルの耳に入ってこない。彼女の目は、手元しか映していなかった。およそ、常人がこなすスピードの約半分ほどののろのろとした動きで、しかし確実かつ丁寧に、進んでいく。
 やがて――。
「出来た……!」
 あとはオーブンに入れて焼くだけ。エステルの表情に感無量の笑みが浮かんだ。
「ヒュラッセインさん、本当に家で料理したことないの?」
「え? あ、はい。こうした授業の一環でしか……。でも、何とか形になって良かったです。絶対、失敗したくなかったので……」
「もしかして、誰かにあげる……とか?」
「……?、はい」
 恐らく、というより確実に自分が学園のマドンナ的存在であることを自覚していないこの天然箱入り娘の明らかな爆弾発言に、同グループの女子生徒は様々な面持ちで顔を見合わせた。
「うそ?! 誰に? やっぱりフレン・シーフォ?」
「ヒュラッセインさん、生徒会長と知り合いなんだよね?」
 というかそれなら納得、といった周囲の心境を、エステルは粉々に打ち砕いた。
「ええ。ですけど、今回はフレンにではなくて――」
 容姿端麗な深窓の令嬢は、良い意味で奢らず、言ってしまえば天然ボケの為、妬まれたりすることは自然理に少なかった。故に、男子生徒だけでなく女子生徒からの人気も高い。
 の、だが――。それを自覚せず、思わぬ事をポツリと呟き、トラブルを呼んでしまうのは……。
 ――自分のせいなんじゃない?
 エステリーゼ・ヒュラッセインと同グループの全ての女子がこの瞬間、そう思った。

 絶対にここだと言う確信があった。だけど、その道のりは遠かった。息切れの肺にゆっくりと空気を送り込み、動悸を落ち着かせ、やっとたどり着けた人物へエステルはそうっと近付く。
 ――寝てる……?
 腕を枕代わりにして仰向けに転がる少年は、目を閉じて黒い前髪を風になびかせるがままにしていた。
 エステルはそのすぐ傍に膝を付く。
 見入ってしまっていた。
 整った鼻、精悍な眉、閉じられた瞼の睫毛。
 男の子の寝顔が綺麗だなんて思ったのは、生まれて初めてだった。
 その瞼が、何の前触れもなく開かれた。
「……!」
 エステルの心臓がどきりと跳ね上がる。
「……エステル」
 少年の紫紺色の瞳が、じっとエステルを見つめる。膝を付き、少年をのぞき込んだ姿勢のままから、エステルは動けない。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
「いや、起きてた」
「そう、ですか……。……え?」
 ということは、エステルが見入っていたことも彼には――。
「……で、屋上で昼寝でもしに来ました、って様子にゃ見えねえけど」
 上半身を起こした少年のその言葉に当初の目的を思い出して、エステルは通学鞄を探り可愛くラッピングされた小さな包みを取り出す。
 少年の顔前に差し出した。
「ん?」
「どうしてもユーリにもらってほしくて……」
 最高学年の男子生徒にはあまりにも似つかわしくない可愛らしい包みを、少年は受け取ると、訝しんで開いた。中から姿を現したのは――。
「クッキー? オレに……?」
「ええ」
「エステルが作ったのか?」
「はい。……調理実習で、ですけど……」
「ま、箱入りのお嬢さんは普段料理なんかしねえわな」
 まともに料理をしたことがない自分を少し恥ずかしく思いながら、エステルは頭を俯かせた。だから、エステルは気付けなかった。ユーリがクッキーとエステルとを交互に見比べ、“だからここまで来るのに苦労したのか”と呟いたのも、その言葉の意味も。
「へぇ。料理したことないにしては……」
 声に顔を上げる。少年が二つ目をつまみ、口に放る。
 ユーリが、エステルの作ったクッキーを食べている!
「あ、あ……、どう、です……?」
「ん。まぁまぁだな」
 そう言う少年の手は止まることを知らないのか、次から次へとクッキーをつまんで口に運ぶ作業を繰り返している。
 ――お口に合ったんですね……!
 エステルの胸に歓喜が沸き上がる。
 このクッキーは、ユーリに渡す事に意味があった。
 二度も自分を助けてくれた彼に、どうしてもお礼がしたかった。と言っても、形式にのっとった物などきっと受け取ってくれないに違いない。エステルに出来る事と言えば、調理実習程度で作ったものをプレゼントする、くらいの事しか出来なかった。それがたとえ押し売りで自己満足だとしても、どうしても彼に、ユーリに食べて欲しかったのだ。
 だから、エステルは嬉しさを抑えきれない。顔一面に笑みを湛えてユーリを見守る。
 当の少年は視線に耐えきれなくなったのか、最後の一つを口に入れようとするポーズで気まずそうにエステルを見た。
「……全部食っちまったら……まずかったか?」
「え?あ、いいえ。全部召し上がってくれて嬉しいです」
 そう言ってにっこりと笑った。
「甘いものがお好きなんです?」
「まぁ、人並みにはな」
 “人並み”と言う割に、指についたクッキーの糟までぺろりと舐めるその様子に、エステルはつい笑ってしまった。
「なんだよ」
「いいえ、うふふ」
 ――お好きなんですね。
 拗ねたようにしている様がエステルの知っている彼の雰囲気にそぐわなくて、何だか可愛らしい。
 そんな彼が不意に目を細め、エステルを見た。
「ごちそーさん。ありがとな、エステル」
 エステルに向けられた、それは笑みだった。どきりと心臓の鼓動が高鳴り、そんな自分にエステルは戸惑った。
 お礼を言いたいのは自分の方だったのに。
 ――お礼、出来たのでしょうか……。
 何だか釈然としない気持ちのまま、上級生を見上げると、彼も不思議そうにエステルを見た。何となく気恥ずかしくなって顔をそらしてしまう。
 屋上の風が顔を撫でても、頬に感じる熱は引きそうになかった。



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あきゅろす。
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