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*tales of…*
hello myself(リタ)
【hello myself】


 父親なんて初めから居なかったから顔も分からないし、幼い頃に母親も亡くしたからそういった気持ちとは決別して随分経つ。しかし、その事で何かを不便に思ったり日常生活に支障をきたしたりする事もない。
 孤独には慣れている。
 自分しか居ない部屋。自分だけの生活空間。ただ、ひたすらそれだけ。
 ……の、はずだった。

 ――あれ?
 何か心に引っかかりを感じて、しかしそれが何なのかが分からず、リタは懸命に記憶の引き出しを探った。昨日解いた公式の解の事だろうか。それとも一昨日の実験結果と考察をまとめた物を研究機関の人間に渡し忘れたのだろうか。
「いいや、渡した。解にも引っかかる所はなかった……」
 じゃあ、一体何だと言うのか。
 考えてみても分からないものは分からない。それをそのままにしておくのも研究者としてどうかと思うが、ここにずっと居ても仕方ないので帰ることにする。
 時刻を確認する。リタの表情が渋いものになる。もう、夜半だった。今から帰って寝るか、帰って空腹を満たして寝るかだ。
 テルカ・リュミレースから魔導器が失われてからひと月。エアルに変わるエネルギー源、マナの研究。動力としての導入。仮説、実験、考察、考察、考察。帝国屈指の天才魔導師、リタ・モルディオは各地で引っ張りだこだった。それこそ、他の事は何も考えていられないほどの忙しさが、彼女を動かしていた。
 研究自体は嫌いではないし、むしろ大好きだ。何故ならリタは根っからの研究者。分からない事への探究心、徐々に分かっていく事への高揚感。全く新しいエネルギー技術を安定したものにする過程は、まだまだ序の口の方で、しかしそれをリタは楽しんでいた。
 だけど、夢中になっている事を小休止させた時。夢から一時的に覚めたような状態である時。例えば研究所を出て家に帰ってぽつんと自分一人で家の中を見渡した時、ふと我に返ってしまうのだ。
 ああ、前みたいだな、と。
 自分しか居ない部屋。自分だけの生活空間。ただ、ひたすらそれだけ。
 ばふん、とベッドに倒れ込む。ベッドに無造作に置いてあった術式や公式の書かれた何枚かの紙が、衝撃でひらひらと床に落ちた。
 静寂。
 枕元にある小さな魔導器を手に取る。
「フアナ……」
 今はもう動かない測温魔導器。リタの大切な友達であり兄弟。しかしそれもかつての話。
 以前のような生活なのかもしれない。だけど、以前とは違い魔導器達は機能しない。リタの前で動かない。リタの前で機能しない。目の前にあるのは物言わぬ匡体だけだ。それでもリタは後悔していない。
 魔導器よりも大切なものが出来た。自分は以前のような自分ではない。
「会いたいな……」
 ぽつりと呟く。
「ね……、フアナ」
 測温魔導器は物言わず、リタの手から下がる銀鎖の先で揺れていた。

 会いに行くと、親友はいつだって心から嬉しそうな笑みを浮かべて、“リタ”と呼んでくれる。それがリタ自身も嬉しくて、だけど少しだけ気恥ずかしくて、リタは顔を真っ赤にしながら素っ気なくしてしまう。その様子がさらに親友の笑いを誘い、リタの顔を熱くさせるのだが、それでも親友に会える事が嬉しい。だから、会いに行く。
 ――研究所は……。
 ふと、ちらりと昨日の公式の事が浮かんだが、それを親友の笑顔がかき消してしまった。
 ――今日はいい。
 早々に見切りを付けて、リタは身支度を済ませ、家を出る。もしかしたら、研究員が自分を探しに来るかもしれないが、構うものか。大事な大事な急用なのだ。
 何かにせっつかれるように、リタは歩を速めた。

 少し心臓がドキドキしてきた。そんな自分を馬鹿馬鹿しく思いながら、拳を作ってドアをノックする。コンコンコンと、三回。そうすると、ドアが開けられて“リタ!”と満面の笑みが出迎えてくれるのだ。リタの口元がにんまりと笑みを作る。
 ……のだが、すぐに笑みは消えてしまった。
 何の反応も無い。
 もう一度、ノック。静寂。寝ているのだろうか。と言っても朝も良い時間。彼女が起きていないはずがない。
 少し強めに叩いてみた。静寂。やはり。
 親友は今日はここに居ない。もうすでに出た後か、それとも帝都の方に泊まっているか。
 少し急に来すぎたか。会えなかった。
「別に会わなくちゃいけない用事があった訳じゃないし。……ちょっと顔見に来ただけだし。うん」
 何かに対しての言い訳が自分への慰めになっていることにも気付かず、リタは来た道を引き返した。

 研究は好きだ。毎日も充実している。分からない事が分かるようになる事は面白い。
 だけど、ふとした瞬間、リタの心は空っぽになる。何も考えられない。自分しか居ない部屋。自分が動かないと何も動かず変わらない空間。ずっとおんなじ景色。
 それから、ぎゅっと心が痛くなって、ある気持ちで空っぽの心がいっぱいになっていく。
「……あ。分かった……」
 解けた。答えが出た。これは――、
 “さみしい”だ。
 そして、“会いたい”だ。
 “淋しくて、会いたくて、仕方ない”だ。
「馬鹿馬鹿しい」
 何を一体子供みたいな事を。そう罵って一掃してみても、心の器は“淋しい”と“会いたい”でいっぱいになってゆく。
 ずっと一人だった。アスピオで一人で生きてきた。魔導器さえいれば良かった。魔導器は物言わないが、心の支えだった。人なんていい。居なくてもいい。そんな事には慣れている。
 測温魔導器をぎゅっと握りしめる。
 だけど、仲間が出来た。友達が出来た。それが大切になった。それが心地よかった。
 それが、気付けば当たり前になっていた。
 淋しい。
 淋しい、淋しい。
 会いたい、会いたい、会いたい……!
 心の器の表面張力を超え、とうとうそれが溢れ出した。溢れて、零れて、落ちた雫は測温魔導器にぶつかって散った。ぽたっ、ぱたっ、と何粒も何粒も雫はぶつかっては散り、床を濡らした。
「うぇぇ――」
 ついに嗚咽まで漏れた。この感情をどうしてよいのか分からない。ただ溢れてくるものを出すのみ。
「あ!駄目ですよ、勝手に入っちゃ……」
 突然、そんな声と共に、扉が遠慮容赦なく開けられた。
 びくりと肩を震わせ、振り返る。そこに居た人物も、ぎょっとした様子でリタを見ていた。
「………リタ……?」
「おま……泣いて――」
「リタ!!!」
 そして視界は白に埋もれた。
「ななな何なのよ、アンタ達……ちょ、エステル!苦しいってば!!」
「リタ!ああ、リタ!!」
 心地良い窮屈感。ずっと見たかった顔。触れたかった白。恥ずかしい。温かい。嬉しい。見られたくない。もう、どうすれば良いのか分からない。
「いいいきなり入って来ないでよね!魔術ぶっ放すわよ!?」
 首の武醒魔導器はもう使えないのに思わずそんな事を言ってしまう。明らかな悪あがき。そんなリタに構わず親友は抱きしめる手を緩めず愛しそうに頬ずりまでしてきた。
「会いたかったです……リタ、本当に……」
「エステル……あたし――」
「淋しい思いさせて悪かったな。だからほら、もう泣くなって」
「なな泣いてない!それに淋しくない!!」
 本当にこの青年はリタの気持ちを見透かしたかのような口振りで話す。それに、相変わらずこちらの感情を先回りしたかのような親友の優しさ。
 ――適わない。
「こ、これはその……あれよ!実験で発生した刺激臭に目をやられたの!うん、そう!」
 自分でも何を言っているのか分からない。苦しい言い訳。それを耳元で涼やかな声が“うふふ”と笑う。その声の後ろで佇む青年が、意味深な笑みを浮かべて“そういう事にしといてやるよ”と言った。
 かあっと頬が熱くなる。
 孤独には慣れているはずだった。魔導器さえ居れば良かった。だけど、仲間が出来た。友達が出来た。忘れていたはずの感情が戻ってきた。心をかき乱されて、ぐるぐるした上に今は穏やかに回りながら落ち着きを取り戻してきた。
 自分以外の誰かがいる部屋。あの頃を思い出す。おかげで時々こうして無性に会いたくなる。
 それをリタは煩わしいと思わない。彼らの事を後悔していない。何故なら今、とてもとても幸せだから!
 だけど、それを気取られるのは少し恥ずかしいから、リタは必死に仏頂面を作ってみせた。




 ここまで読んでくださってありがとうございます。

魔導器がなくなったことで便利さが失われ、それを取り戻そうとマナの存在が注目され、その事でリタは忙殺されているはず。でもそこは十五歳の少女。今度は寂しがっているリタが書きたかったんだと思います(他人事?)。



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あきゅろす。
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